色々戦隊大集合

全日本プロレスの秋山準が率いる「AJレンジャー」がデビュー戦を戦った。

先にちょっと書いたように、大森隆男がリーダーのユニット「アックス・ボンバーズ」に対抗して結成されたこのユニット。いささかワルノリ気味のリーダー秋山は、4色のマスクとコスチュームまで用意する熱の入れよう。肝心の試合は連係に勝る「アックス・ボンバーズ」に譲ったようだが、当初予定のホワイト(秋山)、レッド(中島)、ブルー(青柳)、グリーン(入江)に加えて、定番のピンクも登場したそうだ。おお、ちょっと面白くなりそうではないか。

という「AJレンジャー」の元ネタは、いうまでもなくテレビの戦隊ものだろう。秋山社長、その年代か。

それまでは単独で孤高の戦いに臨むことがほとんどだったスーパーヒーローものに、初めて団体戦を戦わせたのは、1975年にスタートした「秘密戦隊ゴレンジャー」(諸説ございますが)

戦隊ものの走りとなった「ゴレンジャー」だが、その成功の一端が、それぞれのヒーローに、文字通り「色を着けた」コンセプトにあるのは間違いないだろう。

リーダーがアカレンジャーで、メンバーがアオレンジャー、キレンジャー、ミドレンジャー、そして紅一点のヒロインがモモレンジャー。このカラーリングは、その後いろいろなところで模倣、応用されていった。

特になじみやすかったのが、プロレス界だったのだろう。このシステムをまねたコンセプトアートを持つユニットがいくつも誕生してきた。

1995年4月2日に「週刊プロレス」のベースボールマガジン社が主催したオールスター戦「夢の懸け橋」 この時にみちのくプロレスが提供した試合が、スペル・デルフィン、愚乱・浪花、TAKAみちのく 対 グレート・サスケ、SATO、獅龍の6人タッグ。その後のメンバーたちの足取りを見たうえで、いま思い出すと、けっこう豪華な顔ぶれだ。

その試合でスペシャル感を高めるために採用されたのが、このカラー戦隊システム。

詳しいカラーリングは忘れたが、デルフィン軍がふだんと違う、赤、青、黄色などのコスチュームを身にまとって登場したのだ。

さらに仕上げとして、当時全日本女子で人気だった長谷川咲恵をピンク戦士にブッキングすることに成功し、東京ドームを大いに沸かせた(セコンドのみで試合には不参加)

この興行は各団体が1試合ずつを提供する形で行なわれたが、メジャーや老舗団体のカードを差し置いて、このタッグマッチが一番印象を残したのは、この演出ゆえと思っていいだろう。

ゼロ年代に一世を風靡したハッスルにもカラー戦士が登場している。

高田モンスター軍とハッスル軍の抗争を軸に展開したファイティング・オペラの中で、ハッスル軍のためにハッスル星から飛来したという設定で登場したハッスル仮面がそれだ。

リーダー格のハッスル仮面レッドのほかに、ハッスル仮面ブルー、ハッスル仮面イエローを主要メンバーとするマスクマン集団で、ほかにグリーン、ピンク、オレンジ、名古屋大会限定で登場したきん、ぎんがいた。その正体は主にメキシコのプロレス学校・闘龍門のメンバーだったといい、今をときめくオカダ・カズチカもハッスル仮面を演じたことがあるらしい。

90年代から地道に続いていたIWA格闘志塾とその流れをくむインディ団体に登場していたのが、ある意味プロレスの世界では伝統芸ともいえる、ミイラ男キャラクターのマミー軍団(といっても対立抗争することが多かった)

最初にザ・マミーがいて、次いでその敵としてブラック・マミーが出現したのだが、やがて96年にレッド・マミーが出現し、ちょっとだけだがヒットになった。白い包帯を巻いてあるからミイラ男だと思うんだが、真っ赤な包帯ってのもどうなんだか。すぐにブルー・マミーが出現したのは予想通りだったが、その後カラーリングのマミーはあまり登場せず、最後はメカ・マミーというヒット作を誕生させていたっけ。

ま、その他にも細かいもの屋、まったく話題になっていないものもあったかもしれない。

プロレスではなく大相撲では、惜しかったのがある。

あの朝青龍が台頭して番付を上げていき、すぐあとから朝赤龍が上がってきたときのこと。当然ながら私は後続を期待したものだ。つづいて、「朝黄龍」や「朝緑龍」が誕生しなかったのはなんとも惜しかった。実現していれば横綱・朝青龍が両脇に朝赤龍と朝黄龍をしたがえた「交通信号土俵入り」が実現していたのに(笑)

さて、「AJレンジャー」はこうした先達たちをしのぐヒット作になるのか、さらなる増殖があるのか、ホワイトこと秋山司令長官殿のお手並み拝見といこうではないか。

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