名画座に珍品映画を追う
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大学生のころは、とにかく映画館に通った。いまからもう30年以上前、1980年前後のことだ。
当時は隔週刊だった情報誌「ぴあ」をめくりつつ、自分の好きな映画、面白そうな映画の上映館を求めて、それこそ飛び回っていた。
おかげで大学の講義には……まあそれはいいや(笑)
年間に200本の映画を見ることを目標にしていたんだから、今の私よりもはるかに勤勉だったわけだな。
もちろんビンボーな学生さんのこと、そのすべてを封切館で見ることはできない。今よりも安いとはいえ、当時でも封切館のチケットは学生割引で1200円くらいはしたからね。学生食堂の定食が300円で喰えた時代ですから。
そこで大いに利用したのが、映画会社が行なう試写会。
「ぴあ」や「キネマ旬報」などの映画雑誌に出る募集広告を見ては、せっせとハガキを書き、また映画研究会の仲間内で融通しあって、ガスホールだヤマハホールだよみうりホールだと、あちこち通ったもんだ。
しかし、当時は封切り本数も今よりも少なく、試写会の回数も限られていたから、ここでそうそう鑑賞本数を稼ぐことはできない。
となると、頼りは「名画座」だった。
もはや都内近郊では絶滅危惧種だが、あのころはそれこそ各駅ごとに名画座があって、趣向を凝らしたり、惰性にまかせたりしたプログラムを、ほぼ週替わりで上映していた。そこにかかる映画は、封切り上映が終了した直後のものが多かったので、見逃し映画の追跡には便利だったのだ。
だが、本命は珍品の発掘だった。
たとえば、封切り館では上映しなかった、スプラッシュ公開と呼ばれていた映画がある。
あの時代、都内などの都市部では、洋画はすでに1本立てのロードショー公開が基本だったが、地方ではまだ2本立て公開が普通だった。だいたいは都市部で1本立て上映だった映画を2本組み合わせて番組が組まれるのだが(そのぶん公開が数週間遅かったりした)、たまに映画が足りなかったのか、あるいは何かと抱き合わせで買わされたりしたのか、いろいろな都合で、メインの1本立て映画に都内では公開しなかった作品が、地方限定で組み合わされたりするのだ。
だいたいは、都内で公開されないのも当然といった失敗作や安物映画、あるいは地味な良心作などがほとんど。
私は、そういった映画を、名画座に追いかけるのが趣味だった。
人が見ていない映画を見るのは、なんとも言えず楽しかった。あんまり大した趣味ではないし、見たことを自慢しても誰も反応しないような映画ばかりなんだが。
「ブルース・リーを探せ」「ミスター・ダイヤモンド」「スタントマン殺人事件」「レッドオメガ追跡作戦」……知らないでしょ?
なかでも「レッドオメガ追跡作戦」(1981年)は痛快だった。
私の好きなテレンス・ヒル主演作だったこともあるが、この映画を伊勢丹の裏のへんにあった名画座「新宿ローヤル」にまで追いかけたことでは、自分をほめてやりたい。そうしなければ、たぶんこの映画の存在を知ることはなかっただろうから。
ひょんなことから超能力を得たパトロール警官が大騒ぎを引き起こす気楽なコミカル・アクションで、クリストファー・リーヴが主演した超大作「スーパーマン」の添え物でスプラッシュ公開されたと記憶している。
バカバカしい映画だし、もしも違うシチュエーションで見ていたら記憶にも残らなかったかもしれないが、私はえらく気に入った。その後かろうじて日本でもソフト化され、そのVHSはいまでも私の宝物だ。
私はずっと都内育ちだったので、こうした添え物映画が話題の超大作に当然のように寄生して公開される感じは、肌感覚ではわからないのだが、当時はちょっとウラヤマシかったもんだ。
時が経って、今では名画座もほとんどなくなり、DVDレンタルや衛星放送で手軽に見ることのできる映画の種類も増えた。そのぶん、こうした珍品発掘を趣味とするのは、少々難しくなっているんだろうな。
さて、今の若者たちは、こうしたヘンな趣味をどうやって満たしているのだろうか?(ああ、そんなことするヤツはいないか)
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