個人勢Vtuberは意識が低い。

まず前提として、全ての「個人勢Vtuber」がそう、というわけではない。


うっす、超頂点から見下ろす系Vtuber日頂ミヤビだ。

まずはこのタイトルに釣られてこの記事を閲覧してるアナタ。

おそらく「Vtuber活動を行っている者」「Vtuber活動を始めようと思っている者」「Vtuberに興味がある者」
このいずれかに当てはまると思う。
その上で「失礼な!ワタシは(ワタシが好きなあの人は)意識が低くなんてない!」そう感じているのではなかろうか。

良いんじゃないっすかね、その考え。

しかし、それでも敢えて言おう。

「個人勢Vtuberは意識が低い」と。

えっ、じゃあ具体的にどういうこと?

答えるわ。


「具体的にどういうこと?」

「Vtuber」という存在は今や星の数ほどいる。
最も有名なところを挙げると「キズナアイ」や「にじさんじ」グループなどだが、アナタが知らない「Vtuber」を名乗っている存在は引くほどいる。

「Vtuber」は「簡単になれる」存在になったのだ。

ひと昔前、TwitterやInstagram、FacebookなどのSNSがまだ流行していなかった時代、インターネットは「難しい世界」だった。それが今や、多くの人がインターネットの世界に「SNSアカウント」というパスポートを以てどっぷり浸かっている。
「Vtuber」はその延長に過ぎない。バーチャルな姿を用いたSNSになってきているのだ。

故に知名度も無い、タレントとしての覚悟や才能も無いニンゲン達が次々と進出し、今や「個人勢Vtuber」は一種の「SNS」になった。
「Vtuber」=「バーチャルユーチューバー」という言葉の起源にまで辿ると、YouTubeというフィールドで活動しているかのように思えるが、全員が全員そういうわけでもない。
例えば、17Live・MixChannelといったような外部の配信アプリでの活動を主に置いている人もいる。「バーチャルツイッタラー」などと名乗り、Twitterでの投稿が主な者さえいる。

「Vtuber」は、新しい言葉ではなく、既に1度以上の変遷を経たインターネット発の「既に存在していた言葉」となったのだ。

その結果「個人勢Vtuber」は溢れかえったのが現状である。

では、「個人勢Vtuberは意識が低い」とはどういうことか。
それは、タレントとして「見られる意識」が前提条件ではなくなった、という意味だ。

Vtuber黎明期、彼ら彼女らは確かにタレントであった。何故なら、特殊な技術を持った者だけが「Vtuber」になれたからだ。決して、そこに企業の力が必ずしも介在しているわけではなかったが、「Vtuber」というだけで「一般人」には特殊な人達に見えていた。
だからこそ企業勢・個人勢の垣根を超えた同族意識もあったし、タレント活動におけるファンとの間の壁も強固であった。

しかし、今はそうではない。

「Vtuber」はもう、特殊な存在ではないのだ。
スマホアプリ、PC向けフリーソフト、それらを使って簡単に(キャラクターデザインやモデリングなどを必要とはするが、そもそも一般人が手を出せる金額で依頼出来る時点で過去とは違う)「Vtuber」になれてしまう、そんな時代だ。

特に顕著な例は、「ファン」が「Vtuber」になってしまうという流れにある。
「Vtuber」をタレントと捉え、世の多くの人に分かりやすく言うとするならば、「テレビで見た歌手に憧れて自分も歌手になっちゃった」のだ。

まあ、現実的ではなくとも非現実ではないが。

しかし、この例えを叶える為には並大抵の努力では足りない。ボイストレーニングや売り込み、他にも多くの人に頼り、そして何より運が無ければ叶うものではない。

その過程をスキップ出来てしまうのが「Vtuber」なのだ。
今、「Vtuber」とは、生身ではない仮想のカラダを用いてインターネット上に存在してしまえば名乗れる程度の軽い肩書になった。先に述べたように、YouTubeでの活動さえも「Vtuber」という言葉には内在していないのだから。
故に、覚悟も才能も技術も無い、ただ「やりたい」と思っただけの者が「個人勢Vtuber」として生まれる。
それでいて「キズナアイ」や「にじさんじ」などの華々しい活動を見ながら自らの活動とのギャップにやきもきする、そんな人もいるだろう。

それはただ単に「意識が低い」からなのだ。


「タレントとして成功する」という意識が。


「タレントとして成功する」とはどういうことか。

「知られる」「好かれる」「使われる」
以上だ。

「知られる」とは、不特定多数の一般人、またの名を「ファンになってくれるかもしれない人」に認知してもらうこと。それが出来なければ視聴者も増えないしチャンネルの収益化も達成出来ないし、スパチャなんて夢のまた夢だ、アナタの配信や動画にたどり着くことさえ不可能なのだから。

「好かれる」とは、もう一度見たいと思わせること。それが出来なければ活動の継続は不可能だし、拡散もしてもらえない。一度限りの「こんにちは」は、人類の数が有限である以上いつか尽きる。

「使われる」とは、ファンの娯楽の対象の中で優先してもらうこと。それが出来なければファンによる動画や配信の視聴はもちろん、それらを見込んだ企業からの案件も任されることは無い。

ただTwitter上での他の「Vtuber」や「Vtuberファン」との交流を楽しみ、なあなあで配信や動画投稿を行い、漠然と半年や一年程の活動を続け引退。
引くほど見た。
なんとなーくでやってたらそりゃそうなる、“伸ばす”ことを目的としなければ。

そして、これが「本題」であり「一番伝えたい事」なのだが。


「それ」でいいのだ。


「えっ、ここまで散々な物言いをしておきながら?」

とは口にもしたくなるだろうが、その通りだ。

先にも述べた通り、「Vtuber」という言葉・概念は「SNS」の一つの在り方になっている今だからこそ、それでいいのだ。

もちろん「企業」がマーケティングの観点で「Vtuber」を用いて広告を行い、その為に資金を投入している場合や、「個人」でありながらも「タレント」として活動を行っている場合はその限りではない。

しかし、一種のコミュニケーションツールとして、それを行っている人間だって居る。そういう時代に移り変わったのだから。

良いじゃないか、「意識が低い個人勢Vtueber」。

結局な、本人や周りの人間が楽しんでやっていることなら誰からも文句を付けられる謂れなど無い。

「企業Vtuber」や「大物個人勢Vtuber」とは違った距離感でコミュニケーションを楽しめる、小さな「個人勢Vtuber」達。
需要も供給も存在しているのならば、その存在は是とされるべきだ。

積極的に楽しもうよ、Vtuberを。

「これもまた、頂点」


改めて
うっす、超頂点から見下ろす系Vtuber日頂ミヤビだ。
個人Vtuberグループ「アミュジック」に所属している。
主な活動はゲーム配信、動画制作(MV・企画動画・ゲーム実況)、文章執筆(noteで思考を整理したり、他所で小説を書いたり)
配信・動画投稿・文章執筆の更新情報はその都度Twitterで報告している。
少しでも興味を持ってくれたのなら、TwitterやYouTubeをチェックしてくれると嬉しい。

リンク
Twitter
https://twitter.com/HitadakiMiyabi
YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCL87Ts05-rBwhtTXcrmg09Q

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