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「押井守監督がルパン三世の映画を作ろうとした」。
「しかし企画途上で頓挫した」。
…この事実を知った時、私は驚きました。

本記事は、この「幻の押井守版ルパン三世」
(以下、押井版ルパン)について。

まず、時系列の整理です。

◆1978年『ルパン三世 ルパンVS複製人間』公開。
◆1979年『ルパン三世 カリオストロの城』公開。
◆1985年『ルパン三世 劇場版三作目』公開…?

テレビアニメで莫大な人気を誇っていた
「ルパン三世」シリーズを劇場版にしよう、
という企画が持ち上がりました。

一作目は、1978年「ルパンVS複製人間」
マモーとかクローンとか出てくる話。
どちらかというと原作の初期に近い
大人向けのピカレスクロマン(悪漢もの)。

二作目は、1979年「カリオストロの城」
ご存知、宮崎駿監督の作品。
原作とは異なる、宮崎カラーの
センチメンタルなストーリー。
後のジブリ映画の原点的な位置付けです
(宮崎監督は1985年にジブリ立ち上げ)。

で、三作目を作ろうという企画ができた際、
まず二作目を作った宮崎監督に話が来た。

ところが宮崎監督は「だが断る」。
事務所にいた押井守さんを
監督へと推薦する
のです。

押井守さん。1951年生まれ。
当時、30代の新進気鋭のクリエイターでした。

前年の1984年には
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』
という映画を作っており、これが大評判に
(原作は高橋留美子さんの漫画ですね)。

「うん、宮崎さんの推薦だし、
うる星やつらの映画を作った人なら
期待が持てるだろう!」とスポンサーも快諾。
こうして、押井版ルパンの作製が
始まることになりました。

…しかしそもそも、
なぜ宮崎監督は三作目を断ったのか?

後に語ったところを要約しますと。

「ルパンというキャラクターは、
高度経済成長でみんなが豊かになる、
この世に『お宝』はまだある、
という時代でこそ成り立つキャラ」

「しかし社会が豊かになって
お金さえ出せばなんでも買える現在、
お宝を盗むルパンは成立しづらい」

「だから『カリオストロ』では
あえて『心を盗む』設定にした」

だそうです。

つまり、これ以上のルパンを作るのは
難しい、という判断だったそうなんですね。

押井守監督も同じ思いだった。

「これ以上は見るに耐えない」
「死人を踊らせるに等しい」

という考えを持ち、第三作目は、
「ルパンを終わらせる完結編」のつもりで
構想したそうです。

そこで監督が考えたのが

『実はルパンは最初から存在しなかった』
『ルパンとは、虚構だったのだ!』

という天地がひっくり返るような斬新な構想。
これに基づいて、彼はスタッフを集め、
ルパンづくりを始めたのですが…。

これに待ったをかけたのが、
読売テレビと東宝のプロデューサーでした。

彼らの頭の中には
「カリオストロ」のイメージがあります。
老若男女が楽しめる冒険活劇!
ハートフルでじーんとくる面白さ!
後のジブリ映画的な、空を飛ぶアクション!

それとはあまりにかけ離れた構想でしたから。
ルパンが虚構? 実はいない、だと?!
「訳がわからん」…。
押井監督の脚本に、NGが出ます。

ゴタゴタがありまして、
結局、押井さんは監督を降板してしまいます。
押井さん、自信があっただけにショックを受けて、
なかなか立ち直れなかったそうです。

こうして押井版ルパンは、お蔵入り…。
代わりに別の監督、別のスタッフが
『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』という
映画を作り上げて、ルパン劇場版の
第三作目として公開されました。
これはまあ、いわゆるふつうのアクションもの。
制作期間はわずか2か月ほどだったそうです
(というか、よく間に合わせましたね…。
当時の監督やスタッフ、アニメーターさんの
ご苦労を想像すると涙が…)。

◆1985年『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』公開。

…押井守監督にとって、
この騒動がかなりのダメージになったのは
ご想像の通りだと思います。

同年1985年、押井監督は
『天使のたまご』というOVA
(オリジナル・ビデオ・アニメーション)を
作製します↓

キャラクターデザインは、ゲームFFシリーズでも
名高い、天野喜孝(あまのよしたか)さん。

この作品の概説としては、

『外壁を巨大魚の影が泳ぐ
どこともしれぬ街を舞台に、
たまごを抱きかかえて徘徊する少女と、
彼女を見守るかのように付きまとう少年の
出会いと別れを、極限まで説明を排し、
徹底的にビジュアルイメージ優先で描く』

というもの。

かなり、難解な作品です。
かの宮崎駿監督も、この作品を見て、

「努力は評価するが、他人には通じない」
「帰りのことなんて何も考えてない」
「あんなものよく作れた」「頭がおかしい」

と酷評した、と言われています。

…これは、想像ではありますが、
「押井版ルパン」を拒絶された押井監督が
そこで使おうとしていたモチーフを、
プロデューサーや興行など関係なく、
天野さんの幻想的な絵とともに詰め込んで

「これが俺だ!何か問題でも?」と
世に出した
のではないでしょうか?

そのあまりに視聴者を置いてきぼりの
実験的な尖った内容
に対して、宮崎駿監督が
口を極めて酷評したのではないか?

押井監督は、この『天使のたまご』で
「訳の分からない作品を作る監督」という
レッテルを貼られて仕事を失い、しばらく
不遇の時代を過ごしたそうです。

(参考記事はこちらから)↓

…本記事のまとめとして
その後の押井監督について少し触れましょう。

1989年、ルパン降板、天使のたまごより四年後。
劇場アニメ『機動警察パトレイバー the Movie』
を公開します。
これが第七回アニメ大賞を取る大ヒットに!

1995年には、
映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』
を公開、世界的にも大きな評判になります。

ちなみに「パトレイバー the Movie」は
2003年に公開された映画、
『踊る大捜査線 THE MOVIE 2
レインボーブリッジを封鎖せよ!』

大きな影響を与えた、と言われています。
本広克行監督は押井守監督好きを公言、
高校一年の時に映画館で観た
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』に
インスピレーションを受けていたそうですから。

また「攻殻機動隊」は、
世界的に有名な映画『マトリックス』
大きな影響を与えたとか…。

そう、押井版ルパンは作製されず、
監督の独特な世界観は
その当時は理解されなかったものの、

彼の作品群は
後に続く世界中のクリエイターたちに
大きな影響を与えていったのです。
たまごが、孵化して、羽ばたいたのです。

宮崎駿さんも、押井守さんの才能を
認めていたのではないでしょうか?
だからこそのルパン監督への推薦、
『天使のたまご』への酷評ではなかったか。

幻の押井守版ルパン三世。

この一連の騒動は私たちに
「時代を先取りし過ぎた天才」
「芸術と興行のはざま」
などの問題を
考えさせてくれます。

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