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【読書感想文】アーティストのためのハンドブック/デイヴィッド・ベイルズ , テッド・オーランド

私は「アーティスト」ではないのですが、手に取ってみたこの本に、生きる指針みたいな面白い事が書いてあったので感想を書きます。
しかしこの本、翻訳本にありがちな、物凄く読みにくい日本語で書かれています。内容は面白いと思うのですが、読むのに大変苦労しました。

想像していた断片を現実の作品へと発展させることは、可能性を減少させることでもあります。それぞれの段階で未来への選択を切り詰めながら、ひとつの可能性を実現させるために変換をしているのです。

人って何かを行動に移すのをグズグズと先送りしたり、無駄に躊躇したり、面倒臭がったりしませんか?私はそうです。

これって何なのかなぁ、と思っていたのですが、現実を受け入れたくない、という気持ちがあるのかも、と思いました。

例えば私は「羽生結弦さんみたいにスケートが滑れるかも!」と夢想する事はできますが、ひとたびスケートリンクに立ってしまったら、それは無理である事が明らかに判明します。
つまり行動に移してしまうと可能性は減るのです。想像だけなら無限に広げる事ができる。

しかし行動に移さなければ、一つの現実も手に入れる事はできません。
自分がこの程度だ、という現実を受け入れるのは不本意な事ではありますが、それを怖がっていては正に何も始まらない。

かつて詩人のスタンリー・クニッツは「頭のなかにある詩はいつも完璧である。しかしそれを言葉に置き換えようとすると、抵抗が始まる」と言っています。

自分のする行動が想像よりも不恰好に見えるのは、私が劣っているからだけではなく、人とはそういうものなのかもしれません。

次も想像と行動の話。

陶芸の先生が授業の初日に、教室をふたつのグループに分けると発表しました。そして教室の左側半分の学生は作品の「量」によって、教室の右半分の学生には作品の「質」によって、それぞれ成績がつけられることが言い渡されました。

そして、あるひとつの面白い事実が明らかになったのです。「質」が最高と評価された作品は、どれも「量」によって評価されるグループによるものでした。「量」のグループがひらすら山のように制作し、そして失敗作から学んでいる一方で、「質」のグループは完璧さについて理屈をこねるばかりで、ついには大げさな理論と無意味な粘土の山をさらけ出す結果となったのです。

とにかくなんでもいいから、ぐだぐだ考えている間にやれ、という話ですね。
失敗もせずに一足飛びに成功なんて無理なんです。
面倒でも地道で自分に誠実な毎日を、コツコツと積み重ねて行く事が大切なのだと改めて思いました。

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