【生活感想文】怒りについて考えたその後

先日アーシュラ・K・ル=グウィンさんの本の感想を書いてから、怒りについて考えていて思い当たる事がありました。

昔、子育てをしている友人と自分もDVをする可能性はあるという自分の闇を見た、という話をしていた時に、人は「DV派」と「ネグレクト派」に分かれるのではないか、という話になりました。
私は断然「ネグレクト派」。自分の心が極まった時にパンと弾けるタイプ(DV派)か全てを遮断するタイプ(ネグレクト派)か。

ここでネグレクト派の人は怒りによって物事を変えるという方法は向かないのではないかと思いました。

この2派の表現が悪ければ、仕事においてなどで、瞬発力を発揮できるタイプか持久力を発揮できるタイプか。又はアリ派かキリギリス派か。(イソップ寓話ではアリの方が良い、みたいな話になっていますが、アリタイプの私は才能溢れるキリギリスタイプにとても憧れます)

どちらかと言えば一つの事をコツコツと単調でもやって行けるタイプの私は怒りに馴染めないのではないかと気付きました。これが先日感じていた違和感の正体だと思います。
このタイプが物事を変えるには根気強くネチネチと、が向いているのではないか。

ここまで書いて気付いたのは、私は「怒り」とは爆発させる物と思っていましたが、よく考えるとずーっとフツフツさせる魔女の鍋のような怒りもありますね。

やはり怒りは物事を変えるのに有用なのかもしれません。怒りの表現方法は人それぞれですが、私は時間がかかってもネチネチとやって行こうと思います。

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