OKコラルに立つ男
来たる10月26日は重要な日だ。
1881年10月26日から、ちょうど140年の記念すべきメモリアル・デイなのだ。
1881年のこの日、アリゾナ州コチーズ郡トゥームストーンの町のはずれにある馬囲場、通称OKコラルで激しい銃撃戦が起きた。
世に名高い「OK牧場の決闘」だ。
一方は、保安官だったワイアット・アープと、その兄弟のヴァージルとモーガン、それに助っ人のドク・ホリデイ。
対するのは、このアープ一家と対立していたアイクとビリーのクラントン兄弟と、フランコとトムのマクローリイ兄弟、助っ人のザ・キッドことビリー・クレイボーンの5人。
ご存知のように決闘は全員無事だったアープ側に対して、クラントン側は3人の死者を出してしまった。アープ一家の圧勝だったわけだ。
史上もっとも有名な決闘(たぶん)だが、西部開拓時代にはいくらでもあった他の銃撃事件に比して、この決闘だけがこれだけ一般にも知られるようになったのは、やはり2本の名作映画があったからだろう。映画の持つ力の実例のひとつだ。
まずは名匠ジョン・フォード監督の「荒野の決闘」(1946年)
有名な主題歌のタイトルから「いとしのクレメンタイン」というサブタイトルがついたこともある。ジョン・フォードの代表作の一本。
OKコラルの決闘をクライマックスに、クラントン親子との対立、クレメンタインとのロマンス、アープとドク・ホリデイとの友情、ドクと情婦チワワの腐れ縁などが織りなすドラマ。登場人物のキャラクターや決闘の結末など史実とは離れた部分が多く、フォード節ともいうべき演出が魅せる。
ワイアット・アープをヘンリー・フォンダ、ドク・ホリデイをヴィクター・マチュアが演じ、ウォルター・ブレナン、ワード・ボンド、ジョン・アイアランドといった面々が揃っている。
世間的には評価の高いなかなかの名作なのだが、前記したようにドラマ色が強く、若干私の好みではなかったな。
ちなみにだが、フォード監督は若いころに本物のワイアット・アープと会っているそうだ。その時に聞いた話からこの「荒野の決闘」を構想したとも言うが、真偽のほどはわからない。
対してジョン・スタージェス監督の「OK牧場の決斗」(1957年)はアクション映画として一級品のウェスタンになっている。
バート・ランカスターのアープとカーク・ダグラスのドクの友情をメインに、その出会いからOKコラルまでの流れを描く。そのためトゥームストンにくる前のフォート・グリフィンやダッジ・シティ時代の事件も描いている。
なんといってもクライマックスのダイナミックな決闘シーンが秀逸。スタージェス監督が得意とする多人数同士のガンファイト演出のなかでも、この「OK牧場の決斗」の決闘シーンは「荒野の七人」と並ぶ傑作だ。
もちろんこちらもかなり史実を脚色しているのだが、スタージェス監督はこの題材に魅せられたようだ。
その後もOKコラルの後日談を調べあげて、映画に仕上げている。
「OK牧場の決闘」から10年後年の1967年に作られた「墓石と決闘」がそれで、映画冒頭にOKコラルの決闘が描かれ、その後にも続いていたアープ一家とクラントン一家の対立と確執を、再び男の友情を軸に描く骨太の作品だ。
アープがジェイムズ・ガーナー、ドクがジェイソン・ロバーツという渋い顔合わせ。決闘後に生き残り、ワイアットの二人の兄弟を襲撃したアイク・クラントンをロバート・ライアンという配役もいい。
こちらはかなり史実に則った描きかたのようだが、アクションも豊富で、また友情ドラマとしても歯ごたえ充分。ラストのアープとドクの別れは感動的ですらある。
と、ここまでの作品はおおむねワイアット・アープを善玉として描いている。法の番人で正義の人アープが無法者のクラントン一家と戦うというのが基本デザイン。だが、史実はどうもそう単純ではなかったようだ。OKコラルの決闘も、実際には善悪の対決ではなく、ならず者同士の揉め事に過ぎないという。
アメリカン・ニューシネマの時代には、逆にそこらへんに焦点を当て、アープ側を悪役に据えた作品も登場する。1971年の「ドク・ホリディ」だ。
悪党のワイアット・アープに引きずられるようにOKコラルの決闘に挑んでゆくはめになるドク・ホリディの苦悩を描く、いかにもアメリカン・ニューシネマっぽいヒーロー否定のウェスタン。正直言ってあまり面白いわけではない。
終始景気の悪い顔でドクを演じたステイシー・キーチが主役なのだが、酷薄な悪人ワイアット・アープを、いかにもな名傍役ハリス・ユーリンに演じさせたあたりに製作陣の意図が見える。監督はフランク・ペリー。
実際のワイアット・アープがどんな人物だったかは、今日でもいろいろの見方があるようだが、そのへんの決定版を意図して作られたと思しいのが「ワイアット・アープ」(1994年)
ワイアットの子ども時代から、各地を転々とし、兄弟たちとともに伸し上がり、OKコラルの決闘からその後のクラントンの残党との闘いを経て、晩年のアラスカ移住までをきっちり描く。
必然的に映画は長くなり、劇場公開時は199分、ディレクターズカット版は221分もある! 長過ぎだよ、ローレンス・カスダン監督。
ワイアットをケビン・コスナー(製作も)、ドクをデニス・クエイドが演じている。ジーン・ハックマンがワイアットの父ニコラス・アープを演じているが、アープの親が映画に登場するのは初めてかな。
まぁ歴史的にワイアット・アープの生涯に興味がある人は見てみるといい。
しかし、なぜこうもこのワイアット・アープが有名で、しかも何度も映画にもなっているかというと、これは本人が売り込んだからにほかならないそうだ。
最晩年にはロサンジェルスに移住し、ハリウッドで映画関係の仕事に就いていたという。前記したジョン・フォードとの出会いもこの頃で、さらには若い俳優たちに拳銃さばきなどを指導していたとか。その中の一人が売り出し前のジョン・ウェインだったという伝説もある。
そう聞くと、自分で売り込んだという話にも、少々の信憑性を感じるね。
「OK牧場の決斗」のバート・ランカスターをのぞいた歴代のアープ役者たちは、一様に鼻の下にドジョウ髭を生やしているが、どうやら本人もそうだったらしい。こんな顔。
ついでに、ドク・ホリデイの実物がこちら。
こうして写真が残っているように、OKコラルの決闘はそんなに大昔の話ではない。
日本でいえば明治14年の出来事だ。
肺を病んでいたドク・ホリデイは決闘の6年後の1887年に没しているが、ワイアットは1929年まで生きていた。80歳だったというから当時としてはかなりの長命だったのだろうが、そうかまだ死んでから100年経っていないのか。
没年は、日本ふうに言えば昭和4年なのだよ。昭和なのだ。
ワイアット・アープやドク・ホリデイは、同じようにフィクションで後世に人気者となった坂本龍馬や沖田総司や西郷隆盛よりも、じつは最近の人物というわけだ。
ちょっと意外。
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