ヴィーナス・アンダーグラウンド
此処に散弾銃があったなら、何もわかってない目の前の奴等に向けてブッ放してやりたい。
そう思う間も無く、俺は上着の懐中に吊り下げていたピストルを手に取り、目の前の人間に向かって無機質の飛翔体を撃ち放した。
そう、散弾銃がなくとも、このか弱いピストルを使って目の前の人間達を撃てるのだ。
俺の手から飛び出したミネラルは、阿保を目掛けて飛んでいき、額に貫通穴の血溜まりを作った。
鉛玉一発ずつで、一体限りなのが惜しいところだ。
お一人様一体限り限定の特売品か。
一銃声につき、五体ぐらいは天国にいかしてやりたかった。
そいつはマシンガンでないと無理か。
一人倒れたことでその他の連中が血相を変えて、俺を拘束しようと動作する。
「おい!あすこにブラ下がっているガス管を撃つぞ!動くな!」
照準を合わせ、撃つ真似をする。
ピストルに手をかけ襲い掛かろうとした連中がどよめいた。
ここはマフィアが屯(たむろ)するレストランの中。
「いっぺんに何もかも消し飛ぶ更地になりたいのか?なりたくなかったら大人しく見送れ……」
そうして堂々と正面玄関から帰る。
帰ろうとしたが、容易く見逃してはくれないマフィアさんは、俺が室内から出る瞬間、改めてピストルを一斉に向け、蜂の巣にしようとしてきた。
慌てて銃弾が多人数によって掃射される音を背後に、類稀な運動能力によって走り去る。
車に乗り込むと此処に散弾銃があった。
俺のベレッタ1301 Comp Pro!
愛しのショットガン!
フレームに塗られたベレッタブルーの色合いが美しい!
船や飛行機のコックピット、そして車の運転は完全デジタル化が進んでいる。自動操縦システムをONし、手放し運転をしながらショットガンを追手に向けてブッ放す。快適だね。
何でこんなことになったかって?
マフィアと話が決裂したからさ。
マルチバース(多元宇宙)は実在するのか、しないのかについて、物の見事にマフィアの親玉と意見が対立した。
俺はマルチバースを当然に信じている。
俺はこう見えて「気の触れたラマヌジャン」の異名を取る。
どんなに最新の物理学の理論を尽くして説明しても一向に理解の片鱗すら見せなかったので、額に一発プレゼントしてやったというわけさ。
街を車に乗り走り抜けながら、賄賂と悪法と売春の蔓延るこの街に、改めてウンザリの溜息を喉から出した。
俺の母親も売春婦だ。だけど本人は自分を処女のままの聖母マリアだと思っていた。
聖母マリアだと思い込みながら、性病のデパートになって死んだ。
裏路地の人間と表通りの人間にくっきり別れたこの街は、物悲しささえ喜劇以上の質量を持てなくする。
しょうがないからいつだって偶像は信用しない。
銃声の雨は下水道にて殊更降る。
この街において殺人のメッカの一つは下水道だ。
下水道の中で暴行され、殺され、そのまんま肉片やら骨片やら切り刻まれ、汚水に流される。
この街には死体損壊屋も、死体解体屋も腐るほどいる。
街では二大の対立するマフィアが、グレゴリオ歴とヒジュラ暦よろしく、互いを鏡越しに対照させあっている。
それから二つの間を縫って、けしからん商売をしている俺のようなフリーランスもうじゃうじゃいる。
俺は案外、活躍をしない殺し屋だ。
一殺につき、報酬は1000万円、着手は半分の500万円。
仮想口座に支払って貰う。
現在では誰もが物の売買取引、金融取引、貿易、流通、の全てを、電子上に設定された仮想空間シティの中で行っている。
市場は最早現実世界には無い。
仮想空間の進化によって人類はかなりオントロジカルな問題に直面しているといえる。
デカルトの「…我々は睡眠と覚醒を明確に区別できる確かなしるしを持たない現在、私が夢を見ていて、私の知覚の全てが偽である可能性もある」や荘子の胡蝶の夢に名高い、シュミレーテッドリアリティ仮説が肉迫を強めるからだ。
洋服も日用品も、料理までも、仮想空間の店でショッピングをし、後はドローンの配達デリバリーに住処まで届けて貰うだけだ。
利便性重視社会の形態において、わざわざ実在するレストランや店に足を運び食べようとするのは、富裕層の娯楽ばかり。つまりいるのはマフィアか政治家ばかり。
いつの時代も娼婦の売春形態までは中々変わらない。
原始からアナクロニズムのまま息衝き続ける娼婦だけは、ひょっとしたらこの世の唯一のヴィーナスなのかもしれない。
人が崇める神だの仏像だのの偶像の姿態は、どれだけ時代が変わってもアナクロニズム。
彼女らの人生はいつだって、墓標の無い墓場行き。
Gott ist tot。この世界はこれまでねじれてよじれていなかったことはない。
思いつく限りの多種の苦しみが渦巻いているが、宇宙とは元々が歪んだ形をしているものなのだという。
宇宙は歪んでいる。世界は歪んでいる。人間も動物も、昆虫も、植物もまた、歪んでいる。歪みについて、人間ならば誰しも経験的に実証の日々を生きている。
聖人とは神しか愛せない者のことだ。
神への信仰とは、ひずんだバロッコ(不合理)世界に不似合いな直線定規を求める連中が持つ心だ。
神がもし存在するとしたらそれは唯物的な娼婦の中だけにしかいない。
にも関わらず、人は自らの手で神を唾棄し、世界を暗闇に全没させる。
箴言(しんげん)はいつだって、社会の中では無価値扱いされている人間だけが掴み取る啓示だ。
形式論理的矛盾の所産である”神”。
基礎の証明が不可能である神によって、数学も物理も根拠されているという”矛盾”。
矛盾はあって当たり前だ。だってこの宇宙は歪んでいるのだから。
数学にしろ神にしろ、起発の正しさなんて誰も証明出来ない。
なぜそれは正しいのかなんて誰も証明は出来ない。
なぜならこの宇宙は歪んでいるのだから。
ゲーデルの第一不完全性定理が、歪んだ宇宙の下に成立している我々の世界としっくりコンフォミティーする。
神と数学と娼婦という言葉を並べていると、マテリアリスティックモニズムな思考につい寄ってしまう。
『我々は何かを欲し、その欲したことが叶えられるとさらにまた新たなものを欲する。
自然にも動物にも、強いては人間自体にも目標は無く(中略)それはあたかも癒されることのない喉の渇きの様なものである。喉の渇きというのは現象学的に見れば飲み水を得ることの出来ない欠乏の状態である。
ショーペンハウアーは「あらゆる意欲の基盤は、欠乏であり、不足であり、したがってまた苦痛なのだ」と述べた。』
※引用「ショーペンハウアーの宗教観」白木 悦生
フロイトは性欲を中心に考えているし、アドラーは劣等感を中心に考えている。そしてこの俺は、欠乏を中心に考えている。
無欲であるからこそ性欲や食欲を欲するのだし、神が不在であるからこそ神を欲する。
矛盾と歪みの元に世界が成立しているのを考えれば、全ての人間は欠乏によって衝き動かされているというのもあながち間違いではあるまい。
何故正しいのかが証明できない物からでしか万物の証明は生まれ出でないのも頷ける。
天井は夜に変貌した。
夜空にひしめく砕けたガラス片は、星である。
小糠星(こぬかぼし)と呼ばれる。
小糠星のきらきらした輝きは、脳の動きと似ている。
そうだ。俺達の脳だ。
脳の中ではニューロンが電気信号(シグナル)によってやりとりをしている。
現在、実刑判決を受けた囚人への刑罰は、刑務所収容ではなく『脳刑』が、主流となる刑罰となっている。
まず囚人は判決を受け刑期が決まったら開頭手術を受け、頭蓋から脳を取り出され、培養液の中に刑期中浸されることとなる。
体は冷凍保存されるか、刑期が終わればIPS細胞によって複製再生され、脳が再び体の中に返される。もちろん生きている。
『脳刑』は巷では人々にこう呼ばれている。
「仮睡(かすい)の糠星(ぬかぼし)刑」と。
その名の通り培養液に浸かる脳は微睡んでいる状態に等しい。
いいや、けれども微睡んでいるなんて気持ちの良い状態ではないな。
脳が脳刑の間中受けているモノ。
ヒラリー・パトナムの水槽の脳と変わらない。
脳には数々のプラグ電極が刺され、知覚の全てをコンピューターに統御される。
嗅覚、触覚、味覚、視覚、聴覚の感覚全てを操られる。
そこで見せられている夢は、生々しい感覚を伴うおぞましいものである。
自分の犯した罪に等しい悪夢を見せられる。
ある脳(もの)は試験管内に密閉された実験ラットと同様の感覚、苦痛、ストレスを与えられる。
1ミリの隙間無く狭い筒に体が閉じ込められ、僅かな身動きさえ取れない。
三年~五年も同状態でいる感覚だけを味合わされる刑罰だ。
またある脳(もの)は、海老反りされた苦しい感覚のまま同じく変形筒状内に身動きできず三年~五年も同状態でいさせられる刑罰。
苦しくても死ぬに死ねない。
刑期が終わるまで耐えるしかない。
苦痛ある死を人に与えた犯罪者は、同じく被害者の苦痛を再現され、何度も何度も刑期が終わるまで繰り返し殺される。
児童や婦女を性暴行した犯罪者は、刑期が終わるまで屈強男に何度も手酷い強姦をされる。
どんなに仮想リアリティといえど、異常インパルスや神経細胞の興奮を操作された脳が味わう苦痛やストレスの感覚は、現実とちっとも変わらない同じ物だ。
仮眠を終え帰還した囚人は、劇的に改心しているか、廃人になっているか、の大半はどちらかだという。
何にせよ再犯率が物凄く少ないのだ。
結果、マジェスティックな市民権を得、現在の主流となっている。
もし俺が脳刑を受けたらどんな悪夢を見させられるだろうか?
案外、現在見ているこの世界が、仮睡の世界なのかもしれないがな……。
少なくとも俺は品行方正だし、母親(ヴィーナス)の影響により、生まれてこの方、SEXだってまともにしたことがない。
時折、男娼を買っては銃口をフェラさせ、ケツに銃身を突っ込んで、趣味のガン・ファックをしているぐらいだ。
撃たれるかも、と極限の恐怖に怯えながら震えてイく顔を眺めるのがたまらない。
勿論中にはそのまま撃ってしまったパターンも有る。
自分にとっては毎日が平穏な世界だが、もしかしたら、平穏こそ俺に与えたい刑罰である罪を俺は犯したのかもしれない。
地下(アンダーグラウンド)と地上は変形した表裏一体なのだから。
平穏がもっとも苦痛と結びつく人間だっているだろう。
そういえば最近、極東にある島国では、王室の一人が一般市民と結婚をし民間落ちをしたらしい。
俺が記してきたこの世界の有様は、まるで酔っ払いの戯言の世界だね。
ひどく過激な冗談的で、滑稽で、思いつきを口走って次々とメモに書き散らしている様だ。
取り留めもなく、整合性も少し無い。
笑い事だ。
であれども笑い事ではない。
俺の実態は培養液の中にあるのかもしれないし
「これを読んでいるあなたが、もしかしたら他の多層宇宙の一つに生きている俺なのかもよ?」
ヴィーナス・アンダーグラウンド
~完~
よろしければサポートお願いします。 いただいたサポートはクリエイト活動に費やします。