あの幻の輝き
ブルーレイのソフトを買ったので、ひさしぶりに「タワーリング・インフェルノ」を見た。40年が過ぎていても、充分に凄く、面白い映画であることを再認識した。
例によって、いっしょに見ていた息子にいろいろと講釈を垂れたのだが、そうしながらつくづく時代の流れを感じちまった。あのころの映画少年にはほとんど常識だった数々の知識が、いちいち「あのころの」知識になってしまっているのだからね。
「ハリウッドメジャーの2社が共同製作したのは初めて」
「2冊のベストセラー小説を1本の映画に合体させた」
「ポール・ニューマンとスティーヴ・マックイーンのちゃんとした競演はこれだけ」
「撮影では実際にでっかいビルの模型を作って燃やした」
私と同年代のかたには何を今さらだろうが、あなたは知ってますか? まあ、知っていてもさほど威張れないマメ知識ばかりだけどね。
原作といえば、公開当時、ちゃんと翻訳刊行された2冊とも買って読んだっけ。それもハードカバーの単行本で(文庫版は映画公開よりもだいぶ後になって刊行されたのだ)
その原作小説と比べてみると、この映画の脚本の巧みさに驚かされる。原作の取り込み方が、おそろしく公平なのだ。権利関係などでかなり難航したに違いないのに、さすがは名脚本家スターリング・シリファント、大人のお仕事だ。
映画の原題は「THE TOWERING INFERNO」だが、原作小説のほうは「The Glass Inferno」(T・N・スコーシア&F・M・ロビンスン著)と「The Tower」(リチャード・マーティン・スターン著) タイトルもきれいに合わさっている。ちなみに邦題は前者が『タワーリング・インフェルノ』で、後者が『そびえ立つ地獄』と、やや不公平。版元の苦心が見て取れるね。
若干ネタバレ気味だが敢えて紹介すると、出火原因や、その消火方法は「The Glass Inferno」から、竣工パーティの日に火災が起きたり、隣のビルからロープを張っての救出作戦などは「The Tower」から、それぞれ採用されている。
じつは映画には使われなかった「The Tower」のラストが、私はすごく好きなのである。もういまでは原作本も絶版になっているし、これまた少々ネタバレになるが、ここで紹介してもいいだろう。
「The Tower」では火災は鎮火できず、最上階の客たちは全員犠牲になる。映画ではロバート・ヴォーンが扮する上院議員と、ジャック・コリンズが演じるサンフランシスコ市長も、原作ではともに脱出できずに終わる。もはや救出の望みがないことを悟った政治家二人は、最上階のラウンジで座り、泰然と死に臨むのだが、上院議員がそこで市長に向かって静かに問いかける。「さて、何の話をしようか?」 おお、かっこいいいぞ。政治家たるもの、いや男ならば、いやいや人として、ぜひともこうした落ち着き払った最期を迎えたいものだ。死ぬのはイヤだけど。
そういえばひとつだけ、今回のブルーレイでもついに再見できなかったものがあった。
映画のファーストシーン、サンフランシスコ上空を飛ぶヘリコプターをバックにメインタイトルが続き、その最後、ぱっと開けたシスコの町の遠景に堂々とそびえ立つグラスタワーの雄姿。素晴らしいオープニングだ。
劇場で封切り時にこの場面を見たとき、このタワーがキラキラと黄金に輝いていたのだ。
あの輝きは今も目に焼きついているのだが、残念なことにそれ以来、あの輝きを再び目にすることができずにいる。名画座の上映ではフィルムが褪色しており、VHSでもレーザーディスクでもあの輝きは再現できていなかった。ブルーレイには一抹の期待を抱いていたのだが、やはり駄目だった。
あれは新品のプリントのみに実現した発色だったのか、あるいは私の記憶の中にだけある輝きだったのだろうか?
最後によぶんなマメ知識。
パニック映画を語るときによく発生する間違い知識に「この映画にジョージ・ケネディが出ていた」がある。たしかに、エアポート・シリーズをはじめこの手の大作パニック映画には軒並み出ているケネディおじさんだが、「タワーリング・インフェルノ」には出ていません。そのせいで、これもよく言われたジョーク。
「ジョージ・ケネディがいたら、もっと大勢助かってたよ」
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