360分3本勝負!

私が映画を見はじめた昭和のころ、すでに洋画ではほとんどなかったが、まだ邦画は2本立て上映だった。あれがなくなったのは、いつごろだっただろう。

「多羅尾伴内」+「最も危険な遊戯」

「黄金のパートナー」+「乱れからくり」

私が大学映研時代に見て、作品の出来とバランスがよくて印象に残った2大番組がこれだった。あれ、どっちも松田優作が絡んでるな。

まあ、私は邦画はそれほど見るほうではなかったので、こんなもんだが、洋画の名画座では2本立てや3本立てをよく見た。

高田馬場のワセダ松竹、池袋の文芸坐、飯田橋の佳作座といった名画座の名門も、みんな2本立てだった。

1本興行は、当時は新宿ローヤルくらいだったかも知れない。

だが、私が圧倒的に好きだったのは3本立ての名画座。

当時すでに3本立ては少数派だったと思う。レギュラーでやっていたのは、テアトル蒲田(ここはたまに4本立てもあった)や立川のなんとかいう名画座(館名失念)、あとは私がもっとも頻繁に通った浅草の名画座だ。

いまはもう見る影もないが、当時の浅草映画街(浅草六区)には、まだ映画館がけっこう残っていた。そのうち洋画の名画座は、東京クラブと浅草中映。そしてともに3本立ての興行を行なっていた。

土地柄なのか、その上映作品のほとんどは刑事ものやウェスタン、SFといった、俗にいうドンパチ系の映画ばかり。上映本数が多いためか、ほかではめったに見られないレアな作品がよくかかったので、せっせと通ったものだ。現在の私の映画的血肉になっている作品のほとんどは、ここの小便臭い客席で見たものだ。

けっこうスゴイのは、この両館では3本立てに、しばしば「バルジ大作戦」とか「アンツィオ大作戦」「コマンド戦略」のような大作戦争映画を混ぜていたこと。東京クラブは当時すでに都内でも珍しいくらいの大型スクリーンを擁していたので、ド迫力でこれらの大作を見られたのはありがたかった(プリント状態は酷かったが)

しかし、普通に考えればあり得ない番組だろう。これらの大作の長さは、ほぼ3時間以上。これにもう2本、ほかの映画を組み合わせてあるのだから、総上映時間は6時間以上におよぶのだ。朝10時の上映開始から見ても、全部見終わるのは夕方5時近く。完全に一日仕事。ヒマと時間のある大学生か、全部を見ないでヒマをつぶす外回り営業マンしか、つきあいきれないよな。私はよくつきあったが(そのぶん大学の講義はムニャムニャ)

ちなみに、このころの浅草の名画座にあった奇妙な習慣が「途中上映」というやつ。朝の初回の上映は、なぜか映画の途中から始めるのだ。ちょうどお昼ごろに次の作品を始めるという配慮か何かだったんだろうか。ヒマ学生だった私はよく初回上映時間に入場し、いきなりクライマックスになる映画を見たもんだ。

そのころの嘘のようなお話をひとつ。

ある時、いつものように朝一番の途中上映から東京クラブに入りこんで映画を楽しんでいた私が、夕方3本の映画を見終えて出てくると、浅草六区のあたりが何かざわついている。あとから思い返せば、いつもよりも警官が多く、そういえば新聞記者のような連中がいた気もするが、その時はなんとも思わずに帰宅の途に就いた。

で、家に帰ってテレビで夜のニュースを見ていたら、「浅草の繁華街で暴力団の銃撃事件がありました」

へ?

私が東京クラブの館内でアクション映画を見ている間に、外ではリアル銃撃戦が起き、警察やマスコミが来てひと騒ぎし、そしてみんな帰った後に私が出てきたということだったのだ。ビックリしたなぁ。

その時見ていた映画が、例えば銃弾飛び交う壮絶な「ワイルドバンチ」とか「ガントレット」とかだったなら、この話にも見事なオチがつくのだが、残念ながら、その時見た映画が何だったのかは忘れてしまった。返す返すも残念である(笑)

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