映画という名の怪物
前にもちょっと書いたけど、「JAWS」って単語は「サメ」とは関係ないんですよ。あ、そこの学生さん、大丈夫? 英語のテストで間違わないでね。
辞書を引くと、「jaw」の意味は「顎」、それもイメージとしては歯が生えてる「下顎」のようですね。
そもそもは、巨大なホオジロザメがニューイングランドの海水浴場を襲うサスペンス小説を書いた作家ピーター・ベンチリーが、この単語をタイトルに使ったのが発端。
ベンチリーは当初は違うタイトルを考えていたそうで、候補だったのは「水中の静寂(The Stillness in the Water)」、「深海の沈黙( A Silence in the Deep)」、「死の顎(Jaws of Death)」、「リヴァイアサン出現(Leviathan Rising)」などなど……やめといて良かったね。
最終的にインパクトのあるこの単語をチョイスしたことで、作品はベストセラーになりました。
そして1975年に、映画化された「ジョーズ」が世界中で大ヒット。それ以来、「jaws」は「サメ」そのものを意味する単語だと思われてしまっています。
「××海岸にジョーズが」とか、ニュースなどでよくやってますよね。でも、いくら英語の辞書引いてみても「jaws=サメ」なんて意味は出てないですから、テストでは間違いになります。ご用心。
同じようによく誤解されてる単語に「godfather」があります。
はい、1972年に映画「ゴッドファーザー」が大ヒットして以来、すっかりギャング関係の単語に思われていますね。言うまでもなく、本来は子供に対する「名付け親」のことで、そんなに物騒な意味ではないんですが、なんとなく「ギャングのボス」という意味でつかわれることが多くなってますね。ほんとはもっと穏やかな意味合いの単語です。
「inferno」という単語も、もともとは火事をあらわす意味ではありません。本来は「地獄」のこと。まあこちらは「大火」を意味することもあるので、英語のテストでは「大火事」とか書いてもセーフかな。もちろん「タワーリング・インフェルノ」(1974年)という映画がなければ、こんな単語が広く意味を知られることはなかったでしょうね。
「zombie」というのは、本来は西インド諸島の伝説で、死者にブードゥー教の儀式を行なってよみがえらせ、農場などで使役するもの。だからハマープロの古典的ホラー「吸血ゾンビ」(1965年)は、かなり正しい(血は吸いませんが)。
でも、このゾンビという怪物がポピュラーになったのは、ごぞんじジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ」(1978年)から。宇宙からの怪光線によって問答無用でゾロゾロとよみがえる死者の群れは、じつは「ゾンビ」の要件を満たしてないんですね。でもあの映画のインパクトが強すぎて、それ以来すっかり「よみがえって人肉を喰らう死体=ゾンビ」になってしまいました。
ただロメロのゾンビ・シリーズでは、ホントはこの死者たちは「zombie」ではなく「living dead」なんですね。「ゾンビ」の元々のタイトルは「Dawn of the Dead」ですし。この作品の製作資金を調達したマカロニホラーの巨匠ダリオ・アルジェントが世界市場に売り出すにあたって付けたタイトルが「Zombie」で、それに乗っかった邦題も「ゾンビ」になったのですから、責任者はこちらですかね。
いずれも、一本の映画が、言葉の意味やイメージそのものまで変えてしまった好例です。映画の持つ力って、ほんとに凄いですね。
もうひとつ、ついでに。
「フランケンシュタイン(Frankenstein)」と聞いて、どんなイメージが浮かびますか?
縫い目のある大男の人造人間?
はい、不正解。
「フランケンシュタイン」は、映画でよく見るあの怪物のような人造人間の名前ではないです。あいつを作った科学者の名前なんですね。ヴィクター・フランケンシュタイン(原作では博士でも男爵でもないただの学生)。人造人間のほうは特に名前はなく「フランケンシュタインの作った怪物」が本名(?)です。
メアリー・シェリーの原作小説では、もちろんそんな誤解が生まれるような余地はなかったんでしょうが、1931年の映画化がすべてを変えました。
映画で「怪物」を演じたボリス・カーロフの怪演と、その異様なメイクアップが人々に強烈な印象を残したせいで、顔に縫い目、首に鉄のボルトをつけた異形の大男のほうが、映画のタイトルでもあった「フランケンシュタイン」と分かちがたく結びついてしまい、「怪物=フランケンシュタイン」ということになってしまいました。だから、藤子不二雄先生も、水木しげる先生も、間違ってらっしゃるんですよ、ほんとは。
ついでに言うなら、あのデザインは本当はパテントがあって、ユニバーサル社の許諾なしにやたらに使ってはいけないそうです。まあ使われてるけど。
これもたった一本の映画が、言葉の本来の意味合いを変えてしまった例でしょうね。
映画はまだ100年ちょっとの歴史しかないのに、言葉の意味という文化をあっさりと変えてしまうほどのパワーを持つようになっているのです。だとすると、映画というメディアこそが「怪物」なのかも知れませんね。
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