ヒットのメカニズムがわかるようになる『ヒット商品分析図鑑』 #4 ファミコン
「スーパーマリオブラザーズ」「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」など、数々の人気タイトルとともに大ヒットした伝説の家庭用ゲーム機、ファミコン。
そんなファミコンが大ヒットしたのは、ゲームセンターなどですでに人気だった「あるゲームタイトル」を家庭用にしたことと、当時の社長のあるこだわりがきっかけであることを知っていますか?
【1】ファミコンについて
1. 商品名・サービス名
ファミリーコンピュータ(略称・略記はファミコン/FC)
2. 発明年・発明者
1983年 任天堂
3. 概要
ファミリーコンピュータは、競合製品と同価格帯にありながら、非常に高い性能のハードウェア、任天堂自身の優れたソフト開発力、サードパーティ開発による豊富なラインアップにより、他機種を圧倒する人気を博していました。
ファミコンの販売台数は国内外合わせて、累計6,000万台以上という空前の大ヒットを記録しました。
【2】SCAMPER解説
ファミコンが発売される1983年より前のゲーム業界では、1978年発売のスペースインベーダーを皮切りに、「アーケードゲーム」がブームとなっていました。
(出典:Wikipedia)
日本中のゲームセンターやゲーム喫茶にゲームの筐体(きょうたい)が置かれ、子供から大人までが熱中していました。そのブームによって、日本銀行が100円玉を追加製造し、100円玉の年間製造枚数が倍になったとまで言われています。
しかし、ゲームをやりたいがゆえの恐喝などの事件も増え、全国の小・中学生のゲームセンターへの立ち入りが禁止となる事態が起こりました。
そんな中、1983年にファミリーコンピュータが発売されました。
当時のファミリーコンピュータは、その時アーケードゲームとして絶大な人気を誇っていたタイトル、「ドンキーコング」「ドンキーコングJr.」などがローンチソフトとして移植されたことで、飛ぶように売れていきました。
(出典:失われた「50m」とは!?『ドンキーコング』意外と知らない7のヒミツ)
ゲームセンターに立ち入りできなくなった小・中学生が、家庭でもアーケードゲームと同じようなゲームを遊ぶことができるようになったという意味では、ファミコンが登場したインパクトは大きかったと考えられます。
このように、アーケードゲームで人気のタイトルを家庭用にAdapt(適用)したことが、ファミコンが大人気となった一つの要因でした。
また、ファミコンの人気の要因は、魅力的なタイトルのソフトがあったことだけではありません。
当時の任天堂の社長である山内氏は「本体価格を1万円台に抑える」という方針を出していました。しかし、だからといって、競合他機種との差別化のためにクオリティを下げようとはしませんでした。
そんな中、下記の3つの工夫を行なったことにより、「高品質」かつ「低価格」を両立することに成功し、一般ユーザー層の取り込みに成功したのです。
1.グラフィックに重点を置いたCPU
それまでのゲーム機はパソコンのCPUをベースに作られていましたが、任天堂はグラフィックの処理速度が速いCPUを作り上げることで、アーケードゲームのほぼ完全移植を実現しました。
「スーパーマリオブラザーズ」のような動きの激しいゲームでも、滑らかなグラフィックで、しかもそれが家庭でもプレイできるようになったことは画期的でした。
(出典:思い出のファミコン)
2.コントローラーを「ジョイスティック」から「十字キー」へ
従来のゲーム機の定番だった「ジョイスティック」を
・子どもが踏んづけても安全で壊れない
・ジョイスティックより安価に製作可能
という理由から「十字キー」へ変更しました。
3.最も安価だったプラスティックのカラー(=白赤)を採用
コストを抑えるため、当時プラスティックの中で最も安価に入手できた白と赤の二色が、ファミコンの本体カラーとして採用されました。
このような様々なModify(修正)によって、ファミコンは「低価格」と「高品質」を両立し、不動の人気を得る家庭用ゲーム機となったのです。
◾️ファミコンをSCAMPERに当てはめると
Adapt(適用する)
「ドンキーコング」などアーケードゲームで人気だったタイトルを家庭用にAdapt(適用する)した
Modify(修正する)
「高品質」かつ「低価格」を両立するために、CPU、コントローラー、材質など様々なModify(修正する)を行なった
【3】補足
ゲーム好きの間でファミコンの手柄であるかのように思われていますが、実はそうではない発明がいくつかあるため、ご紹介したいと思います。
1. Modify(修正する): カセット交換型のロムカセット方式の開発
昔はゲーム機にあらかじめ内蔵されたゲームしかプレイできませんでしたが、カセットが交換できるロムカセット方式により、一つのゲーム機で複数のゲームがプレイできるようになりました。
ロムカセット方式を最初に取り入れたのは、1976年にアメリカで発売された「チャンネルF」でした。日本では1977年に輸入販売されましたが、本体価格は128,000円と高いものでした。
(出典:ファミコンやSFCカセットでおなじみの「ゲームカートリッジ」発明秘話)
2. Adapt(適用する): PCの世界で使われていたサードパーティ開発という概念を、ゲームの世界に適用
「サードパーティ」とはPCの世界でよく使われていた概念で、ゲーム機本体を開発するメーカーとは別の、ソフトウェアのみを開発するメーカーのことを指します。
日本初のサードパーティはハドソンで、ファミコンソフト「ナッツ&ミルク」というタイトルのソフトを販売していましたが、それより先に、米国アタリ社が開発したゲーム機「Video Computer System」が最初にサードパーティという概念をゲーム界に適用していました。
(出典:Atari 2600 VCS - Video Computer System | Famicom Dojo)
【4】おわりに
ヒット商品分析図鑑では、今後も世の中のヒット商品をSCAMPERに当てはめて解説し、ヒットの法則に迫っていきます。
ヒット商品分析ラボは、「ヒット商品を分析することでヒットの法則を探究する」をテーマに様々な勉強会やワークショップを行なっています。
これからも良質な学びが得られる記事をたくさん投稿していきますので、興味がある人はぜひnoteのフォロー・スキをよろしくお願いします。
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