プロの証明
映画監督で脚本家の松山善三さんが亡くなった。合掌。
まあ私のような下賤な映画ファンには、あんまりご縁のある方ではなかったが、ひとつ、よく覚えていることがある。
1977年のこと、角川映画は「犬神家の一族」につづく第2弾として、森村誠一原作の「人間の証明」を映画化することになった。
その際、原作を脚色した脚本が一般公募された。これは画期的なことだ(と同時に、考えてみれば、ずいぶん無謀な企画だ)
当時大学浪人中だった私は新聞などにも出た公募広告を見て、ちょっとやってみようかと思い、ひそかに原作を買って読んでみたものだ。まあ脚本の何たるかもわかっていない若僧の手に負えるものでないことは、さすがにすぐわかったが。
そうした、素人と世間の「話題性」に頼ろうとした製作陣の姿勢が腹に据えかねたのか、あるいはプロ意識が騒いだか、当時すでに脚本家デビューから20年以上のキャリアを持ち、映画監督でもあった松山氏は、敢然とこの公募に応じた。
結果は言うまでもなかろう。
その審査結果に、私はプロ脚本家の、プロとしての意地を見た思いがしたものだ。
のちに映画雑誌に出た松山氏のエッセイで読んだが、複数の重層的なストーリーを持つ原作の仕組みを解明して脚色するために、彼は原作本を購入して、それをバラバラにし、登場人物ごとに仕分けして、整理したという。
なるほど、そうすればいいのか、これぞ脚色術の極意だなといたく感心した。これは真似してみるべきテクニックだなとつくづく思ったものだが、ボンクラな私には、その後この極意を実践する機会はついぞなかった。
ところで、この「人間の証明」は、映画の企画から製作準備、撮影、そして公開までを一連のイベントとして見せた、最初の映画だったと思う。脚本公募は、その一環だったのだ。
角川映画第1弾の「犬神家の一族」は、公開のかなり前から書店の大きなスペースを、漆黒の背表紙の角川文庫版・横溝正史作品が埋めつくしていた。いまではごく普通の宣伝手法なのだが、当時は非常に新鮮だった。
このへんで「角川映画は、普通の日本映画とはちょっと違うぞ」というイメージを作り上げていた。
ついでこの「人間の証明」での一連のイベント戦略。
いまから思えば、こうしたイメージ作りこそが「角川映画」そのものだったのだろうと思う。
このあとの「野性の証明」では、クライマックスのエキストラを一般公募し、そして何よりも「薬師丸ひろ子」という逸材を発掘、売り出すことに成功。そのことも「角川映画」の「ブランドの証明」となっていった。
その後は毀誉褒貶があったが、この一連の戦略は、それまでの日本映画の宣伝や広告の常識を覆したと思う。それだけでも、角川映画の歴史的価値はあったのだろう。
あ、作品そのものの出来栄えとか価値とかは、また別な話ですからね。
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