ゲバゲバ伝説

藤村俊二さんが亡くなりました。享年82歳。ご冥福をお祈りします。

ネットで藤村さんの訃報を見てから、私の頭の中には、あの「ゲバゲバ90分」の音楽が流れ続けました。

そう、私が初めて藤村俊二の名前を知ったのは、あの伝説の番組「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」でした。私と同世代の人なら、この番組を知らない人はいないでしょう。

1969年の秋から翌1970年の春まで、そしてその年の秋から再開して翌1971年春まで、プロ野球のオフシーズンに放送された、まさに伝説的バラエティ番組です。当時小学校高学年だった私は毎週欠かさずに見ていたもんです。

バラエティといっても、今どきの「芸人を並べてトークさせておしまい」みたいなナマヌルイものではありません。きっちりと作りこんだショートコントと、当時人気を二分していた司会者、大橋巨泉と前田武彦のトークで構成した90分番組でした。

いま思い出しても、当時の小学生を魅了したあの面白さは忘れません。

番組はいくつかのレギュラーコーナーと、大量のショートコント、それにアニメをも使ったアイキャッチが次々とつるべ撃ちにされ、間にはさまるCMも含めて、まさに休む間もない仕組み。

後年、このスタイルで子供向けに作られた「カリキュラマシーン」(1974年から1978年)や、世界的に人気があったアメリカの教育番組「セサミストリート」(1969年~ 日本では1971年から放送)が、同じような構造でしたっけ。

たしか放送は火曜日の夜、8時から9時半だったと思いますが、私はこれを見るために、必死で学校の宿題をすませたものです。

とはいえ、今を去ること50年近く前のこと、いまや具体的な中身はろくに覚えていません。覚えているものといえば……

レギュラーコーナーのひとつに「if もしも」というのがあって、奇妙な設定から発展するギャグで、毎回笑わせてくれました。そのうちの一回に「もしも電車で隣に立っている人をいきなり殴ったら?」というのがあって、電車の中でイラっとして横の人を一発殴ったことからおこる騒動が次々に連鎖していって、ついには世界核戦争に発展するというストーリー。そういえば最初に殴る男が藤村さんだった。最後にボロボロになった各国首脳が集まって、そもそもの戦争の原因を追究して責任を取らせようってことになって、発端になった藤村さんが気の毒にも銃殺されるっていうオチ。

同じコーナーで、「もしも一日が24時間でなく24分だったら」というのもあって、オーケストラが舞台に次々と集まってきて、全員揃ったところで「ジャン」と一音だけ出して解散ってのは笑ったなぁ。

まあギャグとかコントってのは、こうして文字で書いても面白くないですねえ。

もうひとつ、宍戸錠が演じるサムライが夜の道を歩いていると、そこへアニメのオバケがあらわれるというのも面白かった。「出たな化け物」と刀で斬りつけると、オバケは二つに分裂して「ヘロヘロヘッタラヘロヘロヘー」 カッとなったサムライが斬るたびに増殖し、ついには画面いっぱいになると、マーチにあわせて行進していってしまうというナンセンス。いや、笑った笑った。

アイキャッチのひとつに、ハナ肇がヒッピー風の衣装で「アッと驚く為五郎~~っ……なにっ?」と叫ぶやつがあって、これは流行語になり、クレイジーキャッツの歌にもなった。たしか映画にもなっている。

こうしたコントやアイキャッチを、クレイジーキャッツのメンバーや、コント55号というお笑いの芸人だけなく、小松方正、宍戸錠、常田富士男、大辻伺郎、熊倉一雄、朝丘雪路、松岡きっこ、小川知子、岡崎友紀、うつみみどり、ジュディ・オングといった、当時はお笑いとは無縁だった俳優や歌手が演じていたのだから、いま考えるとずいぶん豪華だ(もちろん当時の小学生にはわからなかったが)

けっきょくたったの2シーズンで終了したのは、その豪華さと、妥協なき作りに、スタッフの息が続かなくなったというのが真相らしい。

今でも残っているのが、番組のオープニングとエンディングを飾ったテーマ曲のマーチ(宮川泰の作曲) 最近でもビール飲料のCMに使われてますね。私はCD持ってますので、ときどき聞いてテンションを上げてます。

その後、収録したビデオが保存されていなかったとかで、再放送もないまま、当時見た人々の脳内にだけ保存されていた幻の名作……と、ここまで書いて思い出しましたが、数年前に発見されたビデオがDVD化されていましたね。私も買ったはずで、家のどこかにあるはずです。

今度の休みに探してみよう(笑)

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