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史上最強の大関カド番

来月は大相撲春場所が始まる。

またしても異例の東京開催となって大阪の相撲ファンには気の毒だが、今はとにかく開催されるだけでもヨシとしければならないだろう。

さて、そんな春場所の注目点のひとつが、初場所を2勝8敗5休で、今場所はカド番を迎える大関・貴景勝だ。

ご存知のように、負け越したら番付降下の大相撲の世界でも、大関は2場所連続で負け越さないかぎりは陥落しない特権がある(横綱は番付降下なし)  そこで、負け越した翌場所を、もう負け越したら後がないという意味で「カド番」と呼ぶのだ。

貴景勝のカド番は、これで3回目。一昨年夏場所の大関昇進からわずかに11場所で3度目だからちょっとばかり多い気がするね。一度は陥落しているし。

先の初場所では、揃って前年最後の九州場所を途中休場した、同じく大関の朝乃山正代もカド番だったし(どちらも無事に切り抜けたが)、どうも最近は大関のカド番が多くなっているような気がする。

気がしているだけではしょうがないので、ちょいと調べてみた。

大関が2場所連続で負け越したら降格という規定は、昭和2年(1927年)の東西合併とともに確立されたものだそうで、もうじき100年の歴史を持っている。

その後、昭和33年(1958年)に本場所が年間6場所制になった際に、これでは過酷だということで3場所連続負け越しで降格と改められた。

それが昭和44年(1969年)に再び2場所に改定され、そのときに降格した場所に10勝すれば特例で即大関復帰という規定が追加されて、今日に至っている。

昭和初期には制度そのものの運用が不明確で、場所数も場所の日数も違うので、いちおう戦後(昭和20年以降)に誕生した大関たちを対象に、カド番の回数などを調べてみた。数え違えてたら、ごめん。

この間に誕生した大関は、昭和20年秋場所昇進の照国から令和2年九州場所昇進の正代まで78人。これらの大関たちが迎えたカド番は、春場所の貴景勝のカド番までで177回を数える。本場所が415場所あったのだから、おおよそ2~3場所に1回は大関がカド番を迎えていた計算になる。けっこう多い感じかな。

カド番が極端に少なかったのは、昭和33年から44年までの11年間。3場所連続負け越し規程の時期で、この間にカド番は8回しか発生していない。そのうえ、昭和37年名古屋場所の琴ヶ濱から昭和42年名古屋場所の豊山までの5年間は、大関カド番は皆無だったのだ。ま、当たり前か。

この3場所連続負け越し時期に、それでも大関陥落の憂き目を見たのは昭和33年九州場所の͡琴ヶ濱と昭和36年九州場所の若羽黒の2人だけ。

この時期を特別とすると、大関カド番がなかった年というのは、昭和57年と58年の2年間だけなのだ。むしろこちらが特異年だろう。

というように、大関カド番というのはさほど珍しいことではなく、特にここ最近がことさらに多いわけでもないようだ。現役大関陣、安心したまえ

そんなわけで、大関に在位しながらカド番を一度も経験していないのは、78人の大関のうち25人だけなのだ。

その偉人たちの名を列記すれば、照國、千代ノ山、鏡里、栃錦、若乃花(初代)、朝潮 (3代)、柏戸、大鵬、北葉山、佐田の山、栃ノ海、栃光、玉乃島(玉の海)、輪島、北の湖、若三杉(2代目若ノ花)、千代の富士、隆の里、大乃国、北尾(双羽黒)、北勝海、旭富士、武蔵丸、朝青龍、鶴竜

ここ最近成績がふるわず、横綱審議委員会に睨まれたりして、なんとなく横綱カド番みたいな、現役の鶴竜だが、大関としてはカド番なし。記録王の白鵬よりも、ここだけは上回ってるぞ(そうなのか?) ちなみに白鵬は平成19年初場所に一度だけカド番を経験している。

この錚々たるカド番なしの面々、3場所制下の北葉山栃光をのぞけば、残り全員が横綱昇進者であり、しかも比較的短期間で大関を通過して横綱に昇進しているのだ。さすが

逆にカド番回数が多い方を見てみよう。

史上最多はカド番14回を記録する千代大海、次いで13回の魁皇、9回の豪栄道、8回の栃東が続く。上位の2人は大関在位65場所の超長期在位だし、豪栄道と栃東も30場所以上大関に在位している。

カド番5回以上が上記4人のほかに9人いる。名前を挙げると、小錦、琴欧洲、琴奨菊(以上7回)、武双山(6回)、大麒麟、貴ノ花(初代)、若嶋津、照ノ富士、貴ノ浪(以上5回)だが、おおむね長期にわたって大関をつとめている。在位最少は現役の照ノ富士の14場所。そして、この中に現在のところ横綱昇進者はいない。

横綱昇進者でカド番経験が多いのは、3回が最多で、琴桜、三重ノ海、3代目若乃花の3人。いずれも大関在位が長く、土俵生活の晩年に昇進を果たしたので、結果的に横綱としては短命に終わっている。

というふうに見てくると、やはり大関カド番なんてのはなるべく経験しないに越したことはないということか。まぁケガが原因では致し方ないのだが。

そうそう肝心なことを忘れるところだった。

そんなカド番場所で大関たちはどんな成績を残しているのか

負け越したら大関から陥落するのだが、その陥落を味わったのは34回で、30人(陥落決定で引退したものを含む) カド番発生の177回のうち34回で大関が陥落しているのだから、けっこうカド番の危険性は高いことがわかる。陥落率は20パーセント弱だ。

これら陥落組の30人のうち、魁傑、貴ノ浪、栃東、栃ノ心の4人は2度の陥落を経験している。

ただし、2度陥落しているということは、一度は大関に返り咲いているということだから、それはそれで凄い。とくに魁傑は翌場所10勝の特例昇進ではなく復活したのだからなおさら凄い。そして栃東は、ただ1人2度の大関復活を遂げているのだ。これも大変な偉業だろう。

とはいえ、こんなことにはならないよう、貴景勝は気をつけてくれよ。

そんな危険なカド番場所で好成績を残す例もけっこうある。なかには、カド番場所で優勝した例もあるのだ。

さすがに数は少ないが、8例あった。

初代・貴ノ花(昭和50年秋場所)、小錦(平成元年九州場所)2代目・貴乃花(平成6年初場所)、千代大海(平成15年春場所)、魁皇(平成13年名古屋場所)、栃東(平成18年初場所)、琴欧洲(平成20年夏場所)、豪栄道(平成28年秋場所)。

おお、貴ノ花は親子でカド番優勝を成し遂げているぞ。その息子のほうをのぞけば、残りはいずれもさっきのカド番回数上位の面々。うん、カド番も積み重ねれば、いいこともあるということだ。

成績で言えば、なんといっても抜群なのは豪栄道。前記した平成28年秋場所の自身4回目のカド番で、15戦全勝優勝を達成したのだ。これはほかに誰も出来なかった偉業だ。

ちなみに、平成6年名古屋場所に初のカド番を迎えていた若ノ花(3代目)14勝1敗の成績を残しながら優勝できなかった(優勝は全勝の武蔵丸) 14勝もしたのに優勝できなかったこと自体がレアだし、そのうえ貴重なカド番優勝を逃がしたのだから、さぞや痛恨の思いだっただろう。いやカド番を切り抜けたんだからいいのか。

まあほとんどの場合、カド番場所での大関は苦戦することになるようだ。ケガ明けがほとんどだから当然だろうが。

177回のうち、82回はカド番脱出に成功してはいるものの、8勝ないしは9勝どまり。大関のノルマといわれる2ケタの勝利を挙げることは出来ていないのだ。勝ち越せたから、結果オーライでいいんだけどね。

ということで、悲喜こもごもの大関カド番なのだが、貴景勝はこの苦しいであろう場所を是非とも切り抜けて、ついでにカド番優勝も成し遂げるよう頑張ってください。

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