プロレスリング004

あっ、ハンセンだ!

プロレスには数多くのギミックがある。「カウント5以内の反則はOK」とか「ロープに振られると必ず跳ね返ってくる」とかね。

なかでもプロレス以外ではほとんど見られないのが「乱入」というやつ。

いや他のスポーツでもありますよ。プロ野球で酔っぱらったオッサンがグラウンドに入り込んだりとか、ほら今年のサッカーワールドカップの決勝でもあったよね。

ちなみにプロレスでもそういうのはあって、私が見た中で最高ケッサクだったのは「ビッグマッチのリング上を試合中にネコが横切った事件」 あれはSWSだったかな。

そういうのじゃなくて、きちんと(?)プロレスという競技の一部に組みこまれている「乱入」である。

その試合に関係ない選手が試合に介入する、その日に出場予定がない選手がいきなり会場に現われる、などなど手口はさまざまだが、おおむね「乱入」から「乱闘」へとなだれこみ、「次回に続く」になるのがふつう。

そうした「乱入」の史上最高傑作を、私は今から30年以上前に目撃した。

事件が起きたのは1981年の12月13日、会場は蔵前国技館。全日本プロレスの年末恒例「世界最強タッグ決定リーグ戦」の最終戦だった。私は学生プロレスの仲間とともに蔵前の二階席に陣取っていた。

この前日の横須賀大会までのリーグ戦の星取り状況を見ると、前年度優勝チームであるジャイアント馬場&ジャンボ鶴田師弟コンビと、ドリー・ファンク・ジュニア&テリーファンクザ・ファンクスが共に勝ち点11でトップ。次いでブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ鋼鉄野獣コンビタイガー・ジット・シン&上田馬之助凶悪コンビが勝ち点10で追走。最終戦のカードは、セミファイナルが師弟コンビ対凶悪コンビ、メインイベントがザ・ファンクス対鋼鉄野獣コンビ。勝ちは2点、時間切れ引き分けは1点、負けと両軍リングアウトは0点なので、この4チームに優勝のチャンスがある状態だった。

おおかたの予想通り、セミの馬場・鶴田組とシン・上田組の一戦は大乱闘の末に両軍リングアウトの痛み分けで、ともに勝ち点の上積みに失敗し、優勝はほぼ消滅。じつはこの試合後に、シリーズ中からシンといがみあっていたザ・シークがリングに殴りこむ乱入劇もあったのだが、これは今ではすっかり忘れられているだろうね。

この結果、メインで勝ったチームが優勝という、出来過ぎな状況が実現し、館内は興奮度マックス。

大歓声のなか、まずはファンクスが入場。当時全日本プロレスでは人気ナンバーワンのベビーフェイスコンビ。まだまだブロディ組よりは格上のイメージだったので、優勝はファンクスだろうというムードが支配的だった。

ブロディのテーマ曲である「移民の歌」が流れるなか、ブロディとスヌーカが花道から姿を現わす。次の瞬間、われわれの目に飛び込んできたのは、二人の後から歩いてくるテンガロンハットの大男だった。

あっ、ハンセンだ!

その瞬間の大騒ぎは、今でも忘れられない。

全日本プロレスのライバルである新日本プロレスのエース外人であるスタン・ハンセンが、突如として出現したのだ!

当時の日本の男子プロレスには、この全日本と、ライバルの新日本プロレスの二つしか団体がなく、互いに敵視しあうライバル関係。それぞれのバックについたテレビ局のメンツもあって、戦争状態が続いていた。そのため、所属選手はもちろん、それぞれの団体にやってくる外人レスラーも完全に囲い込まれていたのだ。

そんななか、この年の5月に、全日本のエース外人だったアブドーラ・ザ・ブッチャーが突如新日本に引き抜かれたのを皮切りに、壮絶な外人引き抜き戦争が起きていた。(このへんは「1981年の大戦争」を参照

その新日本の看板外人レスラーがいきなり現われたのだから、大騒ぎになったのも当然だろう。

じつは予兆はあった。新日本はこの数日前に年末シリーズの「MSGタッグリーグ」を終了させていたのだが、そこにエースとして参加していたのがハンセン。シリーズを打ち上げたハンセンは帰国せずに、この前日の横須賀大会に来場し、控室のブロディを激励していた。その様子が、この日のスポーツ新聞に報じられていたのだ。

ただ、いまとは時代が違う。いまだったらSNSなどでたちまち拡散されるような情報だが、当時はプロレスを報じるスポーツ新聞は、朝刊のデイリースポーツと夕刊の東京スポーツのみ。なので、この会場に来ていた観客の大部分はこのことは知らなかったと思うし、私のようにその記事を読んでいても、「ハンセンとブロディは大学時代からの友人だからついでに激励したんだろう」くらいにしか思っていなかったのだ。

騒然とする中、試合開始。

当初はおとなしくセコンドについていたハンセンだったが、試合終盤、テリーとブロディが場外乱闘となり、ドリーが必殺技のスピニングトーホールドがスヌーカにがっちりと決めた瞬間に、動いた。

パートナーが場外で相手をクギ付けにし、リング上では必殺技を決める。これはファンクスの必勝パターンだった。だが場外乱闘のさなか、ブロディがテリーをホイップすると、ハンセンがダッシュ一番、必殺のウェスタンラリアットをテリーに叩き込んだのである。すさまじいパワーで放たれたその一撃は、その後も含めて、ハンセン史上最高の一発だっただろう。

昏倒するテリー。完全に戦闘不能だ。

事態を察したドリーはスヌーカを放してしまい、仕留めそこなう。一気に形勢は逆転。2対1になったドリーを捉えたブロディ・スヌーカ組は攻勢に転じ、ブロディの必殺キングコングニードロップでドリーを沈めた。

優勝は、ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカの鋼鉄野獣コンビ!

その後は、激怒した馬場と鶴田がファンクス救出に乱入し、延々と大乱闘が続いた。

プロレス史上に残る大乱入劇は、こうして幕を閉じたのだ。

もちろん、これが仕組まれたハプニングであることは、いうまでもない。だが、わざわざそんなことを詮索するのは野暮というものである。

でも実際のところ、その場に居合わせた者の立場でいわせてもらえば、そんなことはどうでもいいのである。

ハンセンが現われたときのショック、テリーをぶっ倒したときの興奮。

これこそが、プロレスでしか味わえない最高にエキサイティングな瞬間なのだ。こればかりは、他のスポーツではありえない興奮だろう。

その後、スタン・ハンセンは全日本プロレスの常連メンバーとなり、20年以上にわたって日本のプロレス史にその名を刻んだ。長い長いハンセンのプロレス人生の中でも、いちばん強烈な瞬間は、この乱入劇だったのではないか。

ちなみに、この年の最強タッグには天龍源一郎阿修羅原のコンビが初出場している。後年、全日本のリングに革命を起こした龍原砲の記念すべき第1歩でもあったのだ(ただし1勝しかできなかったが)

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