イガを握りしめる

 話題の選評を拝読しました。
https://shosetsu-maru.com/pr/keisatsu-shosetsu/new_3rd_award_result.html

 この厳しさの是非はさておき。

 私はいくつか新人賞公募に出してきたわけですが、それがもし受賞したとして、そのあとのことを考えられていなかったと気づきました。
 受賞して、そのあと出版されて、今の私のような一般読者の目に触れる。もちろん、出版社との連携で直すところもあるとはいえ、基本の筋は変わらない。その作品として成立するのかを考えました。

 簡単に言えば、お金をもらえる作品になっているのか、です。

 結論、まだまだ未熟だと感じます。

 読書の価値のひとつは、「没頭」だと思います。これについては、世界観ができあがっていればある程度可能ですが、ノイズ(視点の揺れ、表記揺れ、適切でない表現、詰めの甘さなど)がそれを阻害します。私自身、自分でもできていないことを棚に上げて申し上げると、商業作品で何度かそういう体験をしています。

 もう一つ、私は社会問題を取り扱ったいわゆるヒューマンドラマをよく書くのですが、そういった作品に求められるのは、おそらく「価値観への刺激」だと思います。
 朝井リョウ先生の『正欲』あたりは、ど真ん中ですね。
 自分の作品は、そのように人の価値観になんらかの刺激をもたらせているのか、考えてみました。
 できていると思える作品もあるし、できていないと思える作品もあります。当たり前ですが、バラバラです。

 こうしたことを考えるのは、恥ずかしながら初めてでした。
 私は書くのに手一杯で、あふれてくるアイディアを衝動的に文字にしてここまで来ました。小説を書き始めてから2年数カ月、よく気づかなかったものだなと思います。
 それだけ、「プロ」という存在が遠く、商業出版というイメージを持たずにきたということだと思います。

 正直、最初に上記の選評を読んだときは、最終までたどり着いた作品に対するあまりの厳しさに、自分のことではないのに心が折れかけました。
 しかし、プロの世界はそういう世界だと実感しました。

 こうした機会をいただけたことに感謝をするとともに、私の作品はお金を払う価値があるか、ということを常に考えていく必要があります。
 これも自分の作品を棚に上げて言いますが、商業作品を読んで「金返せ」と思ったことは一度や二度ではありません。

 もちろん、作品との相性はあるし、全ての人から支持される作品というのもないわけですから、おこがましいことではあるのですが、できる限り、選評者を含む読者にとって良い読書体験を届けられるようになればと思っています。

 その過程で厳しい指摘もたくさんあることと思います。
 私はまだ、プロの選評をもらったことがありません。自分の作品がプロにどう見られているのかわからないですが、いただけた際には、たとえそれが針だらけのイガで、掌から血を流したとしても、しっかり握りしめなければいけないと思っています。

 プロを志すなら、生半可な気持ちでやっていてはいけないと感じた一件でした。

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