見出し画像

暴論論破

人一人は僕とキャメさんの二人体制でYoutubeチャンネルを運営しています。僕らは常に売れた後のことを話し合っているような夢見勝ちな成人男性なので、幻のような何かは見えていますが現在はラジオを12本程度アップしているのみの活動です。

そんな中で僕はアップする動画の概要欄を書く仕事を担当しています。基本的にラジオの内容に関連した文章を書くことを心がけていますが、流されるまま書きたいことを書くことが多いです。

これから一定期間はラジオの宣伝も兼ねて、今までに収録したラジオの中から改めて僕が考えたいことを書いていこうと思います。言葉となった僕との対話という形でしょうか。

今回紹介する「#08 人一人のラジオ」のトークテーマは以下の通り。
・自分が勝てないと思ってる奴とのSNSでの攻防 (斑)
・届かない君のための弾き語り (キャメさん)
・正論を武器にする人々と僕らの自粛の捉え方
・ホコリのようなほこりのコーナー
 (人に理解されないこだわりを紹介)

こんなまとまりのないラジオを録っている訳ですが、今回は正論で人を批判する行為について考えていきたいと思います。

誰かを批判する行為には代償があるはずです。

僕は「相手を否定する際には自分が否定される危険性を抱えるべき」と考えています。そのため、誰かの間違いなどを指摘する時、自分の考えが誤っている可能性を熟考した上で行動に移します。僕は長考タイプのため、基本的にタイミングを逃しますが...

動く前に、人を否定する危険性と伝えたい内容の重みを天秤にかけるのです。だから僕はそこに自分がある炎上を肯定的に捉えています。たとえ燃えたとしても伝えたいことがあったんです。

一方、世間では正論でのタコ殴りをよく目にします。
誰かの意見や一般的な正論を利用すれば、責任は自分に返ってきません。その批判が自分のものでなければ、匿名での批判と大差ないと感じます。

正論を正しく使うためには、その正論を理解することが必要なはず...そこに辿り着く過程を無視した正論は、答えを写した満点解答です。僕は、正論を利用する行為を正しいものとは思いたくありません。

それに暴論で戦っていく方が圧倒的に楽しいと思います。

絶対的なものに向かっていく孤高の戦士。まるで物語の主人公です。不可能と思えるものに挑む高揚感は、初めてローラースケートをした時に感じたものに似ています。

僕はパクチーが割と好きなんですが、「パクチーはカメムシの臭いがするから臭い。」という定説に対して、「カメムシはパクチーの香りがするからカメムシはいい匂いだ。」という何の解決もしていない暴論で攻めています。

暴論論破していきましょう。

#08  人一人のラジオ
https://youtu.be/doAOrqhpq8Y

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?