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実家に帰った話①


2020年4月、緊急事態宣言が出た。
仕事はすべてテレワーク。
近くのスーパーへの買い物さえも、毎日いくのはリスクが高まるという風潮。
いろいろ億劫になり、食事はUberEatsで済ませることが多くなった。



幸か不幸か、仕事は忙しかった。
コロナによるオンライン対応に奔走する日々。
食卓はPCの前が定位置になりつつあった。 

仕事が終われば、オンラインで世界と繋がり続ける毎日。

そこは世界から取り残されることの焦りと、怖さがあったのだと思う。



元々、過ごす時間に意味付けをするタイプだった。  

何もしない時間は「なにもしない」をする時間であるし、
今日という日をどれだけ自分の中で昇華させられるかで、日々を過ごしていたのだと思う。

そんな中での「なにもしないこと」を強制させられる時間

することがない人はいいよな、なんて、
穿った見方さえも出るくらい参っていたんだと思う

ベランダと机との、10mの世界。


ふと、実家に帰ろうと思った

1人暮らしのマンションで2週間自主隔離のち、弟に車で来てもらって実家に戻った


そこには、暮らしがあった
部屋からは海が見え、庭には花が咲いている
数十平米の世界の中に、生産と消費があり、生活があり、「今」があった



自分が行っていた暮らしも、一つの暮らしの形ではあったかも知れない
けれど、世界の中で生きることって、暮らすことってこういうことなのかなと。


大学入学と同時に下宿を始めたから、それ以来数日間以上過ごしたことはない実家
定期的には帰っていたが、お客さん感もあったし、誰かと住むというの自体も実質うん年振りだった 

昼食をつくったり、買い物を手伝ったり

1人の生活ではない
誰かのための生活に関わるということは
こういうことなんだと
これが人と暮らすことなんだと再認識した


あとは、家族を家族たらしめているものはなんなんだろうという
漠然な思考が生まれ始めていた。

②に続く


かもしれない



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