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メル・ブルックス・ワンマンショー

1976年のこと、大ヒット中の「ジョーズ」を見に行った私は、そこで1本の映画の予告編を見ました。当時すでにいっぱしの西部劇ファン気どりだった私にとって、その映画は途方もなく型破りに見えました。

西部の荒野に展開する正義の保安官と悪党どもの対決……に見せかけたその映画でしたが、画面に映るのは、どう見ても大西部のそれでない風景。バンドが荒野の真ん中で演奏し、ミュージカルが撮影され、料金所が強盗団の行方をふさぐ。いったいこの映画は、何なんだ?

その翌週、さっそく映画館に駆けつけて見たのが、「ブレージングサドル」でした。こうして私は生涯最高に面白い映画(と思われるもの)に出会ったのです。

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この映画を作ったのは、監督で、脚本で、製作で、出演者だったメル・ブルックス。すでにその前年、「ヤング・フランケンシュタイン」が公開されてヒットし、そこでその前作にあたる「ブレージングサドル」も公開されることになったのでした。

予告を見てある程度は予想していたものの、実際に目にした「ブレージングサドル」の破壊力はすごかった。まさに時空を超えた面白さ。私はそれ以来、この「ブレージングサドル」こそ映画史上最高の傑作と思っています(あくまで個人の感想です)

翌1977年には次作「サイレント・ムービー」も公開されてヒットし、メル・ブルックスの名前はしっかりとこの国の映画ファンにも刻み込まれます。なので次の作品は「メル・ブルックス/新サイコ」と、タイトルにその名前が記されるほどでした。

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そのメル・ブルックスとは、「ブレージングサドル」で初めて出会ったような気がしていましたが、じつはそれ以前にテレビで「それ行けスマート」を見ていて、それがメル大先生の出世作であったことを知ったのは、しばらくたってからのことでした。ちなみにこの「それ行けスマート」は、その後二度にわたって映画化されたほどの名作であります。どっちも見たけど。

あ、ここまで書いてきて、メル・ブルックスの映画が、どう破天荒なのか、書いていなかったことに気づきました。まあ仕方ない。こればっかりは、私の文才では、表現しようがない。いや、どんな名人でも、文章でこの面白さを表現するのは不可能と言い切ってかまわないでしょう。ソレ皆の衆、今すぐレンタルか購入で、この映画を見よう。

そんなメル大先生でしたが、その後はどんどん調子を落としていきます。すでに「新サイコ」でもその徴候は見えていましたが、1981年の「メル・ブルックス/珍説世界史PART1」(日本では1984年まで公開されませんでした)や1987年の「スペースボール」など、往年のギャグの切れ味は失われ、なんか見ていてモノ悲しくなったものでした。

もっともこの間に、こうしたギャグ映画とは別にプロデューサーとして多くの映画に関わって、なかでも1980年の「エレファント・マン」は高評価+大ヒットを記録したのですから、ガッカリしていたのはこちらだけで、大先生ご本人は気にしていなかったかも。

その後も監督や出演作品はポツリポツリとありましたが、あまりパッとせず、21世紀になってからは作品もつくらなくなって、なんだか過去の人になったまま今日に至っています。まあもう日本風にいえば米寿ですから、楽しく老後を過ごしているんだろうなと思ってます。

で、時は流れて2010年のこと。画期的なゾンビ小説『WORLD WAR Z』が邦訳刊行されました。壮大なスケールと、オーラルヒストリーの手法を用いた異色のホラーとして、出色の出来ばえのこの小説にすっかり魅せられた私は、500ページ超のこの大作を一気に読み終え、最後の解説を読んでぶったまげました。

『WORLD WAR Z』の著者マックス・ブルックスって、メル・ブルックスの息子だったんです! 予備知識なしに読んでいた私には、たいへん嬉しい不意打ちでした。同時に、メル大先生の映画に見えたサービス精神と才能が、確実に息子に受け継がれたことも嬉しく思いました。

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2013年にこの小説が「ワールド・ウォー Z」として映画化され、プレミアショーかなんかに出席した原作者マックスとその家族の写真が報じられました。そこには、わが子や孫と共に、何ともいえない表情で微笑むメル大先生のお姿が。

なんかひさしぶりに親戚の叔父さんに会ったような、なんとも嬉しいような懐かしいような気分になりました。メル大先生、これからもお元気で!

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