さらば職人監督

去る4月20日、ガイ・ハミルトン監督が亡くなった。93歳だった。合掌。

なんといっても、私のオールタイムベスト「007/ゴールドフィンガー」(1964年)の監督さんである。忘れられるわけがない。

その後も007シリーズでは、「ダイヤモンドは永遠に」「死ぬのは奴らだ」「黄金銃を持つ男」を監督し、計4本を担当。これは、シリーズのスタートを担当したテレンス・ヤング、中期を支えたルイス・ギルバートの3本を上回り、ロジャー・ムーア→ティモシー・ダルトン期に連続登板したジョン・グレンの5本に次ぐ登板数である。まさに「007請負人」

じつは、ガイ・ハミルトン、この「請負人」というフレーズがよく似合う監督なのだ。

そもそも「ゴールドフィンガー」も、その前に007スタイルを確立していたテレンス・ヤング監督の強い影響下にあった。いやいや、そこは「あえて真似をした」ということだ。ようやく形になってきたシリーズのスタイルをあえて崩すことをプロデューサーが許すはずもないし、何らかの事情で登板できなかった前任者のスタイルを「真似しろ」と命じられたガイ・ハミルトンが、みごとにその仕事を全うしたわけだ。ちなみにシリーズ次作の「サンダーボール作戦」にはヤングが再登板したが、みごとなまでに「ゴールドフィンガー」から地続きになっていた。

この腕は、やや間を置いてからシリーズに3連続登板した際にも発揮される。

再登板初作の「ダイヤモンドは永遠に」は、スタイル的にも興行的にも振るわなかった前作「女王陛下の007」の失地を回復するべしというミッションを課せられていた。そのためにボンド役も2代目のジョージ・レイゼンビーから初代のショーン・コネリーに戻されたのだから、監督にもシリーズ初期風に作り上げることが求められたわけだ。ガイ・ハミルトン、このミッションをきちんとこなしていた(映画としての出来栄えはまた別な話)

このミッションは、ボンド役が3代目のロジャー・ムーアに交代した次作「死ぬのは奴らだ」と「黄金銃を持つ男」でも同じだっただろう。007シリーズが今日まで長く続いたのは、興行的にも内容的にも、最も苦しかったこの時期(1970年代前半)を乗り切ったことが大きい。その功労者の一人がガイ・ハミルトン監督だったということだ。

007シリーズ以外のガイ・ハミルトンの監督歴を見ても、こうした使われ方が多いのがわかる。

「史上最大の作戦」の空軍版ともいうべき戦争映画の大作「空軍大戦略」、「オリエント急行殺人事件」「ナイル殺人事件」の後を受けたクリスティー映画「クリスタル殺人事件」「地中海殺人事件」、名作「ナバロンの要塞」の20年後の続編「ナバロンの嵐」など、「後を受けて」の仕事が多いのだ。オリジナリティや、派手な個性がないといえば、そうも言える監督なのだ。

だがこれを、見下したり、ダメあつかいするべきではない。プロである職業映画監督にとって、「後を受けての仕事」を、余計なことはせずにきっちりできるのは、立派な資質である。

ガイ・ハミルトンは、大きな仕事をきっちりこなす手腕を持った、大いなる職人監督だったといえよう。映画というものの歴史は、じつは彼のような職人たちに支えられているのだ。

あらためて、冥福を祈りたい。合掌。

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