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史上最強の学生横綱

秋場所の二日目、幕下で注目の取組があった。

幕下15枚目格の付け出しで初土俵の川副が、今場所最初の取組、つまりはデビュー戦で、元大関の朝乃山と対戦したのだ。

ご存じのとおり、朝乃山は新型コロナ対策の内規違反で6場所の出場停止となって大関から番付を下げていた。去る名古屋場所でようやく出場停止が解けて復帰し、三段目優勝。今場所は幕下15枚目まで番付を上げていたので、この取組が組まれたわけだ。

初土俵のデビュー戦で、負傷などで下がってきたわけではない、いわば現役級の大関といきなり当たるなんてことはまずないわけで、そりゃあ注目も集まるさ。取組結果は、予想通りに朝乃山が実力差を見せつけて一方的に寄り倒してみせた。まぁ当然か。

そんな注目を集めた川副だが、ではなんで初土俵で幕下15枚目格だったのか。先に本欄でも紹介したように、本来は前相撲から序ノ口、序二段、三段目と番付を上げてようやく幕下に昇進できるはずなのに、いわば飛び級。

その理由は、川副が昨年の学生横綱だからだ。

学生横綱とは全国学生相撲選手権大会の個人戦優勝者に与えられる称号。平たくいえば相撲の大学チャンピオンのことだ。

学生横綱を獲得すると、その実績を認められて、大相撲入門時には幕下15枚目格でスタートできる。いろいろ制度の変遷があったが、現在は学生横綱のほかに、全日本相撲選手権大会優勝のアマチュア横綱、全日本実業団相撲選手権大会優勝の実業団横綱、および国体優勝者に幕下15枚目格付け出しが認められている(なお2冠を制覇すると幕下10枚目格付け出しとなる)

ではその学生横綱の歴史がいつごろから始まっているのかというと、意外と古く、1919年(大正8年)に第1回大会が開かれている。ここで個人戦を優勝した神戸高等商業学校の田中四郎が初代の学生横綱になっている。

以後、選手権大会は戦時中を除いて毎年開催され、昨年川副圭太〔日大〕が優勝した大会が第99回。つまり川副は第99代の学生横綱ということになる。

ただし、川副は第99代学生横綱ではあるが、99人目の学生横綱ではない。実際にこのタイトルを手にしたのはこれまでに88人なのである。

戦時中の1941年(昭和16年)に開かれた第23回大会。この大会は戦争激化の影響により、関東・関西・九州の3大会に分散して開催された。つまり第23代学生横綱は3人いる(田内貢三郎〔慶大〕、井口義明〔関学大〕、小田敏治〔大阪高商〕) この後大会は中断し、終戦後の1946年に再開されるまで開催されなかった。

いうまでもなく、この大会の出場者は大学生に限られる。つまり学生横綱に挑むチャンスは在学中の4回しかないのだ。逆にいえば、上級生を倒しさえすれば、複数回の獲得も可能なわけだ。

ということで、学生横綱を複数回獲得した記録を調べてみた。

史上最多の3回獲得者は、有光一〔関学大〕(1948年、1950年、1951年)と久嶋啓太〔日大〕(1984年から3連覇)の2人だけ。久嶋はのちに大相撲入りした久島海

2回獲得者は、佐藤三郎〔拓大〕(1934年、36年)、田内貢三郎〔慶大〕(1938年、41年)、井口義明〔関学大〕(1940~41年)、田畑外登雄〔立命館大〕(1957~58年)、輪島博〔日大〕(1968~69年/輪島)、長岡末弘〔近大〕(1976~77年/朝潮)、服部祐兒〔同大〕(1980年、82年/藤ノ川)、田宮啓司〔日大〕(1997~98年/琴光喜)の8人。

これらを見てもなんとなく感じられそうだが、じつは歴代学生横綱からプロの大相撲に進んだものの数は、意外と少ない。

学生横綱からプロに進んだのは、1960年に第38代学生横綱を獲得した内田勝男〔東農大〕が初めてのようなのだ。1961年春場所に初土俵を踏み、のちに大関まで出世した豊山(初代)である。初代の学生横綱が誕生してからじつに41年が経っている。

次いで大相撲入りしたのが輪島博で、現在のところ学生横綱から大相撲の横綱まで昇進したのは輪島ただ一人である。

99代、88人の学生横綱のうち、大相撲入りして力士となったのは、川副までで34人。じつは半分もいないのだ。

とはいえ、大相撲に入ったら入ったで、さすがの実力を発揮するのも学生横綱である。

最高位が横綱なのは輪島だけだが、大関が豊山朝潮琴光喜3人、以下関脇が4人、小結が1人、幕内が7人、十両が5人、残念ながら関取昇進がならなかったのは4人だけ。

現役力士では、佐久間貴之〔日大〕(常幸龍)、明月院秀政〔日体大〕(千代大龍)、正代直也〔東農大〕(正代)、中村大輝〔日体大〕(北勝富士)、大道久司〔東洋大〕(御嶽海)、バーサンスレン・トゥルボルド〔日大〕(水戸龍)、菅野陽太〔中大〕(栃武蔵)、プレブスレン・デルゲルバヤル〔日体大〕(欧勝馬)、川副圭太〔日大〕(川副)の9人が学生横綱獲得者だ。【2022年9月場所現在】

いかがだろう、やはり一般の新弟子たちにくらべると、学生横綱たるもの、さすがの出世ぶりである。

ちなみに、以前に調べたところでは、年6場所制以降の全新弟子8000人余の関取昇進率はおおむね10%に届かない。それに対して、34人の学生横綱獲得力士のうち、関取昇進者は29人なので、昇進率は85%余になる。

さらに現役の御嶽海、正代の2大関を加えると、横綱大関昇進者が6人。34人中6人は、昇進率にすると17%。全体の昇進率0.6%にくらべると、段違いの高率である。【参考:史上最強の新弟子

大学チャンピオンともなると、プロの世界でも即戦力であることがよくわかるだろう。この秋場所の番付では、水戸龍が新入幕、栃武蔵が新十両に昇進した。川副くんも近々に十両以上に躍進し、人気力士となるのを期待されているのだ。がんばるように。

ちなみに朝乃山も学生相撲出身なのだが、朝乃山こと石橋広暉〔近大〕は、学生横綱は獲得できず、プロデビューは三段目付出だった。

さて、過去の学生横綱獲得者をリストにして眺めていたら、そこに意外な名前を見つけた。

1949年(昭和24年)に第27代の学生横綱を獲得している、吉村道明〔近大〕である。

そう、日本プロレス時代に、あの力道山からジャイアント馬場、アントニオ猪木らの名バイプレイヤーとして活躍し、インタータッグやアジアタッグ王者に君臨したプロレスのレジェンド、あの火の玉小僧・吉村道明である。

もちろんプロレスラーの吉村道明は私が子供だったころからよく見ていたが、彼が学生横綱だったとは知らなかった。

そこでもう一度学生横綱一覧表を見てみたが、どうやら学生横綱からプロレスラーになったのは、大相撲入りした者よりもさらにレアなようだ。

私の見たかぎりでは、吉村のほかには、ご存じの輪島と、1979年(昭和54年)の第57代学生横綱・小谷一美〔日大〕しかいない。小谷一美は大相撲入りして花嵐となり十両まで昇進。その後廃業してプロレスラーに転じ、天龍源一郎のWARで相撲軍団のに変身、いろいろあって各団体を渡り歩き、ダンク・タニを経て大黒坊弁慶と改名、2014年に引退している。

輪島と同様、小谷も大相撲入門を経ているので、学生横綱からストレートにプロレス入りしたのは、吉村道明だけのようだ。たぶん。

ついでにもうひとつ、学生横綱をいちばん多く輩出している大学はどこかも調べてみた。いうまでもないだろう、わが母校である日本大学が99回のうちの26回を制しているのである。2位は拓大の9回、3位は近大同大の7回だから、日大が断トツなのである。今年も頼むよ。

ということで、11月5日~6日に開催される今年の全国学生相撲選手権大会の個人戦優勝者は、栄えある第100代学生横綱となるのである。この金看板を誰が背負うことになるのか、今年もたぶんNHKあたりで中継があるはずなので、注目してみたいところである。

大相撲/丸いジャングル 目次

【2022/11/18】 栄えある第100代学生横綱のタイトルを獲得したのは、バトジャルガル・チョイジルスレン。日体大4年同士の対決になった決勝戦で、昨年のアマ横綱だった中村泰輝に勝って栄冠を手にした。2人はともにプロ志望だそうなので、来年春場所あたりには大相撲の土俵でデビューすることになりそう。楽しみがひとつ増えたな。

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