衝動性のお話。
いつも読んで下さる皆さん、ありがとうございます。
TwitterやらのSNSをウロウロしてると、時々、"衝動性"と言う言葉を見かけます。
ただ、何となく"衝動性"が本来の意味から離れて使われていることも多いように感じます。
①そもそも衝動性とは
衝動性と言われると、”喧嘩っ早い"、“すぐキレる”、”ヒステリック”と誤解している方が多いと思います。
でも、実は本来、衝動性は全く異なるものです。
感情的に昂りやすく、怒りっぽいことは”易怒性”と呼び、『感情制御が難しい』ことを指します。
”衝動性”は『行動制御の困難』です。
あくまで、行動のコントロールの問題なのです。
衝動性とは何なのか、そしてそれを意識することがなぜ大切なのかを述べたいと思います。
②行動とは?
行動の問題について考える時、まずは”行動”を定義することが大事です。
心理学の世界において、”行動”は何らかの”刺激”に対して、生物が行う反応を指します。
”刺激”は個体の内部、外部どちらでも生じ、感覚や感情、他の個体や環境からの情報など様々です。
学問としての行動分析学(応用行動分析や哲学としての徹底的行動主義を含む)では思考や認知も行動として解釈します。
現場では『見えて、聞こえて、数えられるもの』として取り扱うことが多いと思います。
感情は行動を誘発する『刺激』であり、行動には含みません。
③行動制御の困難〜衝動性の実際〜
ヒトが何らかの刺激を受けた際、まずは『感覚』と『感情』が引き起こされます。
引き起こされる感情については、ここで以前のnoteに書いた”認知の歪み”も少し関連が出てきます。
コーヒーが好きか嫌いか、相手に元々持っている色眼鏡があるかないかで感情は大きく変わります。
感覚や感情は湧き上がるものなので、基本的にコントロールは難しいことが多いのです。
苦手なコーヒーを出されたことに”怒り”の感情だけが突出して強く惹起される人は”易怒性"の高い人ということになります。
しかし、易怒性が高くても、行動制御ができるとトラブルは起こりません。
不快な感情や感覚から、攻撃的な不適応行動を起こすのを『止められない』ことが”衝動性”なのです。
衝動性とは”待てない・止められない”こと。
④衝動性の難しさ
衝動性が高いことは、何故問題になりやすいのでしょうか。
それは他の特徴と掛け合わさってしまうことがとても多いから。
集中力がない人と衝動性が掛け合わされると、『やるべきことをやらず・やらなくていい余計なことをする』になります。
こだわってしまう人と衝動性が掛け合わされると、『相手が困惑していても、こだわりを押し通す』ことになります。
そして感情が不安定な人と衝動性の掛け合わせは『感情に任せて、しなくていい攻撃をする』ことになるのです。
いずれも衝動性のコントロールができていれば、
ゲームが好きでも勉強ができる
こだわりがあっても相手に配慮して止められる
不快な感情が生じても不要な喧嘩は避けられる
で済みます。
⑤SNSと衝動性
『わきまえない』を自称する人々を見ていると、自己の衝動性を正当化しているように感じます。そして、それは、とても危険な選択だと思います。
『過剰な感情表現を抑え、丁寧な言葉で表現すること』が大事な理由のひとつとして、文章を推敲するプロセスで衝動性をコントロールできるからです。
かつて『この指止めよう』と言う活動がありました。
思想や価値観にまで範囲を広げたことや、発案者のアレコレなどで消えてしまった運動ですが、衝動性にコミットするのなら考え方としては”あり”です。
人のコミュニケーションは交流分析の概念でも『等価交換の法則』に従うので、相手を尊重した振る舞いには敬意・感謝が返ってきますし、衝動的な暴言や攻撃には、同じものが帰ってきます。
相手が男性だから、マジョリティだから、自分達の怒りや言葉を塞ぐことは差別だ、トーンポリシングだと言う人もいますが、そもそも一方的な価値観を強いられる苦痛を相手に強要するのもされるのも妙な話だなと思います。
『マジョリティからの理不尽な弾圧』と『自ら行った攻撃への反発』をごちゃ混ぜにしてバックラッシュと表記することも、本来のバックラッシュの言葉が軽く薄いものになる原因だと思うのです。
TwitterはSNSの中で一番難しいなと思います。
140文字という制限の中で、文章を書くことは、背景の説明が十分にできません。
そして、”バズる”ことを目的にすると、殊更に扇情的で攻撃的な表現に陥りやすいのです。
せっかくのSNSなので、楽しく建設的な交流ができると良いなぁと思います。
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