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未発売映画劇場「シャーロック・ホームズ/恐怖の研究」

本格ミステリ小説の巨匠エラリイ・クイーンの長編作品のひとつに、『恐怖の研究』(1966年)というのがある。

名探偵エラリイ・クイーン(作者と探偵が同じ名前)のもとに、古い原稿が届けられる。それはジョン・H・ワトスン博士によるシャーロック・ホームズの捜査を記録した未発表原稿だった。そこに描かれていたのは稀代の殺人鬼・切り裂きジャックを追うホームズの姿。エラリイは原稿を読み進めながら、そこに秘められた切り裂きジャック事件の真実を暴き出す。

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シャ-ロック・ホームズとエラリイ・クイーン、二人の名探偵の夢の競演!

という大胆な趣向のわりには、この作品、あまり高く評価されていない。

というのもこの『恐怖の研究』には、もともと映画のノベライゼーションであるという事情があるからだ。ノベライゼーションが一枚下に見られるのは、昔も今も同じこと。

映画のシナリオを逆手に取ったようなメタ・ミステリな構造といい、決して巨匠クイーンの作品として不出来ではないと思うのだが。先入観のせいだとしたら、気の毒なことである。

さて、では、そのおおもとになった映画とはどんなものか?

小説版『恐怖の研究』はすぐに翻訳出版されたのに、じつはその原案たる映画「A STUDY IN TERROR」(1965年)は、当時から現在に至るまで、日本ではまったく未公開のままなのだ。

劇場公開もテレビ放送もソフト化もなし。

ということで、その「A STUDY IN TERROR」を見てみることにした。アメリカ製のDVDで鑑賞。

上記のような事情があったので、じつはこの映画、かなりB級な映画のような気がしていたが、どうしてどうして堂々たるホームズ映画だった。スマン、こっちも先入観にとらわれていたよ。まあそもそも、そんなにB級な映画を巨匠クイーンがノベライズするわけもないんだが。

「A STUDY IN TERROR」が堂々とした映画になっているのは、予算や撮影規模はもちろんだが、やはりきちんと作られた脚本のおかげだろう。

映画は切り裂きジャックの残忍な犯行から始まる。事件を報じる新聞を読むワトスンとホームズのもとへ、謎めいた小包が届く。中身は解剖用の大ナイフだけが失われた外科医用器具のセット。事件との関連を嗅ぎつけたホームズは、セットについた紋章を手がかりに、切り裂きジャックの正体に迫ってゆく。

いきなり登場する売春婦がアニー・チャップマンと名乗るあたりでもわかるように、切り裂きジャック事件のディティールをかなり正確に取り入れている。脚本を担当したデレク・フォードドナルド・フォードの兄弟コンビ。異色スリラー「狂ったメス」で知られるこの二人が、事件のことをかなりきちんと調べたようだ。

ただし、映画の本来の趣旨は切り裂きジャック事件の再現ではないようだ。有名な「犯人からの挑戦状」も扱いは小さいし、物議をかもした「犯人の落書き」も登場しない。実際に事件の捜査に当たった警官の名前も出てこない。

なので、そもそもはシャーロック・ホームズ映画を作りたかったのだろうと思われる。

レストレード警部やハドソン夫人などのレギュラーのほか、特に必要なさそうなのにマイクロフト・ホームズ(演じるのは名優ロバート・モーリイ)まで登場させているし、「初歩だよワトスンくん」のセリフや、鹿射ち帽にインバネスのスタイル、パイプなど、基本的なホームズアイテムをしっかり押さえていることからも、それがわかる。

ちなみに、この原題「A STUDY IN TERROR」が、ホームズ正典の長編のひとつ「緋色の研究(A STUDY IN SCARLET)」のひねりであることも言うまでもないことだろう。

それに加えて、しっかりセットで再現した昼のロンドンの風景だけでなく、霧に包まれた不気味な夜のロンドン、狂乱の酒場や荒れた裏町など、映画全体の作りも、そこそこしっかりしている(監督はジェイムズ・ヒル。この直後に名作「野生のエルザ」を手がけている)

それもあってか、それまでにアメリカなどで映画化されたホームズ映画の諸作よりも、公開当時の評価は高かったという。

にもかかわらず、この映画が、今日までも語られるような名作や傑作ではなく、埋もれた映画になったのはなぜか。

酷なようだが、この原因は、肝心の主役、ホームズとワトスンを演じた二人の俳優にあるのではなかろうか。

ホームズを演じたのはジョン・ネビル、ワトスンがドナルド・ヒューストン

知らないだろ? イギリスのテレビでかなり長いキャリアを持つ二人だが、いかんせん地味、というか「華」がない。手堅くホームズとワトスン演じているのだが、残念ながら「演じている」ようにしか見えないのだ。

ホームズ映画でホームズに魅力がなければ、それは致命的な欠点。

もちろんそのせいだけではないのだろうが、この映画がついに日本未公開に終わったのは、このへんにも原因があるのだろう。

とはいえ、ちょっと幻のままにしておくのは惜しい気もする。TV「シャーロック」でホームズ人気復活の風潮もある昨今、どこかで国内発売しないかね。

ところでこの映画、イギリスのコンプトンフィルムという会社が作ったイギリス映画なのだが、小説版を書いたのはアメリカ・ミステリ界の巨匠クイーン。ううむ、ここにどんな事情があったのだろうか?

そしてもうお気づきのように、映画には名探偵エラリイ・クイーンは登場しない。いやそんなメタミステリな構造になっていない。ごくフツーのホームズ映画なのだ。それがどこでどうなって、あのように凝りに凝った構成の小説になったのだろうか(ここだけの話、映画と小説では結末、つまり切り裂きジャックの正体が違うのだよ)

この小説化には、どうやらいろいろな裏事情があったらしい。そのへんも興味があるところではある。

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【追記 2017/4/25】 書き忘れたけど、外科医の娘役でロマンスパートを(ちょっとだけだけど)担うのが、ジュディ・デンチだった。1995年の「007/ゴールデンアイ」から「007/スペクター」 (2015年)まで、007ジェイムズ・ボンドの上司である「M」を長く演じていたあの女史。意外にも(失敬)若くて清楚で可愛らしい。まあ「M」の時代よりも約30年前だから当然か(またまた失敬) してみるとこの映画、「007の上司対シャーロック・ホームズ」でもあったのか。

【追記 2019/3/20】 切り裂きジャック事件の「真相」が判明したとかいうニュースが流れてきました。まだまだ眉唾ものですがね。でもこういうのを機会に、またこのジャンルに興味が集まるのは嬉しいことです。


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