本当に「不時着」と「墜落」は違うのか?
ツイッターでよく議論になる「不時着と墜落は別の用語だ」というアレ。本当かな?と気になったのでその定義の出自を調べてみました。すると色々と面白いことがわかりました。
「不時着」と「墜落」は違う用語?
「不時着」はパイロットが機体をコントロールして着陸したもので、「墜落」はコントロールができずに大破したもの、という定義がネットではまことしやかに語られます。
さらに、「不時着」でも機体が破損することがあるので、死者や破損度は「不時着」の判定には関係しない(つまりコントロール下のもとで大破した場合は「不時着」)というという説明もよく聞きます。
したがって、航空事故が起きると「あれは墜落だ」「コントロールしながら落ちたから不時着である」というような議論をネットでよく見かけます。
この定義はいったいどこから現れたのか。明確な根拠があるものなのか。誰に聞いても答えてくれません。なので自分で調べてみました。
「不時着」は英語でなんという?
まず、「不時着」と「墜落」は英語ではなんと呼ぶのかを調べました。もしこの区別が国際的な定義なのなら、英語で調べれば根拠を特定できると思ったからです。
墜落は”Crash”で明快でしたが、問題は「不時着」です。
「不時着」は英辞郎・weblioによると
Emergency landing
Forced landing
Crash landing
の3つの英単語が確認できました。このどれが「不時着」の訳語に相応しいのか、調べました。
なお、この記事では主にskybrary.aeroの説明を参考にしています。
skybraryは欧州全域の航空管制を管理する欧州航空航法安全機構が運営する航空情報ウェブサイトです。したがって限りなく精度の高い情報だと判断しています。
ただし、航空法で定められた用語や定義ではないことに留意してください。
”Emergency landing”とは主に日本語では「緊急着陸」と訳されることが多い単語です。必要に迫られて、緊急的に着陸すること全般を指します。海外では、報道レベルでは、いわゆる不時着事故に対して、この語句を使っていることが多かったです。
その”Emergency landing”(緊急着陸)の下位概念に
”Forced landing”というものがあります。文字通り、「外部要因により、やむを得ない着陸を強要される」という意味で、日本語ではこれを「不時着」と訳すことが多いです。主に、燃料切れやエンジンの故障などによって着陸せざるをえないシチュエーションのことを指します。
なお、”Forced landing”を「強制着陸」と直訳する場合もあります。この「強制着陸」という日本語の場合、「ハイジャックや軍事的威嚇による強制的な着陸」という限定的な意味で用いられます。
Forced landingの英wikipediaと強制着陸の日wikipediaを比較すると、おなじ用語なのに、かなりニュアンスが異なってることがわかると思います。この時点で、日本語の”着陸”用語がガラパゴス化してることが確認できます。
そして同じく、”Emergency Landing”の下位概念に”Crash landing”があります。
”Crash landing”とは「航空機が構造的に大きな損傷を受ける着陸のこと」だそうです。クラッシュしながらランディングなのですから、そのままですね。胴体着陸を指すこともあります。なお、緊急着陸(Emergency Landing)の場合でも、機体が損傷せずに着陸できた場合は”Crash landing”とは呼びません。
”Crash landing”も「不時着」と訳されることが多いですが、機体の損傷状態を問わない”ネット定義”の「不時着」概念とは、その点が異なります。正確に日本語に訳すのなら「衝突着陸」とでもいったところでしょうか。
無傷の「不時着」はありえますが、無傷の”Crash landing”は言葉として成立しません。
↓Crash landing の一例 水面に衝突した小型機が一回転している。これくらいの事故が”Crash"
英語圏のニュースを確認する限りでは、"Emergency landing"という言葉がもっともよく使われていて、次に”Forced landing”、そしてまれに”Crash landing”という言葉が使われてるという印象でした。
つまり、”日本語ネット”定義の「不時着」という用語は、
"Emergency landing"、”Forced landing”そして”Crash landing”のどれとも完全に対応してなく、そしてそれぞれがごちゃまぜになった概念のようです。
なお、いわゆる「不時着水」のことは"Ditching"(またはWater landing)と呼びますが、使い方は陸の場合を指す”Forced landing”と全く一緒なので、本記事では省略します。おなじく、着陸にはさらに予防着陸 (precautionary landing)というのがありますが、これも本記事の趣旨とは無関係なので割愛します。
そして、「不時着」の訳語として使われている
"Emergency landing"、”Crash landing”および”Forced landing”という英用語に、ネットでよく見聞きする「コントロールできる状態で着陸したこと指す(その際の被害は問わない)」という定義があるかどうかですが、skybrary含め、そのような定義をしたソースは一切見つかりませんでした。
もちろん、Landingつまり着陸というからには、一定のコントロールがあることは伺えますが、着陸に失敗して大破すれば、”Crash"と呼ぶのが一般的のようです。つまり、英語においては、LandingとCrashは推移するものなのです。
「着陸の瞬間までコントロールがあれば、どんな結果でも不時着」というネット定義の「不時着」とは一致しません。
ということで、この段階でどうも「不時着」という用語は、英用語に明確に対応するものがない、日本で独自に使われる特殊な言葉だということが分かってきました。
「墜落」は”Crash"ではない?
また、「墜落」(コントロールを失ったもの)という言葉・定義も、日本独自のものであることがわかりました。
一例を出しますと、「エアラインズPNG 1600便不時着事故」は日本語のwikipediaでは一貫して「不時着」という記述がされていますが、英語記事では明確に"Crash"という表現がされています。
どちらが正しいのでしょうか。おそらく、両者とも正しいのです。1600便は「不時着」をした結果、機体が”Crash"して多数の死者を出したのです。
これは他にも様々な英語圏の航空記事を読んで、確信を得たことですが、英語の"Crash"は専門用語ではなく、ただの英単語です。文字通りに「クラッシュ!」した状態を指しているだけです。ドシーンとなにかにぶつかるようなイメージです。海外の用語集も"Crash"の説明などわざわざ載せていません。
ですので、航空機と作業車の衝突事故も”Crash”と呼ばれます。これは確かに日本語では「墜落」とは表現しませんよね。もちろん、”Crash”には「コントロールがあったか」という要件は必要としません。
つまり、”Crash”と「墜落」という日本語は一致しません。ただの「衝突」とか「激突」と訳すのが本来適切でしょう。
この日本語と英語のズレを放置した結果、「不時着」という言葉ですべて説明しようとする風潮が出来たのだと思います。
こういう「ズレ」はwikipediaの航空事故一覧から、日英ページを見比べるとおおく発見できます。英語圏では”Crash"と表現される事件が、日本語では「着陸事故」と表現されるケースがいくつも見受けられます。
例を出すと、日本国内では「着陸事故」「着陸に失敗、炎上」として報道された2009年の「フェデックス80便着陸失敗事故」ですが、英語圏のニュースでは、どれも”Crash"と表現されています。
英wikipediaでは”Crashed on landing due to bounced landing caused by fatigue”と要約されています。
日本語の「(不時)着陸」のニュアンス、英語の”Crash"のニュアンスをそれぞれ捉えた事例として参考になるので、動画を引用します。
英語では「着陸・不時着の瞬間の事故によって生じた大破」も”Crash"と表現できますが、日本語の「墜落」という言葉のイメージや感覚は、それとは異なるために、「(不時)着陸失敗事故」という迂遠な表現が使われています。
つまり、日本語の「墜落」は”Crash"の訳語として完全に対応していない上、さらには「コントロール不可の状態での大破」という、英語の用法には全く存在しない独自の定義が加えられた、極めてガラパゴスな用語であったことが確認できます。
「不時着(着陸)の失敗による大破」(=Crash)を一言で表す的確な日本語が存在しないことが、この混乱の原因なのかもしれません。
面白いことに、Crashが「墜落」ではないなら、”Crash”の意味は何なのか? そのことを日本政府に訪ねた方がいます。
2016年に起きたオスプレイ事故では、多数の海外メディアや星条旗新聞(米軍の準機関紙)までもが、”Crash"という表現を用いていたのに対し、日本政府は米軍の発表に習って「不時着」という表現にこだわりました。
それに対して、衆院議員の仲里利信が「政府にとって”Crash"はどういう意味なのか?」と国会で質問しました。
しかし、当時の政府(安倍晋三)は『~の意味するところが明らかではないため、お尋ねについてお答えすることは困難』と繰り返すばかりで、答えをはぐらかし続けました。つまり、政府すらも”Crash"の日本語はよくわかっていないといえます。
「不時着」と「墜落」の違いはだれが決めた?
「不時着」と「墜落」という言葉が、それぞれ日本にだけ存在する、独自の用語であることが明らかになりました。
では次に、「不時着」「墜落」という用語に対して、よく指摘される「コントロールできる状態での着陸が不時着」「コントロールが出来ない状態での着陸が墜落」という定義が、本当に根拠の存在するものなのか、調べていきます。
辞書には、「不時着」とは「航空機が故障・燃料不足・悪天候などのため運航不能となり、目的地以外の場所に着陸すること。」(デジタル大辞泉)としかなく、コントロールの定義は確認できません。
「墜落」も「高い所から落ちること。」(デジタル大辞泉)としか説明されていません。
結論から申しますと、そのような定義を明言した信頼できるソースは一つも発見できませんでした。
ツイッターで、「不時着」と「墜落」の意味の違いに詳しいと自称するお方に、ソースをお尋ねしたりもしたのですけれど、「ソースは絶対にあるがお前には教えない」と返答され、そのあとなぜか滅茶苦茶粘着されました。間違いがあれば訂正しますので、明確なソースをお持ちの方ご連絡お待ちします。
一方で、「ソースがないこと」を示すソースはいくつも確認できました。
元航空自衛官でヘリコプターパイロットの経歴がある、自民党議員の大山孝夫が以下のように解説しています。
であると、解説しています。これがネットでよく聞く「墜落」と「不時着」概念に近いですね。
しかし、あくまで「パイロットの感覚」といっているので、厳密な定義ではなさそうです。
さらに調べたところ、
朝日新聞の記事によると、
buzzfeedによると、
毎日新聞によると、
(いずれも筆者強調)
これらのことから、「墜落」と「不時着」の違いの出処は、国際的な専門用語ではなく、国内の航空法で規定された言葉でもなく、日本語の辞書にある定義でもなく、たんに本邦航空業界の「感覚的なイメージ」であった可能性が非常に高いです。
その習慣的なイメージが、いまも厳密な定義付けがされないまま、政府の発表などに使われていることが推察されます。
では日本政府自体はどういう定義でこれらを使い分けているのか。
先ほど参照した平成二十九年の仲里利信の質問主意書がこのことを問いただしています。
政府(安倍晋三)の答弁によると、
と回答しています。
おそらくこの答弁が「不時着コントロール説」の唯一明確な出典です。
答弁書は閣議決定がされて提出されるものですので、政治的な影響力を持つものですが、日本語を定義する権能まではないでしょう。あくまで、このケースにおいて、日本政府はこのように認識して説明している、という回答に過ぎません。
したがって、「不時着」と「墜落」の違いについては、2つを区別する明確な根拠はない、といえそうです。
「墜落」と「不時着」を言い換えるようになったのはいつ?
では、いつから我々日本人は、「墜落」と「不時着」を厳密に区別するようになったのでしょうか。
たとえば、1964年の「富士航空機墜落事故」では、着陸時にオーバーランし河川敷に侵入、炎上したという事故ですが、これは当時の報道で「墜落」という表現がされています。
過去の報道や、事故の名称を確認する限り、コントロールがあろうが、例えば視界不良などで山岳に衝突してしまったというケースも、「墜落」と表現する例が多く確認できました。
つまり、ある時期までは「墜落」という言葉に厳密な”コントロール要件”はなかった、少なくとも報道や民間レベルでは、そのような定義は共有されていなかったことが推察されます。
ではいつから現在のように厳格な定義が「墜落」に求められるようになったのでしょうか。
おそらく始まりは2016年のオスプレイ事故で、本来「パイロットの感覚的なもの」であった狭義の「墜落」という定義を、国が「コントロールされたもの」と閣議決定したため、これを根拠に「コントロール」という要件が”ネットの常識化”され始めたものだと考えられます。
しかし、その答弁でも「本件事故に係る説明において」と但し書きがあるように、墜落・不時着の表現は個別事例に応じて判断されるべきであり、「コントロールがあったかどうか」という一点のみで決定するのは不合理です。
たとえば、離陸直後に訓練生のパイロットが手順を誤り地面に衝突、炎上した「日本航空羽田空港墜落事故」ですが、当時の報道では「墜落」と表現されていました。このように「コントロールしていたが墜落」という事故も多く存在しています。
事故動画を確認しても、先ほど引用した「着陸事故」の「フェデックス80便」の事故映像と、あまり大差はありません。同じようなケースの大破事故でも、墜落と呼ぶものもあれば、着陸事故(不時着)と呼ぶ場合もあります。その線引は非常に曖昧です。
本来は厳密に区別できるようなものではないのです。法律のように用語が定義されているわけではない以上、この言葉の使い方に正解や不正解はありません。どうしても、言葉を用いる人のイメージ・主観で決まってしまいます。
「コントロールがあった」という要件も、どこまでを”コントロール有り”と判断するかは人それぞれです。操縦桿を握っていればすべて「コントロール」なのか。あるいは視界が悪かったら「コントロール」ではないのか。防風に煽られたら、未熟なパイロットだったら。厳密な線引は難しいのではないかと思います。
しかし、「不時着」と「墜落」から想起する日本語イメージがまったく違うために、表現を決定する政府、報道をする各マスコミ、言葉の選択それ自体が政治性になり得ます。その意図を推察するには高いリテラシー能力が必要となるでしょう。
「不時着」と「墜落」の行く末を問う
最後に、このガラパゴスな「不時着」と「墜落」の定義がもたらす問題点を洗い出していきたいと思います。
「コントロールがあったかどうか」を基準に「墜落」と「不時着」を判断する定義は必然的に混乱を生じさせます。
普通、墜落するときは、まず不時着(Forced landing)を試みようとして、それが叶わず機体が大破することで、「墜落・大破」(Crash)という状況が成立します。
英語では”Forced landing”と”Crash"は両立する概念なのに、ところが、狭義の”ネット定義”日本語では「不時着」と「墜落」は全く相反する概念のため、矛盾した表現になってしまうのです。
例えばこのFox newsの記事は
”Pilot of fatal Alaska plane crash attempted forced landing”というタイトルです。
英語では「”Forced landing”を試みて”Crash"した」という文は成立可能なのに、日本語では「”不時着”を試みて”墜落”した」という表現は、例の定義では矛盾することになります。
普通、パイロットは「墜落」の直前まで不時着(Forced landing)を試みているのだから「一定のコントロールがある」こと自体は当然です。
この直前までの「コントロール」を理由に「不時着」と言い張れるのなら、あらゆる墜落は不時着と言い換えれてしまいます。
逆噴射事件として有名な「日本航空350便墜落事故」も、墜落の10秒前まで機長によってコントロールされていました。むしろ、この事件は”コントロール”によって着水したのだから、この定義によれば「日本航空350便着水事故」と呼ぶのが正しいことになります。そんなアホな。
例えばイネックス・アドリア航空1308便墜落事故やアエロフロート航空593便墜落事故は、ちゃんと機長がコントロール可能な状態で起きた事故ですが、「墜落」と一般的に呼ばれています。
本来、多少のコントロールがあろうが、死者を多く出すほど、機体が大破(crash)したのなら、それは「墜落」と表現するのが、世間一般の日本語の感覚だと思います。
そして、上の章で示した通り、今まではそのような解釈で、柔軟に「不時着」と「墜落」の表現を日本人は使い分けてきました。
それが、オスプレイを巡る政治上の攻防によって、日本政府はどうしても「墜落」とは呼びたくないという事情が生まれ、「不時着の定義の拡大化」を引き起こしたのが、この日本語の混乱の原因だと思われます。
それにより、「(最低限の)コントロールがあればすべて不時着」という、常識的な日本語とはかけ離れた定義が一部で広まってしまいました。
閣議決定の原因となった2016年のオスプレイ事故は、機体は破損しましたが死者がいないことから軟着水できたと考えられ、たしかに(狭義の意味での)「不時着」に該当する余地はあったのではないかと思います。
しなしながら、いまは「コントロール」を理由に、なんでもかんでも不時着と呼ぼうとする傾向が強まりすぎているように感じます。
「”不時着”を試みて”墜落”した」という表現は、そんなに変な日本語でしょうか。「不時着」「墜落」の意味を、いまいちど”常識”に戻す必要があるのではないかと考えます。
まとめ
「墜落」と「不時着」という用語は英語とは対応しない日本独自のものである。また、コントロールを要件に両者を区別する定義も、日本独自のものである。両者の区別は、航空法などで定められたものではなく、本来はパイロットや航空業界の感覚的なものであった。それが17年に国会の質疑応答で、「コントロール」の説明が閣議決定されたため、それが絶対的なもののように権威化された。
さらに定義は拡大する
2023年の11月29日に発生したオスプレイ事故は、目撃者の言によると「機体が突然、ひっくり返り、真っ逆さまになった。火が出て爆発しそのまま海に垂直に落ちていった」という状態だったそうです。コントロールもクソもありません。
しかし、宮澤防衛副大臣によると、「アメリカ側からの説明では、最後の最後までパイロットが頑張っていたということなので不時着水ということだ」という説明がなされました。いつから「最後までパイロットが頑張っていた」ら「不時着」と呼ぶことになったのでしょうか。
『「最後までコントロールを試みていた」との説明があったことを踏まえた判断』だそうですが、そりゃ堕ちてる最中にコントロールを諦めるパイロットなどいやしないのだから、当たり前です。これではあらゆる航空事故が「不時着」と呼べます。
これまでのすべての墜落事故はパイロットがコントロールを諦めた結果といいたいのでしょうか。墜落か否かは機長のお気持ちで決定するものなのでしょうか。JAL123便が「墜落」したのは機長のお気持ちが諦めた結果なのでしょうか。
もはや「コントロール下での着陸」という定義すらも忘れて「コントロールを”頑張って”たら着陸」にまで「不時着」の定義は拡大してしまいました。
このような恣意的な言葉の運用は、事件を矮小化していますし、過去すべての航空事故への冒涜です。
屁理屈もここまでいくと、ジョージ・オーウェルの”ニュースピーク”を思い出します。ロシアの「特別軍事作戦」を笑えません。
日本人ならば、”美しい日本語”を正しく守っていきたいものです。
追記:
11月30日、日本政府は「不時着水した」という立場を改めて、「墜落した」という表現に修正しました。
理由は「米国側から本日になって『墜落』(crash)という表現だったと説明があった。昨日は不時着水と説明を受け、そのままその表現を用いた」だそうです。
米国が墜落といったら墜落で、不時着といったら不時着なのでしょうか。
どうやら日本語の定義を決めているのは日本人ではなくアメリカ人だったようです。
おわり
参考文献
https://bell214b1989.blog.fc2.com/blog-entry-4468.html