未来が過去を変質させる 『マチネの終わりに』を観て

人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?

原作のあるお話を映画化することは、やっぱりハードルが高いんだな。原作をすきすぎて辛口言うことを許してほしい。限られた時間で展開しなきゃなのは重々承知だけど、余韻なくストーリーがずんずん進んでって、置き去りにされてしまう感覚が強かった…そして、その割にラストが冗長。

前半のましゃが蒔野じゃなくてラジオで聴く、ましゃそのものすぎるし(それでもかっこいいのは認める)、原作の台詞を大事にしすぎているのか蒔野と洋子の台詞が読んでいるように聞こえる。そういう意味で前半は演技が気に食わなくてしんどかった。後半からは慣れたのか滑らかになったのか、気にならなくなった。

先に映画を観てから、原作を読みたかったかもしれない!でも読まずに観たらますます、ついていけなかったかもしれない!
原作の、(真にひとを愛するとは…)を考えさせてくれる部分が薄くて残念に思う。
しっかり泣きながら観たけど。

原作と映画では微妙に三谷の行動が変わる。わたしは原作の方がまだ、三谷を、より好意的に受け止められる。映画の方が、なんかこう、三谷のことを、嫌い、とも、許せない、とも違って、…じゃりじゃりするというか…!言葉にするの難しい。
何故、そこで真実を告白するのか…理解したくない。この部分に関する感想はひとによって違うんだろうか。
桜井ユキさんの演技はすごくはまっていてすごく良かった。

クラシックギターを聴きながら美しい街並みを観るというのは良い時間でありました。

#マチネの終わりに #福田進一

サポートをもらえたら、大きな冷凍室のついた冷蔵庫に買い換える資金にするか、文庫本を1冊買います。