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タピオカの話

タピオカが流行っている。都会ではもう時代遅れなのかもしれないが、私の地元ではタピオカドリンクの専門店が次々にできては女子高生やら若いカップルが集まっている。キラキラだ。なんと眩しい。

私が初めてタピオカに出会ったのは高校2年の文化祭だった。タピオカミルクティーを販売するクラスがあり、友人が行きたいと言ったのでそれに付き合って私も注文した。第一印象としては「蛙の卵みたい……」である。この感覚は田舎者特有なんだろうか。気になるところだ。

そもそも、当時の私はタピオカが何であるかを全く知らなかった。だから某蒟蒻ゼリーのようなもちもちとした食感だとか、吸い込みやすいようにストローが大きめに作られているだとか、そんなことも知らなかったのだ。私は何も考えず、ただ普通の飲み物を飲むようにミルクティーを吸い込み、

信じられないほどむせた。

それ以来タピオカに若干の恐れを抱いたまま今日に至る。




閑話休題。


タピオカが好きかと聞かれたら、私は好きでも嫌いでもないと答える。入っていても気にせず食べられる(ようになった)し、美味しいといえば美味しいかもしれないなあ、なんて思ったりしている。しかしわざわざ行列に並んでまで飲みたいと思わないし、新しい店ができたからといって足を運んだりもしない。タピオカに執着する女子学生たちを世間では冷めた目で見ることが多くなったように思うが、彼女たちも執着しているわけではないのかもしれないし、純粋に美味しいと思うから飲む人もいるだろう。写真を撮るだけ撮って中身を捨てるようなマナーの悪い人に対しての冷めた目だとは思うが、あまりにも流行りすぎたためかタピオカそのものに軟弱なイメージがついてまわっているような気がしてならない。

世間では、なんて他人事を言ってみたが。



先日某珈琲ショップに入り、ほうじ茶ラテを注文した。メニューには「タピオカほうじ茶ラテ」とあった。値段は変わらないがタピオカ抜きもできるらしい。タピオカは嫌、という訳ではないので、そのまま「タピオカほうじ茶ラテ」を注文しようとした。その時。私の後ろに30代くらいのスーツ姿の男性が並んだ。彼が視界に入った。途端。私は「タピオカ抜いてもらえますか」と言った。

???

自分でもびっくりした。タピオカ、食べたくなかったわけじゃないのに。どちらかと言えばその日は食べたい気分だったのに。


きっと後ろの男性に、「タピオカを選ぶ=ミーハー」だと思われたくなかったからだ。そんなこと彼はきっと、いやほぼ確実に考えていないし、私のオーダーなんて耳にも入っていないだろう。しかし私はそれを恥ずかしいことだと思ったのだ。

店に並ぶ女子学生やカップルたちを1番馬鹿にしていたのは私だった。



無意識の偏見、無意識の差別というものは必ず存在する。無意識であるが故にそれを自覚するのは非常に困難で、さらにその正義に基づいた行動をとってしまえば、人を知らない間に簡単に傷付けてしまう。

彼女たちを見る時、私は一体どんな顔をしていたのだろうか。





主張と受容のバランスがきちんととれてこそ立派な大人です。

タピオカ、また食べに行こう。