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レーザーディスクってナニモノだ?

「時代のあだ花」って言葉があります。正確な意味はほんとは違うんですが、なんか「一時は流行ったけど、時の流れに置いていかれたモノ」的な意味で使われることが多いですね。私にとって「時代のあだ花」といえば、なんといってもレーザーディスク(LD)のことです。

レーザーディスク、知ってますか? 1981年に国内発売が開始され、「絵の出るレコード」として普及した映像記録用の光ディスク規格です。DVDの先輩ですね。

映画そのものをコレクションする手段は、昔は16ミリとか8ミリの映画フィルムしかありませんでした。かさばるし、管理も難しいし、なによりもフィルムそのものの値段が高いうえに高価な映写機が必要で、そのうえ16ミリフィルムの映写は免許証が必要でした(じつは私、この免許持ってます。これ公的に認められた資格なので、履歴書に書けるんですよ)まったく一般向けのものではなかったのです。

それが70年代に入って、家庭用ビデオ機が普及したことにより、大きく変化しました。ビデオソフトという概念が登場し、映画コレクションがぐっと身近になったのです。ただ、テレビ放送された映画を録画するのならともかく、ちゃんとしたソフトはやはりけっこう高額で、私が初めて買ったビデオソフト「007/ゴールドフィンガー」の輸入版VHSソフトは、海外からの通販で、字幕もないものに3万円も払いました。当時の国内販売のVHSソフトでも、買えば確実に一万円札が飛んでゆくものだったです。

そんなところに現われたのが、絵が出るディスク。事前情報によれば、「ソフトが安価で扱いやすくなり、そのうえなんといっても高画質!」だそうで、私は社会人になっての最初のボーナスで再生機を買いました。値段は忘れたけど、高かったです。で、最初に買ったLDは「マペット・ムービー」 なぜコレだったんだろう?

このLD、とにかく画質の良さは、ふれこみ通りでした。最初に再生して見たときには、わが目を疑ったもんです。とくに映画のタイトルなどの文字の切れの良さは、VHSでは到底再現できないモノでした。おまけに値段は1万円を切るという(当時の感覚では)安価。

発売当初は、対抗規格としてVHDというのがありました。その前の家庭用ビデオの時にも「VHS対ベータマックス」の熾烈な抗争があったのですが、性懲りもなく繰り返したわけですね。私が買った時期はまだ勝敗の行方は見えていない感じでしたが、私は一か八かでレーザーディスク陣営に賭けました。結果はご存じのとおりで、私の勝ち。1990年を待たずにVHDは消滅しました。ああ、よかった。

しかし、VHSにくらべればスペースをとらないとは言っても、LDもやっぱり場所はとります。そのうえ、重い。サイズはLPレコードと同等とはいえ、重量はかなり重く、持ち運びに便利とは言えませんでした。そのうえ、意外に早くにディスクが劣化する現象が出たりし、さらにソフトのレンタルがなかったLDは、充分に普及せず、けっきょく市場ではVHSと同居する形になってました。

ただ私にとって重宝だったのは、通常のVHSでは日本で再生できなかった香港製のソフトが、なぜかLDでは再生できたこと。おかげで香港へ出かけるたびに、重たいLDを何枚も持ち帰ることになったもんです。

やがて画質で上回り、サイズも小さく、値段も安く、なおかつレンタルソフトもあるDVDの登場で、LDはあっと言う間に取って代わられてしまいました。2000年代に入るころには、LDの時代はほぼ終わっていました。商品としての寿命は20年足らずだったのではないでしょうか。

この間にもう一つの「あだ花」がありましたっけ。日本ではそれほど普及しませんでしたが、香港ではポピュラーになっていたVCDというものです。CDと同サイズで絵が出るディスクで、当然LDよりも画質も容量も落ちるのですが、安価でコンパクトなので、香港から持って帰るには便利でした。わが家には香港映画のVCDがかなりの数あります。まあ今見ると、そうとうアレな画質なんですが。ちなみに、私はTVアニメ「うる星やつら」の全エピソードのVCD‐BOXなんてものも持ってたりします。

ということで、コレクション用メディアはVHSからLDへ、そしてDVDへ、さらに今やブルーレイディスクへと変遷してきたわけですが、問題は、そのたびに新しいメディアに乗り換えなければならないこと。同じ映画を三度も四度も買うのは……まあコレクターだから仕方がないか(笑) でも、わが家の書棚でかなりのスペースを締めている200タイトルほどのLDは、どうしたもんでしょうかねえ?

あなたの手元には、どれくらいのLDが眠っていますか?

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