お正月映画クロニクル【1975‐1978】

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「お正月映画」って言葉も近年は死語っぽくなってきました。私が映画を見始めたころには、年間通しての映画興行で最大の本場所が、お正月映画でした。今ではそんな感覚はないんでしょうかね。昔を懐かしんでいてもしょうがないですが、寂しいです。

そこで、往年の「お正月映画」を振り返ってみることにしましょう。もちろん、私が実際に正月に映画館で見た映画限定ですね。ただし、記憶があいまいな部分も多々あるのはご容赦を。

【1975年】

私が映画を本格的に見始めたのは70年代前半くらいですが、一人でふらふらと映画館に行って映画を見るようになったのは高校生になってから。したがって、ちゃんとお正月映画を映画館で見たのは、1975年のお正月映画(1974年12月に公開された作品)からでした。高校1年生でしたね。特別鑑賞券の絵柄まで覚えているくらい印象的な映画たちでした。

007/黄金銃を持つ男」は、シリーズ第9作、ロジャー・ムーアの3代目ボンドの2作目です。世間的には評判の良くない作品ですが、私はこれが初めて封切りで見た007だったので、けっこう好きだったりします。

大地震」と「エアポート'75」。これ、たしか同じプロデューサーが、セットで作った映画。「エアポート’75」は「大空港」の続編的映画ですが、私はこっちを先に観たんだっけ。「大地震」のほうは、実際に揺れを感じるという「センサラウンド」という音響方式で上映されました。重低音で揺れるというよりも尻がムズムズしたっけ(その後数本公開された「センサラウンド映画」は全部見てるのが自慢)。この2本を皮切りに「パニック映画ブーム」が到来し、私はそのほとんどを見ました。

ちなみに、1975年のお正月映画の最大ヒット作は「エマニエル夫人」でしたが、私はまだ18歳じゃなかったので見てません(この時は)。

【1976年】

高校2年のお正月です。

ジョーズ」が、この年の最大ヒット作。ただし、私が見たのは正月もかなり過ぎてから。たしか春休みに、高校の同級生たちと見たような気がします。すでに原作を読んでいたのに、なんでそんな時期まで見に行かなかったかは覚えてないです。映画そのものは前にも書いたように、私がもっとも怖かった映画の1本でした。

ちゃんと正月に見たのは、「ピンク・パンサー2」だけ。高校生の小遣いには、ロードショー料金はきつかったんでしょうかね。いま見直すと、たいして面白くないピンク・パンサー・シリーズですが、当時は大好きでした。この映画のサントラ盤がなかなか買えなくて探し回ったのを覚えてますが、なんであれ、あんなに品薄だったんだろうな?

【1977年】

この年は「カサンドラ・クロス」「がんばれ!ベアーズ」「キングコング」「ダーティハリー3」「エンテベの勝利」などが公開されたはずですが、大学受験を控えた高校3年生が映画なんか見ているわけがないじゃないですか。予備校の冬期講習が忙しくて、一本も見ていません。そのかわり、自宅でテレビ放送の映画を見てました。おかげで浪人しましたが(笑)

【1978年】

浪人中でしたので、まったく見ていない……と思ったんですが、じつはきっちり見てましたね。いったい、いつ見に行ったんだか。

007/私を愛したスパイ」は、入学試験が終わってから見に行ったんだっけ? いや、さっさと見に行ったような気がするなぁ。私は気に入ったが世間は許さなかった前作から、一気に盛り返したシリーズ第10作で、ここで原作小説から大きく離れる路線変換をしました。今から思えば、もし仮にこれがコケていたら、シリーズはそこで打ち切られていたに違いない、天下分け目の一作だったんですね。

今はなきテアトル東京で見たのが「カプリコン1」。シネラマで、前のほうの席で見たせいか、カーチェイスやエアチェイスのシーンで車酔いならぬ映画酔いしました。今でも大好きな映画の一本。

ガントレット」は、これまた非常に気に入った映画ですが、どこで見たかは覚えてない。予備校からほど近かった新宿の映画館で見たんだろうから、今度閉館されたミラノ座あたりだったかな? クリント・イーストウッドの映画では好きなほうの1本です。

といった具合で、映画を見ながらもなんとか大学に潜りこむことに成功した私は、そこで映画研究会に入り、ますます映画にハマっていくことになるのでした。

【つづく】

【本文はこれで全部です。もしもお気に召しましたらご寄進下さい(笑)】

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