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『Re: 背番号1』


 中日ドラゴンズの福留孝介選手が現役を引退した。

 本格的に熱を入れて中日を応援するようになった九十九年がちょうど福留のルーキーイヤーで、そのはつらつとした思い切りの良いプレーとスター性を秘めたフルスイングに当時小学六年生だった筆者が心を鷲掴みにされたのは必然のことだった。遊撃の守備で失策をしでかしてもバッターボックスで豪快に三振したとしても、やはり当時から福留は華のある選手だった。

 それから福留の座右の銘が「努力に勝る天才なし」だと知るや否やそれをでかでかと紙に書いて部屋の壁に貼っていたなんてこともあったし、プロ二年目のシーズン途中に阪神の藪から死球を受けて骨折した時などは、テレビゲームで薮をバッターボックスに立たせて「福留の仇だ!」と報復死球を浴びせてしまったこともある。

 記念すべき札幌ドーム第一号となった先頭打者初球ホームラン、第一回WBC準決勝・韓国戦での代打先制ツーラン、二〇〇六年のリーグ優勝を手繰り寄せた延長十二回満塁の場面での勝ち越しタイムリー、メジャーリーグのデビュー戦で放った同点スリーランなど、福留を語るうえで華々しい鮮烈的な名場面は数多くある。しかし、個人的には大学一年生の学校帰りにナゴヤドームのライトスタンドで目の当たりにした横浜戦での延長十回裏にクルーンから打ったセンターオーバーのサラヨナラ打が印象深い。この少し前まで一ヶ月ほど入院していたこともあり、その一打に勇気づけられたことをよく覚えている。

 一度は着なくなった背番号1のレプリカユニフォームを着て、九回にライトを守った背番号9の後ろ姿とセカンドフライに倒れたその現役最後の打席をバンテリンドームの五階席からこの目に焼きつけた。引退試合というものを生で観戦するのは、これが初めてだった。

 福留は、僕のスーパースターだ。

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