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未発売映画劇場「ワンス・アポン・ア・タイム/黃飛鴻傳」

2014年に書いたこちらの記事きみは真の黄飛鴻(ウォン・フェイフォン)を見たか?をたくさんのかたに読んでいただいています。ありがとうございます。

で、そのなかで元祖・黄飛鴻の関徳興(クワン・タッヒン)が主演した黄飛鴻映画について「100本ほどもある」「その大半は散逸して見られない」とか書きましたが、書きっ放しで気になったので、チェックしてみました。

まずは「100本ほどもある」の検証。

最初の黄飛鴻映画については、文句なしに1949年の「黃飛鴻傳(上集/下集)」なのですが、その後何本作られたかは、諸説ありますね。

香港ムービーデータベース(http://hkmdb.com/db/index.php)とウィキペディア中国語版でコツコツ数えましたが77本くらい(やっぱり曖昧) というのも、タイトルに「黄飛鴻」が謳われていても、実際には関徳興はゲストやカメオ出演だったりするので、実際に見てチェックしないとわからないですよね。そんな暇はまだないし(笑)

いちおう最後の作品は1980年の「黃飛鴻與鬼腳七」らしいんですが、あれそうするとジャッキー・チェンが「ドランクモンキー 酔拳」(1978年)で黄飛鴻を演じたあとにもシリーズは作られていたのか。関徳興は1905年生まれなので、このころ75歳だったはず。当時まだ20代のジャッキー演じる黄飛鴻と比較されたら、それはしんどかっただろうな。

さてその77本ほどもある(曖昧でスマン)関徳興主演版・黄飛鴻映画の大半が散逸し、失われているというのはいかがなのか。

これが実はそうでもないらしい。

たとえば、その記念すべき第1作「黃飛鴻傳(上集/下集)」も、じつはDVD化されていたらしいのです。このジャケット写真がその証拠。

とはいっても、このソフトも現在は入手困難なようで、まあ幻に近いのかな。

そう思って必殺技、YouTubeで探してみたら、あれれちゃんとあるじゃないですか。なので、さっそく見てみました。

配信されているのは、どうやらテレビ放送を録画したもののようです。モノクロ画面の右上に、香港のテレビ局・翡翠台のマークがカラーでちゃんと入っていますから。

「上集」と「下集」が別々にアップされています。ただ謎なのは、「上集」には英語字幕があるのに、「下集」にはないこと。別々に録画されたものなんでしょうか。さらにいうなら、クレジットされているタイトルは「上集」「下集」とも「黄飛鴻正傳」ですが、資料によるとこのタイトルも含めて複数のタイトルがあるそうです。まあそんなことは映画界の常識ですが。

そして長さから見て、どちらもある程度のカットがあるようです。そういえば「上集」はメインタイトルがかなり省略されていました。そして、画質はかなり劣悪。そもそもデジタル以前のアナログ放送時のモノでしょうし、元のフィルムの状態もかなり悪いことが察せられます(昔の名画座並みに「雨が降る」状態) コマの脱落もかなりあったようです。

画質が悪いせいもあって、一番弟子の梁寬を演じる曹達華(チョウ・ダッハー)も、悪役の石堅(シー・クエン)も出てきてたはずなのに、よくわかりませんでした。まあ二人ともものすごく若いころのお姿だろうし、メイクと照明のおかげで、ほとんど白塗りに見えるせいもあるんですが。

「上集」には「鞭風滅蠋」というタイトルもついています。キックの風圧でロウソクの火を消し飛ばす技のことらしく、そういえばそんなシーンがありました。ストーリーはごくシンプルで、人妻に横恋慕した悪役(豪商らしい)が彼女を誘拐したのを、黄飛鴻が弟子たちを率いて救い出すというだけのお話。完全な勧善懲悪もの。

「下集」は「火燒霸王莊」 「炎の王者」くらいな意味でしょうか。黄飛鴻のことを指しているのかな。お話は、悪党にさらわれた娘を、黃飛鴻が弟子たちを率いて救い出すというもの。あれれ、「上集」と同じみたいだな。まあストーリーが重視されるような映画ではなかったんでしょうね。

黄飛鴻の有名な弟子たち(梁寬、凌雲階、猪肉栄、鬼脚七ら。なぜか十三姨はいなかった)もちゃんと出てきてるようですが、十把ひとからげで出てくるので誰が誰やらはよくわかりませんでした。

なにしろ1949年の作品ですからねぇ。いま見るとかなりの古さを感じます。

それも無理もないことでしょう。香港は1945年の太平洋戦争終戦まで日本の占領下にあって、その時期にはまったく映画製作は行なわれていませんでした。なので、そのわずか4年後はまだ復興期だったのでしょう。

当時の香港映画界は、上海から来た映画人と、もともと香港にいた映画人が対立し、前者は北京語で、後者は広東語でそれぞれ色合いの違う映画を作って競い合っていたとか。この「黄飛鴻」シリーズは、その広東語映画陣営のエースだったそうです。

で、その古臭さというのは、たとえば野外ロケはほとんどなくて、すべてスタジオ、それも狭い場所での撮影であることとか、ストーリーの進行とは関係なくカンフーの演武や歌舞謡曲が差し込まれ、そのためにテンポがめちゃくちゃに緩いとかに、起因するのでしょう。

たとえば「上集」は、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」でもおなじみの獅子舞の演舞から入るのですが(あちらほど大規模では、もちろんないです)これが長い! 約5分ほどひたすら獅子舞を鑑賞させられます。

主舞台のひとつが黄飛鴻の道場(ちゃんと「寶芝林」の看板あり)なのでカンフーの演武も登場するのですが、これもむやみに長い。ただしメインタイトルのクレジットを見ると、これらはどうやらホンモノの黄飛鴻の弟子が演じているらしく、そういう意味では貴重なのか(黄飛鴻自身は1925年に没しているが、この時期にはまだ直弟子たちが健在だった)

で、肝心のカンフーファイトですが、じつはこれにいちばん「時代差」を感じさせられます。

なんといっても、テンポがスローなのです。

前述したように、ホンモノの黄飛鴻の弟子が関わっているし、関徳興自身も武術を習得しているので、リアルといえばリアルなんでしょう。とはいえ、そう思ってみないと、香港の朝の公園で年寄りたちがやっている太極拳を見ているような気になってしまいます。

こうしてみると、ブルース・リーやジャッキー・チェンたちの「カンフーアクション」が、いかに革命的だったかがよくわかります(ほんとは彼らの前に剣戟映画で革命を起こした巨匠・胡金銓〔キン・フー〕が開祖なんでしょうが)

ということで、後年「スペクターⅩ」で関徳興・老師がご披露くださったカンフーを「お年のせいでいささか情けない」などと書いたことを訂正します。お年のせいではなく、もともとあんな感じのものだったんですね。

で、肝心の関徳興が演じる黄飛鴻はというと、かなり微妙

というのも、私たちが見慣れている、ジェット・リー(李連杰)が演じた、あの黄飛鴻とはかなりイメージが違うからです。まあそれも当たり前で、この時の関徳興はすでに41歳(前述したように1905年生まれ) 対してジェット・リーが黄飛鴻を最初に演じたのは、28歳の頃ですからね。風貌も面長の関徳興は、どちらかといえば二枚目ではないですから(失礼)

ただ、義を重んじ、悪を許さず、毅然とした師父ぶりと、こと女性に関してはメロメロのオクテぶりを発揮するあたりは、後年のジェット・リーとほぼ同じ。なるほど、あのキャラクターは黄飛鴻のデフォルトなんですね。

というように、現在の眼で見ると、やはり古臭く、フィルムセンターで見るような資料的ありがたみしかないようなこの「黄飛鴻傳」ですが、そうはいっても、世界で同一の主人公を最も多く演じた俳優としてギネスブックに認定されている関徳興とシリーズです。じっさい30年余にわたって香港映画界に君臨してきたのですから、この後の諸作でどう変化してきたのか、ブルース・リー以後の時代の変化の影響があったかなかったのか、などと興味深い点がまだまだあります。全部を見るのは難しいでしょうが、追っていってみたいと思います(また悪い癖が)

そしてもうひとつ宿題が。

黄飛鴻といえば欠かせないのが、あの勇壮な主題曲「黄飛鴻のテーマ

もともとは「将軍令」という中国の古謡(「三五七」という題もあり)に、黄霑が歌詞をつけて「男兒當自強」とし、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」シリーズの主題歌としてヒットさせたものですが、じつはそれ以前からずっと黄飛鴻のテーマ曲として使われています。ジャッキー・チェンの「ドランクモンキー」でも流れますね。「ゴジラ」に伊福部昭のあのテーマ曲がないと始まらないのと同じようなものでしょう。

これは資料によると、この関徳興のシリーズから使われていたということですが、今回見たこの「黄飛鴻傳」では使われていません。少なくとも私の耳にあのテーマは入ってきませんでした。

してみると、シリーズが製作され続けている間のどこかから、「将軍令」が使われだし、それが「黄飛鴻のテーマ」になっていったんでしょう。それはいったいどこからなのか

ほーら、またひとつ、映画の底なし沼が(笑)

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【おまけ】関徳興の写真は著作権的に無理そうなので、ホンモノの黄飛鴻・師父のお写真をウィキペディアさんから拝借してご披露(著作権フリー)

もっともこの写真、出所が少々怪しくて、一説には息子の黃漢熙のものともいわれてます。

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