鋼鉄の歯の男

リチャード・キールが亡くなった(2014年9月10日)。74歳だったそうだ。

合掌。

なんといってもこの人は、「007/私を愛したスパイ」(1977年)の「ミスター・ジョーズ」につきる。最初に鋼鉄の歯を剥きだしてニヤリと笑うあのショットは、強烈だった。

もちろんそれ以前に「ロンゲスト・ヤード」(1972年)の囚人役(アメフトの試合中にラリアットで看守の首をへし折る奴)があるし、「大陸横断超特急」(1976年)もあるんだが、私はいずれも「私を愛したスパイ」よりも後で見たので、本来の印象とは違うだろう。「ロンゲスト・ヤード」も「大陸横断超特急」も好きな映画なのだが、リチャード・キールの登場シーンでは「あ、ミスター・ジョーズが出てる」と思ったもんだ。

あの巨体と風貌は、俳優としては強力な武器であり、同時に、役柄を限定する足枷でもあっただろう。

実際、このあとで出た映画は、同じ役で再出演した「007/ムーンレイカー」(1979年)も含めて、基本的に「ミスター・ジョーズ」の自己パロディ的な役ばかりだったと思う。香港映画まで出張した「皇帝密使」(1984年)のように。

さてその「ミスター・ジョーズ」だが、当初はあの役にジャイアント馬場が予定されていたというのは、いまはどれくらい知られている話なのか。当時はスポーツ新聞などで報じられていた記憶があるが……

シリーズ前作「007/黄金銃を持つ男」で製作のイオン・プロと馬場サイドに接触があったはずなので、実際にオファーがあったとしても不思議なことではない。

第一、あの「ミスター・ジョーズ」のキャラクター、先にジャイアント馬場ありきで考えられたとしか思えない。

わりと初期のシナリオを基にしたと言われるノヴェライズ版である『新・私を愛したスパイ』を読んでも、「ミスター・ジョーズ」は2メートル超の大男に設定されているので、最初からああいうキャラクターだったのは間違いない。

だとすれば、当時まだ無名だったリチャード・キールよりも、世界的にも知名度のあったジャイアント馬場の方がイメージされていたのではないか。登場シーンのいくつかを馬場バージョンで脳内再生してみても、いやにしっくりとハマるからね。

もちろん、当時のジャイアント馬場はまだ全日本プロレスを設立したばかりで(1972年旗揚げ)単独エースの時代。映画撮影のために長期にわたって欠場するなど思いもよらなかっただろうから、この話はそもそも成立しないものだったんだろう。

もしも馬場が「ミスター・ジョーズ」に扮していたら、ジャイアント馬場はハルク・ホーガンをしのぐ世界のスーパースターになっていたかもしれないし、リチャード・キールは名もない巨人俳優で終わったかもしれない(「事件記者コルチャック」での怪物役のような)。

そして彼の死がこうして世界中に報じられることもなかっただろう。

人間の運命なんてのは、どこでどう転ぶか、わからないモノだ。

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