見出し画像

初めての一人暮らしで病み散らかした話

2024年2月下旬。一人暮らしを始めた。

前回の記事でお話したように、大学進学のため東京で一人暮らしをしていたが1年後には実家に戻り、その後はそのまま実家暮らしだった。およそ10年振り、大人になって初めての一人暮らし。

"子供部屋おばさん"
そんな言葉に心がギュッとなりはじめた今日この頃。どうも意地の悪い言葉だ。
「大人になって実家に暮らすなんてありえない」
という考えの人がいることも知っている。それは“あくまで自分の立場なら”で話す人もいるし、それに加えて実家暮らしの他人を“常識から外れた人間”と怪訝な目で見るタイプもいる。

私は
「実家暮らし続けられる環境ならそっちのほうがいいやん」
派である。職場や友人が近くに在り、ストレスの少ない実家であればわざわざお金のかかる一人暮らしをする必要なんてないと思う。もしそういった条件がすべて揃っていればあえて家を出る選択はしなかったと思うし、実家暮らしを揶揄する人間のことは正直好きではない。他人の暮らし方にケチつける権利など誰にもないから。家にお金は入れるし家事もするけれど、そりゃ一人暮らしと比べれば格段に実家暮らしの方が楽なので、あえてそちらを選択する方が賢い場合もある。

一人暮らしを始めた理由はいくつかある。(そもそも仕事場が変わるタイミングだからというのもあるが、実家暮らし継続という選択もできなくはなかった)

  • 都会まで遠い不便さ…楽しいことはだいたい都会にある

  • 家族との暮らしに対するストレス…筆者は大きい音が苦手だが人は簡単に変わらないので家族に配慮を求めることは非現実的など、家族にまつわる理由はほかにもある

  • 実家暮らしであることへの後ろめたさ…胸を張って実家で暮らせば良いだけだがやはり気にはなる

家探しから引越しまでは怒涛の日々だった。(割愛)
そして引越し翌日、病み散らかした。自分はこんなにも弱いのかと痛いほど感じた。

まず起きてから、部屋に積まれたダンボール20箱をひたすら開けて片付けることを繰り返した。まともに食事も取らずひたすら動き続け、気付くと夜になっていた。朝から顔も洗わず髪も梳かさずパジャマから着替えることもなく、水分や食事すらまともに取っていなかった。目の奥が重い感覚を見て見ぬふりしながら作業を続け、ふと我に返ったとき、目の奥に溜めていた涙が溢れた。行き場のない片付けかけの大量の荷物と衣装ケース、慣れない場所にやたらと広く感じる部屋。片隅に座ってひとしきり泣いた。珍しく“寂しい”と心底感じた。

私はひとりであることに耐性があると思っている。耐性…というよりむしろひとりの時間が好きで、そんな時間が大切で、楽しめるタイプだ。だから驚いた。正直自分がこんなに寂しがり屋とは思っていなかったから面食らった。しかしいま思えば、19歳のあのころ東京で一人暮らしを始めたときは本当に寂しくつらかったと思う。大人になり行動範囲が広がり、望めばどこにだって行ける自信がついた今でさえこんなに寂しいのだから、初めての一人暮らし、東京に一人きりで右も左もわからない、それまで狭い世界で生きていた自分が平気だったかと考えると…過去の自分を抱きしめてあげたいくらいだ。

涙が乾いたらお腹が減ってきた。お菓子を貪り食って溜まっているドラマを観て、片付けを再開した。その翌日から仕事だったため、どうにか生活できるところまで片付けたかった。その日のうちにようやく足の踏み場ができたが、あれから数日経った今もまだダンボールは残っているし物の住所も決まっていない。

翌日、仕事に行くと見慣れた顔。前日のつらさを打ち明けると、心休まる言葉と笑顔に救われた。私は昔から決して他人に弱音を吐かないタイプだが、最近はあえて弱い部分をさらけ出すようにしている。ここ数年は、ちょっとした愚痴もコミュニケーションには必要なのだと理解し始めた。

まだ片付けは終わっていない。とりあえずダンボールから出しただけのものが雑に並んでいるが、寂しさのピークは越えたと思う。お風呂場の排水溝を掃除したり、浴槽にアヒルを浮かべてみたり、駅からの帰りにケーキを買ってみたり、そういう余裕も出てきた。

ただ、洗い物だけは苦手だ。とにかく洗いたくない。コップやお皿を洗うのが面倒すぎる。食器を洗うだけでなく排水溝やシンクの掃除もついてくるから、それ込みで苦手。水周りは特に常に綺麗な状態を維持しておきたい気持ちが強すぎてつらい。次の楽天セールでは絶対に食洗機を買おうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?