旅行でとらぶる(2)香港は遠かった

結婚して1年が経った頃(つまり前回のトラブルから1年後)、性懲りもなくまた海外旅行に行きたいねということになって、出かけることにしました。

今回の旅行先は、香港。

その時になぜ香港をチョイスしたのかは、今となっては謎なんですが、その後何十回となく訪れるくらい気に入った町になりました。

さて、その香港旅行に出発の日。

飛行機の出発は夕方だったので、自宅で夫婦で昼食をとってから出かけようということになって、テレビなど見ながら飯を食っていました。

そこへNHKニュースが。

  香港の啓徳空港で、中華航空機が着陸失敗事故

ええ?

当時の香港の国際空港は、現在はもうない啓徳(カイタック)空港。何せ、香港の街から目と鼻の先にある利便性に富んだ空港で、このあと何度も訪れることになる、われわれ夫婦は成田空港の次のおなじみになったところです。

しかし、このときは、そのニュースが何を意味するのか、ピンときませんでした。でもその後にすぐ「事故があったんなら、空港は閉鎖されてるんじゃないのか?」「じゃあ、香港に行かれない?」

そこで、旅行会社に電話(このときも、ツアー旅行を利用していました)

旅行会社のほうでも、どうなるか事態を把握できていなかった模様で「とにかく予定の集合時間に成田まで来てください」とのこと。

じゃあ飛べるのかもしれないね、などといいつつ、家を出て成田空港へと向かいました。

空港の集合場所におもむくと、すでにほかのツアー客も集まっていて、ガヤガヤしています。やがて係員がやって来て、事の次第を説明し、指示してくれます。

どうなるかわからないが、とりあえずチェックインを済ませてください。

じゃあ飛ぶのかな、と思ってスーツケースを預け、搭乗券を手にしました。

ところが、ここからが長かった。待てど暮らせど、搭乗のご案内はなく、いたずらに時が過ぎるばかり。当時はまだ成田空港のターミナルは改装前で狭く、見物する場所もそうそうあるわけじゃない。退屈な待ち時間のつぶしようもない状態。

けっきょく夜もとっぷり更けたころ「今日は飛びません」

航空会社の説明によると、明朝いちばんに臨時便を飛ばすので、それまでのホテルをご手配しました、これからご案内しますので、明朝までお休みください、とのこと。

で、大型バスが手配されていて、搭乗客(予定)一同で大移動。

成田市内のホテルにでも行くのかと思ったら、バスはどんどん戻って浦安へ。けっきょく、東京ディズニーランド(当時はまだランドだけしかなかった)の横にある、東京ベイ第一ホテルにご一泊となりました。今は名前も変わっているらしいのですが、けっこうな高級ホテルです。しかもわれわれ夫婦が割り当てられたのはゴージャスなスイートルーム。その後も含めて、こんな豪勢なホテルに泊まったことはありません(おまけにまったくの無料)

とはいえ、到着したのは深夜。おまけに「明朝5時にモーニングコールがあります」 いろいろあってくたびれていたせいもあって、シャワー浴びて即沈没です。

ここで貴重な教訓を得ました。

スーツケースをチェックインしてしまったわれわれは、手回り品しかもっていなかったのです。着替えも洗面用具も、すべてそのスーツケースのなか。つまり、替えのパンツ一枚ないわけです。これはまいった。

以後、旅行の際には、必ず最低限の着替えや洗面用具は手回り品に入れておく習慣が身につきました。

そんなこんなで、なんとか翌日、夜明け時の成田を飛び立ち、無事に香港へ。

なるほど、到着した啓徳空港の滑走路は高層ビル群ギリギリのところにあって、まさに翼がかすめんばかり。当時は「世界一着陸が難しい空港」の異名を取っていたのも納得でした。その滑走路の脇に、くだんの中華航空機がうずくまっていたのは言うまでもありません。

その後も、足しげく通った啓徳空港ですが、1998年に閉港。現在は赤鱲角(チェックラップコク)空港に移転し、綺麗で立派な空港になっています。

ただ、香港市街から遠くなったのがちょっと難(とはいっても成田よりはよっぽど近いです)

啓徳空港に着き、タクシー乗り場から「旺角の××ホテルへ」と告げればものの10分ほどで到着した、あの便利さはなくなりました。

いまでも、ちょっと昔の香港映画を見ると、啓徳空港がよく登場しています。そのたびに、あの猥雑で狭苦しく、でもなんか懐かしい空港と、最初に訪れたときのドタバタを、思い出すもんです。

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