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SNSにおいて、どんなつながりを
構築していくべきなのか?

本記事では、そのあたりを考察します。

SNSを使う目的や環境は、
人によって千差万別でしょうから、
あくまで一つの意見として
お読みいただけましたら幸いです。

まず「広く浅く」「狭く深く」という
つながりの違いから考えてみましょう。

◆「広く浅く」=「数」を増やすことを重視
◆「狭く深く」=「質」を深めることを重視

当然、前者であれば
できるだけ万人に響くような
「誰にでも当てはまりそうなこと」それでいて
「ふーん、なるほど!」と思われることを
発信していったほうがいい、ですよね。
美味しそうな食事の画像などもいいかもしれない。

逆に後者であれば、
万人には響かなくても、ある特定層にだけ届く
「ちょっと尖った、でも突き刺さること」を
発信していったほうがいい、と思います。

これはどちらが良い悪い、ではなく、
どちらを志向するか、の問題です。

ただ、発信者がそれを
「意識的に使い分けているかどうか」は
問題にすべき
か、と思います。

つまり、自分では「広く浅く」のつもりで
数を追求しているのに、
その発信内容やコメントのやりとりが
「尖ったもの」になっていますと、
なかなか数は増えないでしょうし、

自分では「深く狭く」のつもりで
質を追求しているのに、
その発信内容やコメントのやりとりが
「万人に受け入れられやすいもの」だったら
自身が望まない人とも
つながってしまうことでしょう。

仏教の言葉に
「愛別離苦」「怨憎会苦」という
ものがあります。

あいべつりく、愛別離苦、
…これは何となくわかりますよね。
「愛している人と別離する」苦しみ

それと同時に、

おんぞうえく、怨憎会苦、
そういうものもある。
「怨み憎んでいる人なのに会う」苦しみ。
例えば義理の親戚づきあいのように、
「ウマが合わないのに
顔を合わさざるをえない」
ような苦しさ…。

これをSNSで置き換えれば、
「ウマの合うフォロワーさんと離れる苦しみ」
という愛別離苦があるのと同時に、
「ウマの合わない、つきあいたくない人や記事が
目に入ってしまう苦しみ」もある
、ということ。

いわゆる『SNS疲れ』も大部分が
この怨憎会苦に由来するものではないか…
とも思うのです。

話を戻します。
何が言いたいのか、と言いますと、

「とにかく無条件でどんな人でも
広く浅くを追求したい」ならともかく、
そうでないのであれば、

この「怨憎会苦」をいかに避けるべきか、
「望まない人や記事をいかに避けるべきか」を
考えるべきだ
、とも思うのです。

こういうことを書くと、
『ブロックすればいいじゃないですか』
という意見もあるかと思います。

ですけどね、意外とブロックするのにも
エネルギーを使うものなのです。
少なくとも私はそう。
お互い何となく嫌な感じになりますし。
それなら「最初から会わないほうがいい」。

どうしても出会いが避けられないのなら
(例えばフィードに勝手に記事が出てきたり
勝手につながり申請がきたりするのなら)
例えば「虫よけスプレー」のように、
「こいつの血は吸えないな」と
蚊に思わせるようなバリアーを貼った方がいい。

そう思うのです。

さて、ここまで書いてきたことは、
おそらく読者の皆様はすでに
「自然と」やられているのではないか、
と思います。

「ちょっとこの人の記事、クセがあるな」
「この記事は万人受けしそう…」
「この記事、ダレトクなんだろう?」

そんなことを、あふれかえる記事や発信を
見ながら考えて、

いいなと思う人や記事に対しては
リアクションやコメントをしてみて、
さらに関係を深めたいならつながり申請…
そんな感じでしょうか?

逆に発信する側に立てば、

「この記事、エッジを利かせすぎ?」
「こういう人に、この記事、読んでほしいな…」
「〇〇の話題、お好きでしょ?」

みたいなことを考えながら
発信しているのではないか、と思います。

ちなみにここで、私の発信について
ちょっとだけ触れておきますと。

基本、雑多な話題について書きます。
ただ地理・歴史・人事に関する記事が多いです。
あと、漫画が好きなので
漫画ネタがけっこうな頻度で混ざります。
野球ネタも時々混ざります。

また、小説を書いたりしているので、
創作とか文章とか、
お勧めの作品を紹介する内容もあります。

それは、地歴や人事、漫画や野球、
小説や創作、そういうのが好きな方と
知り合いになりたい、と思っているから。

逆に言えば、そういうものに
全く興味のない方にとっては
つまらない、どうでもいい記事なのか…?
と思いながら発信しているのです
(中にはそれでも「つながり」をつけてくださる
ありがたい方もいらっしゃいますが)。

「広く浅く」「狭く深く」は
どちらなのか
、と聞かれると…。

うーん、両方?という玉虫色の
答えになります。というのも、
一般向けの投稿は「広く浅く」
(そう言いつつマニアックなネタが多いですが)
限定グループ向けの投稿は「狭く深く」の記事
というように、発信を分けているので。

でも、これはあくまで私がそう思っている
主観的なものに過ぎない。
本当にそうなのかは、記事を読んでいただく
皆さん次第、としか言えない部分です。

以上、SNSでの発信の幅、
どんな目的で発信するか、
それにより発信やつながりが変わってくる、
それを「意識的に」するべきだ、

ということを書いてみました。

読者の皆様は、いかがでしょうか?

なぜか、自分とは望んでいない
「怨憎会苦」的な人とつながってはいませんか?
その逆で「愛別離苦」的な離れたくない人が
自然と離れてしまってはいませんか?

もしそうなのなら、無意識のうちに
自身が望まない人を引き寄せるような
「フェロモンスプレー」のような記事や
リアクションをしてしまっているかもしれません。

例えが適切かどうかわかりませんが、

自分ではそう思っていないのに、
相手を惚れさせてしまうような、
「勘違い」させてしまうような、
合コンでの振る舞い…をしていないか。

それはウブな恋愛偏差値の低い初心者には
とても残酷になり得ることも、ある。
不要な愛別離苦を味わせてしまうこともある。
万人に愛されるアイドルに
危険なストーカーが発生してしまうように。

そう、無関心からは憎しみは生まれません。
一方通行の愛が拒絶された時、
逆恨み、可愛さ余って憎さ百倍、
そういうことから生まれることが多いのです。

八方美人、誰にでも優しいは時として、
勘違いを生み出す、罪作りなこともある。

もちろん、ツンツンした「一方美人」が
絶対にいい、とも言えませんが…。

もし、お優しい方がいらっしゃいましたら、
私(いなお)についてこんな風に感じているよ!
以前のこの記事が面白かったよ!
と教えて頂けると、嬉しいです。

私の発信の意図と、読者の方のご感想が
ズレている、ということもよくありますので…。
微調整の参考にさせていただきます。

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