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220830 青春18きっぷで1500km大移動⑦(松本→名古屋)

 一昨日は芝の同級生のような後輩と久しぶりに再会を果たしました。ぼくが中高となぜか在籍していたソフトテニス部の後輩です(そう、本当に「なぜか」です)。なぜソフトテニス部に入ったのかは今でもよくわかりませんが、親に「運動部に入れ」と言われたので一番緩そうな運動部にしたとかそういう話だったと思います。緩そうだなと思って入ったらいきなり「オレたちは勝つことを目的としていて・・・」と言われて腰を抜かしました。「え、都大会にすらほとんど行けないのに?」という言葉が食道を通り越して唾液腺のあたりまで上がってきましたが、まさか彼らが勝つことを目的に部活を運営しているとは思いもしませんでした。それなら入る前に言ってくれ。
 さらにそのあと、当時高校1年生だった先輩に「集中力が高まると自然と声が出るから、お前らの声が出てないってことは部活に集中してないってことで・・・」というはじめから終わりまで恐ろしいほどに理論崩壊した説教をされて退部することを決意したのが確か中1の6月くらいだったはずです。おお、5月に入部して6月に退部を決意する、なかなかの大物ですね。やめようとしたらラケットと靴を買ったことを理由に親に止められ(まさにサンクコストの罠)、それからは行きたいときに部活に行って、行きたくない日には架空の用事をでっちあげて帰るみたいなことを繰り返していました。
 こんな調子で3年間を過ごしていたら入部してきたのが先日再会した後輩でした。逆にこんな調子で3年も部活が続いたというのがなかなかに驚きな事態ですね。自分たちの代に後輩を教育する順番が回ってきて、同期で唯一ペアがおらず試合に出る気がなかったぼくが新入生の教育係になりました。こんな理由で選ばれた人が後輩の、しかも新入生の指導をするというのは申し訳ないような気もしますが今も昔もぼくは人に何かを教えるのは好きなので、正しい素振りの仕方を思い出し、どうやったら最も効率よく練習が展開できるかを考え、新入生の教育だけはかなり真面目に取り組んでいた覚えがあります。もちろん、入部前にきちんと部活の偉い人が言っていることとぼくの方針は説明しました。「偉い人は大会で勝つことを活動の目的にしたいと言っていました。そのうえで、ぼくとしては部活に来ようが来まいがあまり興味はなくて、成果が出ていればそれを容認する方針です。ぼくの経験からしても、これらの方針と合わないなと思うなら入らないほうがいいと思います。」みたいなことを言った記憶があります。なかなか大胆な先輩ですね。入部前からサボりを容認するような発言は若干怒られもしましたが、おかげで入部後に「思ってたのと違った」という悲劇はほとんど発生しませんでした。
 そして、一年くらい経って、その子たちがぼくの手を離れたタイミングでぼくはまたしれっと裁量労働制の部活動に戻りました。高校2年生の夏休みは「暑い日は行かない」という方針のもと曇りの日だけ参加していた覚えがあります。この頃は落研の仕事も生徒会の仕事もあったので、これくらいの参加頻度がちょうどよかったという裏事情もありはしたのですが。でも引退式には呼んでもらえて、後輩たちからは色紙を手渡されました。今まで関係が続いていることを考えれば、なんとなーく入った部活をなんとなーく続けていたことも悪い選択ではなかったのかなと思います。
 そんなわけ(どんなわけ?)で再会した後輩にはしっかりたかられましたが、そもそもぼくは「全部出してもいいような人としか会わない」というルールを決めているので特に問題はありません。というか、年下の人と会うときはほとんど出している気がします。ぼくだって落研のOB会にほぼ0円で参加したことがあるので人のことは言えません。後輩にごちそうするのも先輩の仕事のうちです。そのうち、伝票を前に男気じゃんけんとかしてみたいですね。

謎のカエル(再掲)

松本駅を出て、中央本線の旅へ

 そんなことを言っているうちに1600字くらい使ってしまいました。このnoteの読者(いるのか)にとってはもはや日常と言っても過言ではありませんが、一応説明しておくとこのnoteの主題および魅力は脱線にあるのであって、もしあなたが脱線なしのただの観光ガイドが読みたいなら、本屋に行ってるるぶでも買ってきて穴のあくほど見つめていてください。そのまま観光地に行けば「うわぁ、ガイドブックと同じだ❤」という意味不明なコメントを発する模範的観光客の出来上がりですね。
 それはさておき、旅行記の中のぼくは松本城を外から見て、謎のカエルに首を傾げつつ松本駅まで戻ってきたはずです。ちなみにぼくは新聞に載っていたツアーの行程に「ルーブル美術館を見学(車窓)」というのを見つけたことがあります。わざわざルーブルに行っても車窓から見学できないプランに申し込む人がいるとは思えないのですが、まあそういうことらしいですよ。

よく見る車両で名古屋へ

 ここから先は中央本線で名古屋まで向かいます。ここからはもう、本当にただ乗っていくだけです。確か中津川で一度乗り換えましたが、それ以外は文字通り座っているだけで名古屋まで連れて行ってくれます。しかも、中央本線も山間を進んでいくので景色も綺麗です。東京から名古屋まで行こうとしたら東海道本線か中央本線ということになりますが、個人的には中央本線が良いと思います。最近は改善されているとは言え東海道本線はロングシートが多いし、眺めも退屈であるのに対して中央本線はクロスシートが多いし景色が綺麗なのです。
 到着した電車は折り返しで、ドアが開いたときにはしっかり例の「まつもとぉー、まつもとぉー、まつもとぉー、終着松本です」のアナウンスを聞くことができました。ここの車両は進行方向に応じて背もたれの位置を変えるタイプのクロスシートなので始発駅から乗るときは座席の向きを変える必要があります。ぼくは乗ってすぐに向きを変えましたが、周りの人があまりにも変えないので思わず元の向きに戻したら見事に後ろ向きに電車が走り出しました。これ、アナウンスを徹底した方がいいと思うんですがそういうことはしないんですかね。
 途中の塩尻駅で特急の通過待ちをし、電車はどんどん山の中へと入っていきます。しかしここまで磐越東線、只見線、飯山線、篠ノ井線と絶景区間のローカル線を乗り継いできたぼくからすると「あー、また山か」くらいのものです。それではいけないと思いなおし、適度に昼寝しつつ車窓を眺めることにしました。中央本線は木曽川に沿って走っていますが、川岸の岩が白いのが特徴的です。途中の南木曽で特急の通過待ちをし、中津川へ到着。ここで電車を乗り継ぎ、名古屋を目指します。なお、ここから先は確か8両編成だったと思いますが、前の2両だけがクロスシートの313系、後ろの6両はロングシートの211系という編成でした。到着するときに編成はしっかりチェック済みだったので、ホームの先頭で待機し、無事にクロスシートをゲット。これで名古屋までの快適な旅が保証されました。そういえば、「古虎渓」って「ことらけい」だと思っていたら「ここけい」というニワトリの鳴き声のような読み方をするんですね。

河原が妙に白い。

 電車は名古屋に近づいていき、だんだんと高い建物が増えていきます。千種、金山あたりは普通に都会ですね。そうこうしているうちに電車は名古屋駅に到着。今日の移動は無事に終了しました。移動距離336km、乗車時間は7時間52分だそうです。飛行機に乗っていればもうオーストラリアあたりにいる時間ですね。ちなみに初日の移動距離が336km、二日目が221km、三日目が336km(偶然移動距離が初日と同じでした)、四日目が364km、五日目が350kmでした。合計1607kmです。

しかし、ここからが本番

 さて、普段のぼくならあとは駅前の適当なスーパーで適当な弁当を買って適当な気分で食べるものですが、名古屋に泊まるときは話が別です。名古屋はひつまぶし、味噌カツ、手羽先、きしめん等々おいしいご飯が目白押しですから、名古屋に泊まるときは必ずきちんとした店で食事をすることにしています。今回はひつまぶしを食べることにして、駅のデパートの中にある○やという店に行くことにしました。行ったらなんと40分待ちでしたが、一日に8時間も列車に乗っていた身からするともはや「誤差」というか、ほぼ待ち時間0みたいなものです。
 列に並びながら時刻表を広げて明日どこに行こうか考えているとあっという間の40分でした。ぼくが夏に旅行に行くときはふざけたデザインのTシャツに半ズボン、クロックスというデパートに入っている40分待ちの店にはおよそふさわしくないような格好ですが、何事もなく入店に成功。ふざけたデザインとは、シシャモがデザインされているとか、「ajides」って書いてあるとか、ひっくり返ったワニの下に「ocosite」って書いてあるとか、そういうおふざけです。席に通されて、確か一番いいひつまぶしを頼んだと思います。こういうのは思い切っていいヤツを食べるからいいのであって、そうして初めて40分並んだ甲斐があるというものです。会計は普段の夕食より0が一つ多かったですが、満足度は0が二つくらい多かったと思います。

暇つぶし、じゃなかったひつまぶし。

 しかしここで痛恨のミスが発覚します。赤福のかき氷をデザートにしようと思っていたら閉店した後でした。てっきりレストラン枠で10時くらいまでやっているのだと思っていたら、8時に閉店していたのです。しかし、やっていないものはやっていないのであって明日以降に食べればいいやということにしてホテルに向かいます。
 今回泊まったホテルは新幹線口にあるコンフォートホテルです。前に駅の本当に目の前にある三交インに泊まったら部屋が言語道断に狭かったので今回は別のホテルにしました。自分で「コンフォート」とか言っているホテルが本当にコンフォートなのか?と思いながら部屋に入ったら望外に広い部屋でビックリ。16㎡くらいの部屋でしたが、ベッドも広々としていて大変良かったですね。これからもここに泊まりたいと思います。
 さて、この日は3日目なので洗濯をする必要がありました。4日くらいの旅行でスーツケースで行くなら服は全部持っていきますが、今回は鉄道の旅であることと5日間の予定だったことから旅先で洗濯をすることにしていたのです。洗濯物をまとめて洗濯機コーナーに行ってみると、驚くことに洗濯機が3台しかありません。5台くらいは欲しいところでしたが、さらに言語道断なことに右端の洗濯機はすでに洗濯が終わっているにも関わらず持ち主が洗濯物を回収していませんでした。真ん中はタッチの差で取られてしまい、左端は残り1時間半くらい。この時点でぼくが寝られる時間が11時を回ることは確定しました。

ここで2時間。

 30分ほど待っても右端の人が洗濯物を取りに来ないのでフロントに中身を回収するよう伝えると、フロントでは何もできないとのことでした。1時間経っても来ないので再度フロントに連絡するも全く同じ反応。おそらくクレームを恐れているのだと思いますが、こういう人間は客ですらないと思います。共有物を金を払わない状態で1時間以上(結局取りに来たのはぼくが洗濯を終える頃でした)占拠している人間は果たして客であると言えるのでしょうか?
 どうしようもないので左端が空くのを待つことにして、あまりにも暇だったぼくは洗濯機の前で旅行記を執筆していました。とにかく、この次に空いた洗濯機で洗濯を始めなければぼくの睡眠時間が危うくなります。翌朝はまた7時半くらいの電車に乗る予定でしたから、どう粘っても7時には起きなければいけません。7時間半は寝たいので逆算したら11時半までには寝る必要がありました。そのためには次に空く洗濯機は絶対に逃せません。
 そして左端の洗濯機は終わり、持ち主が現れました。よし、やっと洗濯できる。そう思ったらなんとそのオジサンはあろうことか「延長」ボタンを押して去っていきました。それくらい部屋で干せ!
 さて、延長の30分がようやく終わり、ぼくは洗濯を開始することができました。洋服を洗っている間に自分の体も洗い、あとは寝るだけという態勢を整えてから洗濯物を回収し、部屋中に干して就寝。
 と思ったら今度は風呂場で事件が起こるのですが、その話を書いているとまた字数がとんでもないことになってしまうので次回の旅行記をその事件から書き始めることにして今日はこのあたりで終わりにしておきます。やはり、どうしても一日の出来事を一つの記事で描写するというのは困難を極めるようです。

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