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オレの傍役グラフィティ「ジョン・クエイド」

今回の主役はジョン・クエイド(John Quade) いろいろ紹介するよりも、このツラを拝んでいただくのがいちばん手っ取り早い。

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脂ぎった丸顔、陰険そうな細い目、この写真ではわからないがハゲデブ

こういっては申しわけないが、何をどうしても女にはモテそうもない

そのかわり、一目見たら忘れそうもないツラ構え。これは傍役俳優としてはたいへんな財産だろう。

私がこのクエイドくんのことを初めて認識したのは「大いなる決闘」(1976年)からかな。もちろん悪役。

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チャールトン・ヘストンの元保安官のもとに、かつてムショ送りにしたジェイムズ・コバーンが脱獄してお礼参りにくるという、名作「真昼の決闘」そのままのストーリーラインを使い回したウェスタン。

もはやウェスタン映画なんて滅んだものと思われていたこの時期に、けっこう真っ向からウェスタンを作った心意気は大いに買うものの、中途半端に当時の現代色を盛り込んだために、なにやら切れ味が悪くなった映画だった。

その「現代色」の最たる部分が、誘拐されたヘストン元保安官の娘(バーバラ・ハーシー)がレイプされるシーンで、伝統的な西部劇では絶対的に避けられたような展開になる。

クエイドくんは、このレイプ野郎の一人だった。コバーンとともに脱獄して子分となる囚人連中の一人なのだが、無法者ぞろいの脱獄グループの中でも、性欲剥き出しで目立ちまくって観客のヒートを買う役回り。グループの中には、サント映画でおなじみの(オレには)ホルヘ・リベラや、このすぐ後にTV「白バイ野郎ジョン&パンチ」で人気者になるラリー・ウィルコックスもいたりするのだが、欲望剥き出しで、ボスのコバーンに制されなければ暴走必至の地雷野郎で頭ひとつ抜けていた感じ。こいつを制御して使いこなすコバーンのボスぶりも迫力があったわけだが。

傍役、悪役なんてのは、観客に嫌われてナンボのもの。その点、クエイドくんはその役割を十二分に果たしたといえよう。

それまではテレビでの傍役出演などが多かったようだ。フィルモグラフィを見ると「ボナンザ」「ロックフォード氏の事件メモ」「刑事コジャック」などに顔を出していたようだが、覚えてないや。

じつは私がこのクエイドくんを初めて見たのは、これより以前の「スティング」(1973年)だった。

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ここでのクエイドくんはしがない殺し屋。組織の命令でロバート・レッドフォードの詐欺師を襲撃するが失敗し、ボス(ロバート・ショウ)から叱責されるだけ。セリフはあるが、出番はほんのわずかで目立つとは言い難い役だが、その出演シーンよりも、レッドフォードがこいつの顔写真を見せられるワンカットだけでけっこう記憶に残る。ここで、あのご面相がモノを言っているわけだ。

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ボスに怒られてショボン

「大いなる決闘」で好評(?)を得たらしいクエイドくんがプチブレイクを果たすのは、この後。クリント・イーストウッド「ダーティファイター」(1978年)で、いい仕事をするのである。

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ここまで「ダーティハリー」のイメージが強くてハードアクション系の役が多かったイーストウッドが、心機一転したのか、突如としてコメディタッチの人情ドラマに方向転換した作品だ。

アメリカ社会の下層のほうで、ストリートファイトで稼ぐイーストウッドにさまざまなクセモノが絡むドラマだが、クエイドくんが演じるのはブラックウィドーと名乗る暴走族チームの親玉。ちょっとしたイザコザからイーストウッドを逆恨みし、チーム総出でしつこくケンカを売ってくるので、ある意味ではこの映画最大の悪役ってことになる。

とはいっても間抜けな暴走族で、イーストウッドはもとより、相棒のジェフリー・ルイスや、その老母のルース・ゴードンにもコテンパンにやられる始末で、そのやられっぷりが映画の楽しい見せ場になっていた。

それなりに目立ったし、けっこう観客の受けもよかったのだろう。1980年に製作された続編「ダーティファイター/燃えよ鉄拳」にも同じ役で出演した。

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高額賞金のかかったストリートファイトに向かうイーストウッドに、しつこくしつこくケンカを売り続けるのだが、またしても連戦連敗。ヒドイ目に合わされても、まったくめげないタフぶりを発揮した。

ただけっきょく、イーストウッドと和解してグッドガイっぽくなってしまったのが惜しまれる。どうせなら徹底的に嫌なやつをつらぬければよかったと思うのだが。ここがこの映画の弱点で、最後はみんなイイやつになってしまうのが甘かった。

ま、シリーズもこの2作だけで打ち止めになったし、これはこれでよかったのかな。

じつはイーストウッドとはこれ以前にも「荒野のストレンジャー」「アウトロー」で共演しているので、仲よしだったのかもしれない。とはいえ、それ以外には共演もないので、イーストウッド一家の一員とまではなれなかったようだ。

1938年生まれだから、このころは40代くらい。年齢的にはまだまだここからだと思うが、残念ながらこの後はB級作品やテレビばかりが多く、再び傍役人生まっしぐらで、センターに飛び出すことはついになかったようだ。1990年代くらいまでは出演作があったが、その後は名前を見かけることもなくなった。2009年までは存命だったのだが。

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アメリカ社会の歪みを具現したような役柄を得意とした……なんてカッコつけることもできるが、まぁ本人にもそんな意識はなかっただろう。傍役人生を楽しく過ごしたんだろうなぁ。

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