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「ガラスの仮面」の無双状態 ~鳥見桐人の漫画断面図2~

無双状態。バッタバッタとなぎ倒す。

手が付けられない。ゾーンに入った。様々な表現はあるが、何をやってもうまくいく、という状況はある。ゴルフで言えば「最終ラウンドでバーディー連発」。それはたまたまでは、ない。キャンプファイヤーに着火したら一気に燃え上がるように、それまでの布石が生き、「天の時・地の利・人の和」などが必然的に揃った時にこそ、それは生まれる。

無双状態。「〇〇無双」。自分の得意な状況を得て、やりたい放題の者を指す言葉…。

そのようなことを「真・三國無双」をプレイしながら思った。三国志のゲームと言えばシミュレーションゲームだけだと錯覚していた俺たちを、このゲームはなぎ倒してくれた。神懸った「無双状態」の武将たちが、戦場を無人の野の如く駆け回るゲーム。「この手があったか」。みんなが虚をつかれた。誠にこの世は、新鮮な驚きに満ちている。

「無双と言えば…」俺は夢想する。
「『ガラスの仮面』で、無双状態のシーンがあったな…」
俺はゲームで疲れた目をそっとなで、家を出た。

行く先は「てなもん屋」。旧友が経営する漫画喫茶。ちょうど腹も減った。気になるシーンを、もう一度読みたい。ちょっと疲れた時に読みたいシーンが、そこにはあった。

ガラスの仮面。美内すずえさんの超大作漫画だ。

演劇の漫画。タイトルからして衝撃だ。ガラス。仮面。真の自分ではない。演劇に出る者は、仮面をつける。そのように想起させる見事なタイトル。ガラスというのがいい。割れやすいものもあれば、割れないものもある。防弾ガラスは、銃弾を受けても壊れない。

いや、演劇でなくても、この世に生きる者はすべて、仮面をつけているのかもしれないな。

「学生」「会社員」「配偶者」「親」という仮面。「独身者」という仮面。

厚い薄いはあるが、生まれた時と死ぬ時以外は、仮面をつけている。いや、生来の演技者であれば、生まれた時と死ぬ時にも仮面をつけている、かもしれない。人生は舞台。この俺も、たくさんの仮面をつけては外し、時には割ってしまったこともあった…。そんな愚にもつかないことを考えていると、いつの間にか店の前にいた。

「相変わらず暇そうだな」

店内の旧友に声をかける。奴はムッとして言い返してきた。

「…いいんだよ。うちはな、暇なお客様が来る店なんだ。古代ギリシアでは、暇はスコレーと言ってな、あらゆる学問を生み出してきた。スクールの語源だ。本当は、この店も『スコレー屋』と名付けたかったんだが、コスプレ屋やスコップ屋と間違えられそうだったから、やめたんだ」

世界史は奴の無双ゾーンだ。はまり込むと出られなくなるので、俺はぶった切って簡潔に返す。

「ガラスの仮面のオーディションの場面、どこだっけ」
「あれか。文庫版なら14巻だな」

これで通じる。持つべきものは漫画読みの友。俺は礼を言って14巻を受け取り、読み始めた。

…主人公は演劇の天才。向かうはオーディション会場。そこにはたくさんの候補者がいるが、ここで彼女は「無双状態」となり、他の候補者をなぎ倒す。ひと昔前の朝ドラのような展開がこの漫画の売りなのだが、このシーンには悲壮感のかけらもない。ただただ圧倒的な演技力と発想力を、読者は見せつけられる。

この『お約束の展開』を、読者にちっとも「嘘くさい」と思わせないのが凄い。彼女の天才性が、ここまでで十二分に表現されてきたから。しかし、タイミングがずれたり、強力すぎるライバルがいたりして、その才能を発揮することができなかった。要するに「不遇」の状態。それを打破するために臨むのが、このオーディションのシーンなのだ。

相手は、「真・三國無双」の敵兵士ではないが、要するにモブのザコキャラ。多くの難敵と渡り合ってきたこの主人公であれば、無人の野を駆け回ってくれるだろう…。でも、もしかしたら失敗するかも…。その複雑な気持ちを持つ読者を、美内すずえさんは最高の形で迎え入れる。

圧倒的勝利。

野球で言えば、5回コールドゲームどころか、1回に100点を取って相手が試合放棄を申し出るような感じで、勝つ。

『毒』という劇のテーマ設定もいい。素は明るい主人公が、審査では悪女に豹変する。鍋を煮込むパントマイム。調味料に見せかけて「切り札」という毒を取るその演技! 審査員でなくても、その表情に、その世界に、読者はひきずりこまれる。その後の課題でも彼女の無双状態は続く。はっきり言ってやりすぎだ。だが、そこがいい。それで、いい。

読み終えた俺に、旧友が声をかけてきた。奴もこのシーンを語りたくて、うずうずしていたようだ。ぱらぱらといる他の客に迷惑をかけないよう、スタッフ控室で会話をかわす。

カタルシスという言葉があるんだが」
奴はもったいぶって話し始めた。
「ギリシア語だ。排泄とか浄化とかいう意味。文学や演劇、漫画などを味わう際には、その世界へ感情移入するだろう? そこでは、日常の中で抑圧されていた感情が解放される。快感がもたらされる。これだ」

「…このオーディションのシーンは、カタルシスに満ちている」

「そう。鑑賞する人にカタルシスを味わわせることができるか、そこが重要。『演劇』『劇中劇』を取り込んだ時点で、この漫画はカタルシスを味わいやすいんだがね。あえてカタルシスを与えない、という手法もあるが、ここでは全開だ。このオーディションに臨む主人公の決意の表情。自分を活かせるのは演劇しかない、という決心。いつもながらの演技に入る前のドタバタ展開。そして、演技に入った途端の、豹変ぶり。そこに読者は自分を重ね合わせる」

「…読者からすれば『キタコレッ!』『待ってましたっ!』という感じだな」

「相手の雑魚っぽさの表現も、素晴らしい。当たり障りのない演技で及第点。演劇の審査なのに、歌を歌って失敗したりする。あるあるだよね、という普通の人。それを踏まえての、主人公の圧倒的な演技だ。こ、これは天才だ!という周囲の驚愕。それと対比させ、古くから才能を知っているキャラたちには『当然だ』『私は知っていたわ、彼女の天才を』という反応をさせる。読者もその一人となり、うなずく。まさに『お約束の展開』。そこにこそ、読者はこの上もないカタルシスを感じるんだよな…」

俺は、奴の饒舌の腰を折った。

「…ところで腹が減ったんだが、今日のランチを注文していいか?」

奴はにやりと笑って言った。

「今日は、シチューランチだ。ぴったりだろう?」

「シチューか。…毒は、入ってないよな?」

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いかがでしたでしょうか。

今回は不朽の名作「ガラスの仮面」より、「オーディション」の場面のワンシーンのご紹介でした。

既読の方は「ああ、あそこね!」、未読の方は「何それ?」という感じですよね。このシーン、ここだけ読んでしまうと、カタルシスが半減します。ぜひ1巻から積み重ねた上で、読んで頂きたい。前回と同様に、できるだけネタバレを避けるために、登場人物の情報は抑え目にしました↓

◎ぜひ原作をお読みください!

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