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クラスの話

私の卒業した高校では毎年クラスTシャツを作っていた。体育祭の軍の色に、胸元にはそのテーマやモチーフ、背中にはクラス全員の名前がデザインされている。体育祭では各々決まった衣装を作るため、クラスTシャツは文化祭や球技大会のためのものであった。

2年の文化祭、私たちのクラスは…何をやったんだったか全く覚えていないが(こういうことを言うと母に怒られるのだが、高校時代は嫌な思い出が多く、脳がどうでもいい記憶を負担になりすぎないようそっと削除してくれたらしい)、とにかく放課後、私は疲れ切って机に突っ伏していた。
一方他の女の子たちは、自分の着ているクラスTシャツに、クラスメイトからコメントを書いてもらうという思い出作りに熱中していた。私はそれをぼんやり見つめていた。
こんな人間にも一応友人(?)はいるわけで、「(私)も書いてよ!」と何人かにリクエストされた。ペンを渡され、背中を向けられ、いざ書こうという時になっても、書きたいことも何もない。彼女らはきっと“全員”にコメントを書いてもらうことが目的だろうし、ただのクラスメイトである私個人のコメントなんか絶対要らないだろうし、何より彼女らの輝かしい思い出作りに貢献できる気がしなかった。結局先に書かれていた他の子のコメントと同じようなことを適当に書いた。「ありがと!」と言って次の相手に向かっていく彼女らの背を見送った。
ちなみに「(私)にも書いてあげる!」と言われ、絶妙に味のある絵を描く、言ってしまえば画伯と呼ばれる女子が、Tシャツの前面に大きなキリンを描いた。彼女は嬉しそうだった。同じくキリンを描いてもらった他の女の子たちも「何これー!」と嬉しそうだった。私も笑っておいた。なんだかとても疲れた。そっと教室を出て部室に向かった。

そもそも、クラスメイトというものに愛着が湧かない。一緒にいたい人間くらい選びたいし、クラス全員で何かをやるのが楽しいという奴は頼むから私を巻き込まないでほしい。
小学校でいじめがあった時も、中学に素行不良の生徒が多く荒れたときも、教員は必ずと言っていいほど「クラスメイトなんだから仲良くしないと」「周りにいる奴が説得すれば状況はきっと変わる」と口にした。私はそれが嫌いだった。クラスメイトというだけで責任を平等に押し付けられている気がした。
母にこうした考えを話したこともあったが、「それはあなたの考え方のせいじゃない?」と言われもう相談しなくなった。彼女が教員だからだろうか。クラスに溶け込もうとしない私が悪いのだろうか。

少林寺拳法部の部室は中庭のコンクリート小屋だった。誰もいなかった。部活が始まるまで小一時間ある。ドアを開け放して中に敷いてある畳に寝転んだ。ハンガーに部員の道着が掛かっている。引退した先輩たちの道着が掛かっていたところだけぽっかりと空いていた。入ってくる風が心地よかった。
部活が好きだった。クラスメイトという面倒な縛りもないし、先輩も後輩も好きだった。波長の合う同級生も多い。だから部室が一番好きな場所だった。
しばらくして、「おお」と少し驚いたような、でも想定内だったような声をあげて部長が入ってきた。
「早かったね」
「疲れるわ、教室にいるの」
「私も」
彼女は笑った。
私の青春はこれでよかった。



3年の球技大会。私たちのクラスの男子バスケチームが優勝した。白熱する決勝戦。クラスメイト全員で体育館のギャラリーから応援していたのだが、優勝が決まった瞬間、皆走ってギャラリーから降り、高校野球やサッカーの試合よろしく彼らを取り囲んでわーっとやり始めた。
完全にタイミングを逃したのもあるが、私にはできなかった。というより、やりたくなかった。
写真部の生徒がその輪を撮っていた。優勝チームのTシャツを着た奴が一人ギャラリーに残っていては目立つし、クラスの士気も下げる。黙って部室に向かった。部室には誰もいなかった。

しばらくして部長が入ってきた。
「いると思った」
「うん」

3年になって彼女とは同じクラスになった。彼女は輪に入るのが上手い。だがあくまで“ふり”が上手いだけで、根底の部分は私と似ていた。素の彼女は静かな人だった。

生徒玄関の入り口の自販機でジュースを買った。彼女はスプライト。私は炭酸の林檎ジュース。部室に戻った。廊下は静かだった。上の階や体育館からはたくさんの声が聞こえた。

「一口ちょうだい」
「口付けちゃったよ」
彼女は軽度の潔癖症だった。
「まだ飲んでないって言ってくれれば大丈夫だから」
「なんだそれ」
一口ずつ交換した。
「美味しい」
「私も今度これ買お」

インターハイが迫っていた。私たちは引退間際だった。