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長編小説『凸凹バラ「ストロングリリーフ」ミシェルとランプ』1

プロローグ:谷間に咲く花々

大河であるキュシェ川は、
私の片眼鏡の前で、
悠久の流れを海に注いでいる。

キュシェとは、古い言葉で
「四つ角」の意味があるという。
この私、タイム・マネーブは
いささか歴史が好きである。
ディッシュ大陸とその周辺の各地を巡り回り、
様々な人物や事件、地名の由来、
来し方や行く末を調べて書くことに、
生涯の大半を費やしていた。

…八十歳をいくつか越えた今、
大陸の南東部へと立ち寄った、というわけだ。

南にはローズシティ連盟。
北にはピノグリア大公国。
以前、と言っても五十年近くも前のことだが、
大河を挟んで川の南北には二つの国があった。

今は一つにまとまっている。

まとまるまでにいくつかの事件が起こり、
当時は展開がどう転ぶかわからなかった。
そう、当時の私は、その混乱の渦中にいたのだ。
ただの観客ではない。
手をつかねて観戦していたのではなく、
むしろ動かす側にいた。
何人かのゲームメーカーたちの依頼によって…。

その多くの選手たちは、表舞台を退いた。
今では土の中で眠る者も多い。

だが、私がこれから尋ねる女性は、
まだ息災でいると聞く。
ローズガーデン・ミシェル
という名の貴婦人である。

私とほぼ同じ世代だから、八十歳は越えている。
今は、このキュシェ川の河口の近くで、
小さなバラ園を営みながら
静かに暮らしているそうだ。

…色鮮やかなバラが見えてきた。
どこからともなく
艶やかな香りが漂ってくる。

私は、バラの花々に囲まれた、
小ぢんまりとした館の
敷地へと足を踏み入れた。
赤、黒、白、緑、紫、茶、
その他、無数の色の花々…。
おそらく館の主、ミシェルが
丹精込めて育てているバラなのだろう。

彼女は凄腕の調香師として、
生きる伝説、歴史上の人物に
近いほどになっている。
しかし、多くの弟子たちを育てて
巣立たせた現在は、
自分なりの花を納得いくまで育て、
その香水を調合することに
日々を費やしている、と思われた。

ふと、私の目に、
淡い桃色と白とのグラデーションを持つ、
艶やかながらも気品のある
バラの花が飛び込んできた。
私の故郷、大陸の北西部にある
港町カトルエピスでも、
最近よく見かけるバラであった。

故郷においては、発音が少しなまって、
シャリマー、と呼ばれることが多かった。
とても病気に強いバラだ、とも聞いている。

知り合いの花屋に聞いたところ、
旧ローズシティ連盟の地で
生み出されたのだ、という。
もしやミシェルが品種改良と栽培に成功して、
それを彼女の弟が
大陸の北西に売り込んだのだろうか?

私は、彼女の弟の顔を思い浮かべる。

ローズガーデン・ランプ。
青黒色の髪を持つ男。
彼は、凄腕の香水商人として
大陸を縦横無尽に駆け巡っていた。

…ああ、懐かしい。

私は、彼らに初めて会った
五十年近く前の記憶をたどる。

ドグリン・イッケハマル盟王、
という名の男が、旧連盟の第一人者だった。
彼はその剛腕と行動力、
人たらしの才能をもって、
国内の五つの大きな都市をまとめ、
自らの本拠地である首都、
オルドローズに従わせていた。

それだけではなく、キュシェ川の北、
旧ピノグリア大公国もまとめ上げるべく、
交渉を重ねていたのだ。

この輝かしい盟王の影として動いたのが、
彼の子どもたちだ。
「凸凹バラ姉弟」ことミシェルとランプ。

さらに、盟王の力量を見出して育て上げ、
ついには天下を取らせた希代の名将、
名監督、マース・チャンバ…!

「ずいぶんと、ご無沙汰しておりました。
マネーブ卿。お元気そうで、何より」

歴史の中へと想いを馳せていた私を、
優しい静かな声が引き戻した。
その姿を見て、私は息を呑む。
…とても、私と同じ世代とは思えない。
もちろん、年相応に
老いを重ねた姿ではあったが、
その気品のある美しさは、時の流れをも
栽培しているかのようだった。

「ははっ、このように
老いさばらえた姿でお目を汚して、
恐縮でございます。閣下」

あえて昔の呼び名を使った私に、
ミシェルは苦笑する。

「閣下はおよしになって。
もう、表舞台から引退して長いの。
…ただのミシェルよ」

「ならば、私のことも、
ただの歴史好きの老人、
マネーブでお願いしましょう」

「…相変わらずね。
五十年も前から、時の流れを巧みに泳ぐ、
お魚のようなお方」

「これはしたり。魚というより、
魚を美味しく仕立て上げる
料理人と言って下され」

「過去を巧みにさばいて洗って、
火を通し、味付けをして皿に盛る。
あの時は、あなたに
ずいぶんお世話になったわ…。

今日は、どんな歴史のお料理を
味わせてくれるの?」

館の主人は、私を
二階の応接室へと案内してくれた。
窓が開けられ、そよ風が肌に心地よい。
ふくよかで爽やかな香りがする。
眼下にはバラ園、その向こうには
キュシェ川の水面が見えていた。
おそらく、この館で一番、
眺めの良い部屋なのだろう。

「…今日は、あえて火を通さずに、
生のままの追憶を、
あなたと一緒に味わおうかと」

飲み物を持ってきてくれたミシェルに、
私は言った。
感興も動揺もひとひらも見せずに、
彼女は優雅にカップを置く。
ローズヒップティーを一口飲むと、
私は語り始めた。

…二つの国がまとまる前。

歴史の谷間に咲き誇った、
凸凹の花々の話である。

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『凸凹バラ「ストロングリリーフ」
ミシェルとランプ』
作:ヒストジオいなお
絵:中林まどか

◇この物語は、フィクションです。
◇noteにも転載していきます。
◇リアクションやコメントをぜひ!
◇前作『凸凹バラ姉弟
ミシェルとランプ』の続編です。
(全6章のうち、5章まで公開)
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