ジャッキー・チェンと勝負する(34)

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1978年の作品「龍拳」 ロー・ウェイ傘下時代のカンフー映画。古いねえ

撮影されたのは「ドランク・モンキー」と同時期らしいけど、香港での公開はやや遅れたとか。ロー・ウェイか、ジャッキーか、どちらか(あるいは双方)が不満を持っていたんだろうな。この時期は、いろいろあったらしいから。日本での公開はさらに遅れて1984年になってから。

この「龍拳」は、カンフーものの定番の「復讐もの」なのだが、少々複雑なストーリーだ。

冒頭、武術大会で優勝したジャッキーの師匠が、お祝いの席に殴りこんできたライバルに殺される(卑怯な手でやられたと師匠は言っているが、そうは見えないぞ) 数年後、孤児の自分を育ててくれた恩を忘れず、師匠の復讐を誓ったジャッキーは、師匠の妻と娘(ジャッキーを兄と慕う)をともなって、ライバルの道場へと乗りこむ。だが、相手はすでに改心していた。壮絶な形で詫びを入れられ、師匠妻のとりなしもあって、しぶしぶ許してやることになるが、今度はこのライバルが悪玉に狙われる。師匠妻の病気などの事情から、ジャッキーはやむをえず、この悪玉のもとで働くことになるが……

見終わった感想は「スッキリしないな」に尽きる。なんかモヤモヤしたものが残る映画なのだ。

カンフーアクションそのものは悪くない。ジャッキーに明るさも笑顔もないのに違和感を感じるが、アクションの設定やキレはいいのだ。ラストの対決など、なかなかのスピード感と迫力がある。このへんは、さすがに練達ロー・ウェイとジャッキーの組み合わせだ。なのに、映画全体に漂うのは、なんか「面白かったぞ」と割り切ることのできないモヤモヤ

その正体は、このややこしすぎる設定だろう。

だいたい、ジャッキーの師匠からしてなんか悪役っぽいし、そのライバルも最初は完全に悪人として出てくるのに、いくら改心したからといって、簡単にカンベンしてやっていいのか。そのうえ、最後はジャッキーが、必死になってかつての仇を守る格好になるのだから、そりゃあモヤモヤするわな。劇中のジャッキー自身も、なんかモヤモヤしてるように見えるし。

おまけに最後にはけっこう悲惨な結末を迎えるので、悪玉を倒してメデタシメデタシという爽快感も、なし。ううむ、モヤモヤする。

なんでこんなことになったんだろうか?

いまから思えば、ロー・ウェイはロー・ウェイなりに、考えていたのだろう。

ワンパターンに陥りがちなカンフー映画のストーリーに新機軸を持ちこもうとしたのかもしれないし、ジャッキー・チェンの俳優としての将来を考えて、彼の役柄に幅を持たせようとしたのかにも見える。

しかし、とくに「スネーキー・モンキー」後の明るいジャッキーがすでに定着した段階でこの「龍拳」を見たわれわれの印象が、やっぱり「このジャッキーは違う」だったのは仕方がない。とくに、公開が遅れた日本では違和感が大きかった。

そしてその違和感は、時を経た現在にこの映画を見ても、やっぱりモヤモヤと漂っているのだ。その後のジャッキーが成長し、多くの役柄をこなすことによって演技の幅を広げたのは言うまでもないのだが、とはいっても、消えない違和感だ(第一、完全・二枚目のジャッキーが成功しているかというと、それには「?」がつくしね)

逆に、たとえばの話、もっと悲壮感のある俳優がこの主人公を演じていたら、映画の出来ばえも違っただろう。ブルース・リーだったらとか、ティ・ロンだったらとか、ジミー・ウォング……ではダメか。その点では、このストーリーのほうも不幸だったのかも知れない。

いろいろあったんだろうが、この映画はジャッキーが主演すべきではなかった映画なんだと思った。

結果論かもしれないが、やはりロー・ウェイはジャッキーの魅力の本質をつかみ切れていなかったのだろう。そしてこの作品が大成功に終わらず、ジャッキーがロー・ウェイのもとを離れたのは、その後の歴史を見れば、逆に幸福なことだったんだろうなと、今では思えるのだ。

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