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うそ、おおげさ、まぎらわしい。

こういった広告は
JARO(日本広告機構)が
かたく戒めるところ。
では、SNSに
うそ、おおげさ、まぎらわしい
投稿は皆無なのか?

…たくさん、目にしますよね。

というか、
真実、等身大、明確さ。
こういった投稿のほうが、少ない。

目を引くためには
嘘も誇張も錯覚誘発も必要だ…!
こう開き直って考える人が
いかに多いかの証左です。

…私はピュアな純粋まっすぐ神官でも、
偽悪的な怪盗でもありません。
どちらか良い悪いか、ではなく、
この投稿では、3つの項目の
『間』を考えたいと思います。

すなわち、
①うそ←→真実
②おおげさ←→等身大
③まぎらわしい←→明確
この両端の間は何か?

まず、①について。
嘘は嘘だと堂々と言う。
真実を装わない。
これが大事です。つまり
「この作品はフィクションです」が
ちゃんと伝わるかどうか。

私は以前、ツイッターで
たとえを使って、あることを
言い換えて表現した時、
ただの創作のたとえ話にもかかわらず
それが自分のやったことだと誤解され
怒られた苦い記憶があります。
虚構は虚構だ、と言い切った方が
いい、と痛感しました。

次に、②について。
取捨選択と誇張の問題です。
いわゆる「読ませる投稿や作品」は、
このトリミングが抜群に上手い。
一記事に、一テーマ。
その中でもどこに焦点を当てるか。
投稿なら、自分の持ち味は何か。
作品なら、そのキャラの特徴は何か。
それをはっきりさせる。

ドラえもんのジャイアンは、
粗暴でいじめっ子。
そういう設定があるからこそ、
「きれいなジャイアン」や
映画版の頼もしいジャイアンが
意外性を持って捉えられるのです。

なお、おおげさと焦点化は、
似ているようで異なります。
おおげさは、本来無いものを
有るかのように大々的にうたうもの。
焦点化は、本来有るものを
他を削ることで際立たせるもの、です。

最後に、③について。
まぎらわしい、とは、
他人のものを自分のものだと
誤解させること。
明確さ、とは
他人のものと自分のものを分けること。

引用元明示があるか、です。
パクツイや全文コピペを慎む。
元ネタがどこか、を明示する。
SNS的に言えば、元ツイや元投稿を
たどれるようにする。
その上で、自分の解釈、
自分の言葉を、つなげていく。
こういう姿勢が、受け手に
安心感を与えるのではないでしょうか。

以上、3つの項目の『間』を考えました。
0か100かの二者択一ではなく、
実際にはツマミ式スイッチのように
0〜100が調整できる
明確な線引きが難しい世界です。

複雑な多層的な現実の事象を
言語化、記事化、広告化するのには
限界があります。
大事なことは、その限界を
ちゃんと伝えられるかどうか。
その「誠実さ」があれば、
受け手は、出し手の主観的な
真実、等身大、明確さを
「推察」してくれるのではないか…。

皆様の投稿や作品は、いかがですか?


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