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ジャッキー・チェンと勝負する(番外編4)

今回のテーマはストレート。ジャッキー・チェンと、もっともたくさん組んだ監督さんは誰か?

あ、もうわかっちゃったかな。

まあいいや。わかった人は黙って先を読んでください

ジャッキーくらいの大物になると、たぶん「ジャッキーが監督に起用される」のではなく、「ジャッキーが監督を選ぶ」だろうから、監督さんの顔ぶれを調べれば、ジャッキーの映画に対する姿勢や考えがわかるはずだ。ほんとかどうかは知らんよ。

というわけで、ジャッキー映画の監督さんの顔ぶれを調べてみた。もちろんメンドクサイので、カメオ出演だけとかゲスト出演とかドキュメントとかは全部カット。あと、無名時代の出演作も。監督さんが誰かよくわからないようなものまであるからね。

では、今回は少ないほうからランキング紹介。まずは1回だけジャッキー映画を監督した面々。ほぼ古い順に並べてみました。

イップ・ウィン・チョー/チン・ミン/ナイ・ホイフン/リー・ハンシャン/ジョン・Y・ウー/ロバート・クローズ/チェン・チュアン/ジェームズ・グリッケンハウス/ツイ・ハーク&リンゴ—・ラム/カーク・ウォン/バリー・ウォン/ラウ・カーリョン/エリック・コット/ヴィンセント・コク/トム・デイテディ・チャンケヴィン・ドノヴァンデヴィッド・ドブキンフランク・コラチロブ・ミンコフ/チアン・ピン&フォン・カンリャン/イー・トンシン/ハラルド・ズワルトブライアン・レヴァント/チャン・リー/

なかなか錚々たる名前もあるが、よく知らない人も多いですね。太字にしたのは、ハリウッド系の監督さん。「燃えよドラゴン」「死亡遊戯」のロバート・クローズ先生とは「バトルクリーク・ブロー」でお願いしただけだし、先日の本欄で酷評したジェームズ・グリッケンハウスとも再戦なし。この二人が第1次ハリウッド進出時の監督さんで、あとは第2次進出以降。ハリウッドでは一回限りのお付き合いの監督さんが多いようです。

香港映画黄金時代ともいえる1980年代に名を成した香港ニューウェイブの大物監督たち、今では巨匠と呼ばれる面々ともけっこう組んでいるんだね。

ジョン・ウーとはお互い無名時代のコンビだけだが(「ジャッキー・チェンの秘龍拳/少林門」1975年)、ツイ・ハークリンゴー・ラム(「ツイン・ドラゴン」1992年)、カーク・ウォン(「新ポリス・ストーリー」1993年)、バリー・ウォン〔王晶〕 (「シティーハンター」1993年)、ラウ・カーリョン(「酔拳2」1994年)といったメンツはちょっとすごいぞ。とはいえ、一回限りで二度と組んでいないってあたりに、なんとなく漂うものはある。ラウ・カーリョンとは「酔拳2」でだいぶ揉めたらしいということは前に書いたよね。

次は2回組んだ組。

チュン・チー/ユエン・ウーピン/チェン・チー・ホワ/ハル・ニーダム/チュー・イェンピン/ゴードン・チャン/ベニー・チャン/ディン・シェン

ここで大幅に人数が減っていることに注目。ジャッキーはそんなに何度も同じ監督とは組まないようだ。

この「2回組」で目を引くのは、出世作の「ドランクモンキー」「スネーキーモンキー」のユエン・ウーピン。あの2回しか組んでいないとは、ちょっと意外感ありますね。チュン・チーとは無名時代に、チェン・チー・ホワとはロー・ウェイ傘下時代に組んでるだけ(「蛇鶴八拳」と「カンニング・モンキー/天中拳」) ハリウッドの名スタントマン出身の大物監督ハル・ニーダムとは「キャノンボール」シリーズ2作でつきあってもらってます。チュー・イェンピンは、この後のこの連載で、たぶん触れることになる「香港のジム・ウィノースキー」(ごめん)

さて、それ以上の多数登板組はたったの5人だ。

ハリウッドでの出世作「ラッシュアワー」シリーズで組んでいるブレット・ラトナーとシリーズ3作にわたって組んでいるのは、まあ当然といえば当然でしょう。これからも組む機会があるのかな。

ジャッキーと同じくスタントマン出身のスタンリー・トンとは、4回も組んでます。しかも「ポリス・ストーリー3」(1992年)を皮切りに「レッド・ブロンクス」(1995年)「ファイナル・プロジェクト」(1996年)「THE MYTH/神話」(2005年)と、勝負作多し。ジャッキーとは気が合うのか、「ポリス・ストーリー3」のスピンオフである「プロジェクトS」(1993年)でも監督・脚本をつとめています。ジャッキー・チェンにもっとも信頼されている監督であることは間違いのないところでしょう。ある一人を除いてだけどね。

ご存知ロー・ウェイと、兄貴分のサモ・ハン・キンポーが同数の7回。この2人は監督回数は多いんですが……

ロー・ウェイとのイロイロはここでは繰り返しません。ジャッキーの香港帰還作「レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳」(1976年)から1978年の「拳精」までのお付き合い。以後は1度もなし。そりゃそうか。

サモ・ハンとは「福星」シリーズ3作を含む、いわゆる「ゴールデン・トリオ」ものが多く、これらがジャッキー映画ではなくサモ・ハンの映画であることは当欄でもしばしば触れてきましたね。なので、純粋なジャッキー映画での監督作は、じつは「ファーストミッション」と「ナイスガイ」だけだったりします。

という顔ぶれをはるかに凌駕して、ジャッキー映画を大量に監督している人がいます。ジャッキー・チェンがもっとも信頼を置く監督さんで、じつに12回も組んでいるのです。

もうおわかりですね。

12回もジャッキー映画を監督し、ジャッキーともっとも多くコンビを組んでいる監督さんは……ジャッキー・チェンです

まあ、ジャッキーはプレイングマネジャー・タイプなんでしょうね。他人に何かをやらせるよりも、自分でやっちまったほうが早いと思っちゃうタイプ。いますよね、そういう人。

だからジャッキーは、プロデューサーをつとめ、シナリオを書き、監督もし、ついでに言えばアクション監督からスタントマンまで、出来れば全部自分でやりたいのでしょうし、実際にけっこうそうしてます。

ジャッキー映画をちゃんと作れるのは、オレ自身だけ。そう思ってるんでしょうね、たぶん。

そしてそれが自惚れじゃないことは、数々の作品が証明しています。では、ここでジャッキー・チェン監督作品を並べてみましょう。

「クレージーモンキー/笑拳」(1978年)/「ヤング・マスター/師弟出馬」(1980年)/「ドラゴンロード」(1982年)/「プロジェクトA」(1984年)/「ポリス・ストーリー/香港国際警察」(1985年)/「サンダーアーム/龍兄虎弟」(1986年)/「プロジェクトA2/史上最大の標的」(1987年)/「九龍の眼/クーロンズ・アイ」(1988年)/「ミラクル/奇蹟」(1989年)/「プロジェクト・イーグル」(1991年)/「WHO AM I?」(1999年)/「ライジング・ドラゴン」(2012年)

いずれも代表的傑作ばかりですね。恐れ入りました。

近年は自らメガホンをとる回数を減らし、前述の2回組のゴードン・チャン、ベニー・チャン、ディン・シェンらに「まかせる」ことが多くなっているジャッキーですが、たぶん現場では口出しまくりなんでしょうねえ。

というわけで、今回もひとこと。

「ジャッキー、あんたって独裁者だな!」

「成龍、你是一個獨裁者!」

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