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日本語教育とナレーション

ナレーションを使った面白い授業をしている学校がある。神田生田にキャンパスを構える「専修大学」だ。1880年(明治13年)にアメリカからの帰国留学生4人が設立し、経済学と法律学が日本語で学べる国内初の教育機関として誕生した。令和の今では夜間部を含めた8つの学部で質の高い講義と国際交流を多領域で行い、2022年時点で17000人以上もの学生が通う。

2017年から外国人留学生を対象に、日本語学習の一環として始まったのが「ボイスサンプルプロジェクト」だった。ナレーターのボイスサンプルを学生が聴き、自分でも読みはもちろん、原稿作成やBGM選びなどを行い、ひとつのボイスサンプルを完成させる。制作の過程でネイティブな日本語表現を身につけることを目的としたプロジェクトだ。

本記事ではこのプロジェクトの発案者である王伸子先生に、授業でボイスサンプルを用いるようになったきっかけや、日本語学習にもたらすナレーションの効果を伺った。


王伸子(おう・のぶこ)/専修大学国際コミュニケーション学部日本語学科教授。1988年に筑波大学大学院修了後、名古屋大学総合言語センター非常勤講師等を経て、1991年から専修大学に着任。日本語教育学と音声教育を専門とし、ナレーションやボイスサンプルを基にした日本語教材への応用に取り組む。


王先生のプロフィールを教えて下さい

千葉県市川市の産院で生まれ、小学生までは柏市で、中学からは世田谷区で過ごしました。小さい頃から音楽を習っていたので、音感を鍛え「音を聞く」ことを習慣的にしていました。今、講義では日本語の音の高さやアクセントの違いを考え指導しなければならないのでこの経験はとても役に立っています。音声学の教授の中で過去に音楽を習っていた方は多いんですよ。

学校での「国語教育」と外国語としての「日本語教育」は全然違います。自分が大学生の頃は「日本語教育」という科目はなく、指導者の存在も知りませんでした。元々は外国語に興味があった人が海外に出入りして「日本語を教える選択肢もあるんだ」と気づくんです。今の中堅以上のほとんどの教員がそうだと思いますが、私も外国語が面白いと感じ色々学んでいった先で言語学への興味が芽生えました。

小学校から高校で学ぶ「国語」の授業は文学教育に比重が大きく、大学では作者が何を訴えたかったのか、作品の生まれた社会背景などを研究します。一方で「言語学」は言語そのもの。周波数の上下などのデータを集め、有意差があるかどうかを客観的に分析します。

「言語学」は構造主義です。ひとつの言語を、音声、言語の統語(文法)、語彙の意味、文字など、いくつかの構造で成り立っていると捉えます。中でも「音」というのは目で見えずその場で流れてしまうものですから、学ぼうとする人は少ないですね。聞いて違いが分かる人しか取り組まないし、例え興味があってもセンスや素質がないと深く追求するのは難しいんです。それはナレーターさんも一緒かもしれませんね。

研究室の本棚には音声学や日本語学に関する書籍が並ぶ


担当されている授業について教えて下さい

専修大学は特に日本語学に力を入れています。私を含め8人の日本語学専任の教授がいますが、言語学だけで異なる分野の専任教授がこれだけ揃う学校は他にありません。2020年には新たに「国際コミュニケーション学部」が設立されました。ここでは例えば三宅裕司さんが主催する劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」の方からは演劇を、TBSの制作会社「TBSスパークル」の方からはアナウンスと番組制作などを、日本語と絡めながら教えて頂きます。

またトップナレーターが集う「スクールバーズ」の講師陣に依頼し、田子千尋さん松田佑貴さん墨屋那津子さん岩居由希子さん藤本隆行さん逸見友惠さん目黒泉さん狭川尚紀さん片岡晟さんなど、一流ナレーターの方々にお越し頂いています。授業ではナレーターの養成ではなく、ナレーションの学術的な事柄を学びます。

一人の講師がナレーションを教える大学はあっても、様々なジャンルのプロのナレーションを学びの道具にしてシステマティックに学べる場所は本学だけだと自負しています。ぜひ多くの高校生や高校の先生方に、養成所や専門学校とは異なる一選択肢として知ってもらいたいですね。

千代田区神田神保町に位置する専修大学神田キャンパス


ナレーションを日本語教育に組み込もうとしたきっかけは何ですか

以前から音声学は研究していましたが、最初からナレーションに着目していたわけではありませんでした。たまたま10年ほど前にクラス会で会った同級生が、スクールバーズに通いナレーションを勉強していたんです。私が「ナレーターの平野文さん垂木勉さんと仕事でご一緒して...」と言ったら、ものすごくビックリされて。「えー!その二人は神だ!ナレーターからしてみたら、もうびっくりだ!」と(笑)

そこで初めて彼女からボイスサンプルを送ってもらい聴いてみたんですが、もう楽しくて!仕事柄今まで何百もボイスサンプルを聞きましたが、スクールバーズのサンプルって驚きと楽しさが詰まってるんですよね。彼女のものも本当に素晴らしくて、そこから「これは日本語教育に使える!」と閃いたんです。楽しいのはもちろん、一つの尺が短いからこそやってみたいと思う生徒もいると思いました。

その後、国からの科学研究費(科研費)が取れたのでボイスサンプルを使って研究をしたいと彼女に話したところ、「本物の人に相談しない?バーズの先生に聞いてみよう!」と繋いでくれて、バーズの義村透代表取締役に連絡を取ったところ興味を持って頂き、今の「ボイスサンプルプロジェクト」実践に至ります。

ご友人であり現在博士後期課程の院生でもいらっしゃる大塚明子(おおつか・めいこ)さん


「ボイスサンプルプロジェクト」について教えて下さい

ボイスサンプルが一体何なのか、ほとんどの人は知りません。カナダの友達は「ボイスサンプルって英語に訳せないよ」なんて言うほど。「声の仕事の人が作る名詞のようなもので、表現のエッセンスを詰め込んで配る」と説明してやっと伝わります。私も同級生と会うまでボイスサンプルのことを知りませんでしたから。

外国人の方は日本のアニメきっかけで日本語を学ぶ方が多いです。なのでアニメのセリフが日本語の教材になりやすく、色々な大学でアフレコ体験を実施しています。「了解っ!」「なるほど~!」といったセリフですね。ですがこれはキャラクターを際立たせる言葉であって、実用的な日本語からは遠い。それと比べるとナレーションってとても自然で日常的です。ボイスサンプルを用いたワークショップは香港、バンクーバー、カルガリー、トロント、シドニーなどで行いましたが、プロのナレーターの方がナレーションを実践するとどの国でも本当に喜ばれました。

香港でのワークショップの様子


動物行動学者・岡ノ谷一夫先生の「人間の言語習得はどこからきたか?」という研究の中で、真似をして鳴き方を覚える生き物はイルカ・クジラ・シャチと、ジュウシマツやウグイスなどの鳴禽類(めいきんるい)だけだと記してらっしゃいます。鳥類は雄のみが美しい声でさえずり求愛行動を行いますが、例えばウグイスの「ホー、ホケキョ」という鳴き声は親から教えてもらった鳴き方を練習して上達していきます。彼らは音声に関する脳発達が優秀で、聞いた音を脳の中で繰り返し再生することができるんですね。

スクールバーズでやってらっしゃるナレーションの練習方法はそれとよく似ています。自分が目指すナレーターを決め、録画・録音し、原稿を書き起こし、音や間の目印をつけつつ何度もそっくりそのまま真似して完コピを目指す。歌舞伎のように、自然に型が身についてから本家を乗り越えるべきだという「守破離」の考え方です。

声優とナレーターの違いについて、スクールバーズの講師の方が「声優は俳優だから、演じることが基本。ナレーターは演じるキャラクターの過程がなく、動画を説明する。ナレーターの表現の場ではなく、映像に注目してもらうための役割だ」と説明されていたのが印象的です。声優さんの場合だと、真似をしちゃダメなんですよね。声優の岩居由希子さんは「まずお芝居をたくさん見ることや、キャラクターに憑依して演じることが大切だと教わった」と仰います。ですがナレーターはキャラクターになるのではなく、モデルを作って練習し読み方を習得する。これは言語教育と通じる部分があると考えます。


参加する学生たちの反応はいかがですか

鳥も人間も覚える過程は同じとは言え、大学の研究では理論的枠組みや先行研究のリサーチ、自分なりの問題提起が求められます。また学習時には単語だけではなく文章全体を見て、日本語習得に役立つ語彙や重要なリズムを覚えてほしい。そんな研究や学習を継続するにはモチベーションや、「楽しい!」という気持ちはとても重要。楽しくないと文章をまる覚えできませんし、イヤイヤやったら上達しませんよ。

ボイスサンプルを授業に組み込んでからはみんな楽しそうですね。1年生の時には恥ずかしがっていたけれど、3年生になってからはカラオケに行ったり録音したりして声を出す機会を自主的に作る生徒さんもいます。彼は「コロナで人と会わなくなったから、日本語が下手になっちゃうと思って声を出して読んでみた。そうしたらスッキリして前向きになった」と話してくれました。

大学での「ボイスサンプルプロジェクト」授業風景


ナレーションとアナウンス・セリフは、言語学的にどう違いますか

研究時には「アナウンサーの方が説明的」「ナレーションだと感情がある」などの主観で判断するのではなく、音響分析するソフト”Praat”を使って差を調べます。これを使えばイントネーションやアクセントなどの音の高さ、時間の計測によるポーズ(間)などを分析することが可能です。

音声分析用フリーソフト「Praat」収録画面


実例として、アナウンサー3人、ナレーター3人、声優2人に同じ文章を読んでもらった実験では下記のような差がはっきりと出ました。

●一般人と比べると声のプロはポーズを長めにとる
●アナウンサーは助詞を言い切り、ナレーターや声優は伸ばしがち
●声優は、アナウンサーやナレーターよりも音の高低差が大きい

・・・これはあくまで結果の一部です。外国人の方は意味ではなく音で聞いてるから、日本人よりも日本語の音の長短や高低に敏感ですね。


伝わりやすい日本語とは何でしょう

誰が聞いているのかを考え、話すスピードをコントロールすることでしょうか。外国人の方を教えたり年配の方に接したりする時に、早口で話すと聞き取りづらく感じるそうです。強調したい固有名詞や数字の前では余裕を持ったスピードに落としたり、伝えたい箇所はゆっくり話したり、というのは使えるテクニックですよね。学生にも「自分の名前を言う時には苗字と名前を区切ると、聞いてもらいやすくなります」とアドバイスをしています。

それから、これは5月から情報解禁をしたばかりなのですが…2023年4月から大学院文学研究科日本語日本文学専攻「プロフェッショナルコース」を作ります。アナウンサー、ナレーター、小説家などの言葉のプロフェッショナルの方を対象に、日本語について研究するコースです。入学時には研究計画書とプロとしての経歴書を提出して頂ければ、通常の専門科目試験は免除!

日本語を新しい側面から捉え直すことを目的に、トレーニングや講義を受講するのではなく、担当教授と相談をしながら論文を作成・発表して頂きます。もちろん通学中は専門科目も受講可能で、スクールバーズさんの「日本語表現論」、TBSスパークルさんの「メディア日本語論」など様々な授業があります。また、修士課程日本語学コースに入って博士課程まで進めば博士号も取れますし、何と言っても年齢に関わらずなんでも学割が使えます(笑)プレイヤーだけでなく指導者としての道も将来的に広がると思いますので、ぜひたくさんの方に、改めて「日本語」を大学院で学ぶ機会を手に入れて頂きたいです。

これからも「HITOCOE」ではナレーターに特化した上質な記事を連載予定です。今回の記事を気に入っていただけたら、スキやフォロー、サポート(投げ銭)を頂けると幸いです。いただいたサポートは、今後の活動費として役立たせていただきます。

専修大学国際コミュニケーション学部日本語学科教授・王伸子(おう・のぶこ)

千葉県出身。1988年、筑波大学大学院・地域研究研究科地域研究専攻日本語教育コース修了。名古屋大学総合言語センター非常勤講師等を経て、1991年から専修大学に着任。日本語教育学と音声教育を専門とし、ナレーションやボイスサンプルを基にした日本語教材への応用に取り組む。

○ホームページ:「専修大学教授・王伸子」
○Twitter:@shinkowang

ライター・日良方かな(ひらかた・かな)

都内FMラジオ局&Voicy「毎日新聞ニュース」パーソナリティー。ナレーターとして自宅に「だんぼっち」改造の録音ブースを完備し宅録にも対応。だんぼっち組立の様子をブログにしたところGoogle検索「だんぼっち 照明」で1位を連続獲得中。「ハンドメイド」に特化したポッドキャストを毎月配信中。

○ホームページ:「宅録ナレーター 日良方かな」
○Twitter:@hirakata_kana
○ポッドキャスト:「日良方かなのハンドメイド工房」


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