『三国志(演義)』の物語の中で
有名な「三顧の礼」のエピソード。
そう、主人公の劉備が、軍師の諸葛亮を
三回も訪れて自軍に加えるというアレです。

現在で言えば「会社のトップが自ら
三回も足を運んで人材をスカウトする」
というところでしょうか?

このエピソード、
日本での三国志人気もあってか
とてもよく知られておりまして、
故事成語にもなっている。

本記事では三つの断面から考えていきます。

①格上が格下を迎える

「三顧の礼」という言葉は、
あくまで「格上が格下を迎える」時に
使うものです。
格下の人が、格上の人を迎えに行く際に
「三顧の礼」とは言いません。
諸葛亮のほうから、劉備のところに
行ったわけではないからです。

これは「儒教」的にはイレギュラーな話。
三国志の時代の儒教の考え方では、
年功序列、あくまで年配者が格上です。
年上の有名人劉備が、無名の在野の若者、
何歳も年下の諸葛亮を、わざわざ
三回も直接訪れているからこそ、
このエピソードは異彩を放っているのです。

②組織内への告知

当然ながら、新参者は古参の人たちには
(最初は)煙たがられるものです。

三国志演義の中でも、三回目に訪れた際、
(無礼にも)昼寝していた諸葛亮に対して
おともの張飛が激怒し、
「家に火をつけてやる」と言って、
劉備にたしなめられたりします
(いきなり自宅に行って
昼寝してたからといって
火をつけられそうになるのも嫌ですが…)。

逆に、迎えるトップの側としては、
古参の部下の心情も考えなければいけない。
だからこそ「今度の人材は凄い奴なんだぞ、
ちゃんと言うことを聞けよ!」

トップ自らが特別待遇をすることを
組織内に告知しておかなくてはいけない。

これがもし、登用するだけして
入社後は一兵卒待遇、などとしてしまうと
軍師の腕の振るいようがなくなりますよね。
話が違う、ミスマッチングだ、と言って
諸葛亮は去ってしまったことでしょう。

ちなみに、三国志演義の中で、
劉備は新参の諸葛亮との間柄を
「水と魚だ、水魚の交わりだ」と言って
周囲を納得させようとしています
(そんな親分のお言葉に、
劉備大好きの張飛などは
やきもちを焼いたりするんですが…)。

③諸葛亮の狸寝入り説

さて、ここからは推論も入ります。
三回目に劉備が諸葛亮の自宅を
訪れた際、彼は本当に寝ていたのか?

…え? そりゃ寝てたんでしょ?

とは思うのですが、もしかしたら彼は
劉備の人となりを「試す」ため、
また自身の価値を「吊り上げる」ために、
狸寝入りをしていた可能性も、あります。

三国志演義上での「天才軍師」、
諸葛亮のキャラならば
やりかねないとは思いませんか。

なかなか手に入らない人材だからこそ、
劉備は恋人を求めるがごとく、
登用に熱心になった、とも言えますよね。
「恋は障害が多いほど熱が高まる」
とも言いますし…。
もし「一顧の礼」で登用に成功したら
そこまで特別待遇はしなかったかも
しれないからです。

もちろんこの「三顧の礼」、多分に
フィクションも入っているでしょうが

◇「1回目、留守」
◇「2回目、大雪の中に行ったのに留守」
◇「3回目、いたけど昼寝している」

といういくつもの障害を乗り越えて
オフラインのリアルで直接出会い、
しかも成功したからこそ、
感動的なエピソードとして
扱われている面があります
(ちゃんとアポ取ろうよ、とも思いますが…)。

以上、3つの諸断面から書いてみました。

①上が下を三回訪問のイレギュラー
②「水魚の交わり」で組織内に告知
③障害が多いほど恋は燃え上がる説

…現在に即して、よくよく考えてみれば、
ありえない設定ばかりですよね。
企業の採用に即して言えば、こんな感じ。

①社長自ら新卒の自宅を三回も訪問
②いきなり直属役員抜擢の特別待遇
③でも狸寝入りで将来性を見定める

ただ、逆説的にはなりますが、
「ありえないシチュエーションのお話」
だからこそ「故事成語」にまで成長し、
二千年後のビジネスシーンでも
使われている
、と言えるかもしれません。

読者の皆様は、
「三顧の礼」っぽいことを
したり、されたりしたことはありますか?

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