不動のツクバミライ修正

「からん」の幕切れ ~鳥見桐人の漫画断面図10~

1、幕切れ

始めるのは容易だが、終わらせるのは難しい。

俺は一通の国際郵便の手紙を机に置いた。そこには、次なる任地を知らせる内容が、簡潔に記されていた。しばらく日本でぼけぼけと過ごしていたが、どうやら休暇は終わりを告げたようだ。

外に出る。ちょうど桜の季節。冬の寒さは鳴りを潜めて、少し生ぬるい春の夜の風が物憂さをかきたてる。長期休みの終わりにはふさわしい。ざっと一陣の風が通り過ぎた。春一番というより、二番か三番か。その風に乗って、桜の花びらが闇へと飛んでいき、柄にもなく俺は自分の身をその花の嵐に重ねていた。…日本の四季はどれもいいが、この桜が散るさまは格別だ。

どれ、閉店間際の時間だが、奴にも別れを告げてくるか。

俺の足は、旧友が経営する漫画喫茶「てなもん屋」に向かう。俺の脳裏には、ある漫画の最終回が思い浮かんでいた。木村紺さんの「からん」である。いささかな唐突な「幕切れ」をしたこの漫画…。

2、からん

女子柔道の漫画である。京都の女子高が舞台。

登場人物は、初心者と経験者。柔道は「道」がつくだけに、早くからその道を歩んだ者のほうが圧倒的に有利である。しかし、その初心者が天才だったら? 経験者との攻防に、読者は目を奪われる。経験者は、負けられない。プライドにかけて。そのプライドが粉々にされた時の反応とは…。

ただしこのエピソードは、連載当初から伏線が張られていたとはいえ、新章へとつながる一段落に過ぎないはずだった。全国の天才たち。京都の闇に蠢く大人たちの動き。収拾されていない伏線は、まだたくさんあった。それがそのままに、「からん」は最終回を迎えてしまった。幕切れという言葉には、「あっけない」という形容詞がつくことが多い。まさにそれだった。この漫画の読者の多くは、「え、ここで終わり?」と思ったことであろう。最後の単行本には、とある主要人物の描きおろしエピソードが収録されている。それが読者にとってのせめてもの救いか。

連載漫画は、終わらせるのが難しい。そんなことは誰でも知っている。

名作「スラムダンク」が、もし高校二年、高校三年とだらだらと続いていたら、ここまでの人気が出ていたかどうか。すぱっと高校一年の夏で本編を終わらせたからこそ、不朽の名作になったように思う。

適切な終わりの時期を見誤り、連載を長引かせたがゆえに、冗長な感じとなる漫画は世の中に多い。もちろんその背後には、色々な大人の事情があるにせよ。どう考えても作者は終わらせたがっている。そんなきな臭さを通り越した、焦げ臭い匂いをかぎつけると、読者は興ざめしてしまうものだ。

その逆もしかり。あまりにも早すぎる終わり方は、十分に火を通さない焼き魚のようだ。この場合、匂いはあまりない。ゆえに読者も意表を突かれて、「え、もっとしっかり焼いてよ」と思ってしまう。「俺たちの戦いはこれからだ!」という終わり方は、全盛期の某少年漫画誌では日常茶飯事だったようだが、この混沌とした現代においても、毎日どこかで連載が密かに終わっている。下手すると、掲載誌自体が終わることもある。

商業ベースに乗り、雑誌連載という形式に縛られた漫画であれば、これはある意味、避けられぬ運命かもしれない。それが嫌ならば、このSNS全盛の時代、他の売り方もある。しかしたとえSNSであっても、冗長な続け方、唐突な終わり方はある。始めた連載は、いつかは終わる。終わらせなければならない。問題はその終わり方だ。いわば漫画の「終活」が、うまくいくかどうかである。

春の夜の闇の中で、てなもん屋の看板が煌々と光っている。…この店とも、しばしのお別れだな。今夜の訪問は、休暇の終活の一環であった。

3、焼き具合

「珍しいな、桐人。閉店間際にお前が来るなんて」

この漫画喫茶は、24時間営業ではない。奴の方針で、無理をしない営業時間になっている。

しかし春休みなどの長期期間中は、夜でも多少長めに営業している。「学校が休みでもな、旅行とかに行けない貧乏学生はいるからさ、そういう人たちの居場所になりたいんだよ」と奴が言ったことがある。確かに店の中には、身なりに構っていなさそうな学生らしき客が、何人かいた。彼らにとってこの店は、日常の厳しい生活からしばし漫画の世界へとワープさせてくれる、どこでもドアなのだろう。

そのどこでもドアも、閉まりかけていた。蛍の光が流れ出した。客たちが残りのドリンクを飲み干すと、続々とレジにやってきた。

店の中は、俺と奴との二人になった。

「…で、今度は、どこに行くんだ?」

レジの締め作業をしながら尋ねてきた。相変わらず察しのいい奴だ。

「ヨーロッパのほうだ」

詳しい国名までは、守秘義務で言えない。それは奴も察している。

「土産は、チョコレートでいいぞ。ベルギー産の美味いのを頼む」

「今度は少し長くなりそうなんだが」

「…大英博物館にルーブル美術館。俺もこの店で金がたまったら、欧州旅行としゃれこみたいもんだぜ」

世界史マニアでもある旧友は、心底羨ましそうであった。まあ、仕事が始まってしまえば、そんなところに行く暇などないのだが。それを知った上での言葉であろう。俺の詳しい仕事内容は奴は知らないし、聞くつもりもなさそうだった。昔馴染みだ、それでいい。それだけでいい。

「今日の日替わりディナーは、鰆の西京焼きだ。ちょっと待ってろ。餞別代りに焼いてやる」

「…からんの最終回が読みたいんだが」

「春の夜にふさわしいチョイスだな。ほれ、7巻」

…俺と奴は、一緒に鰆の西京焼きを食べた。ちょうど奴も食べたかったそうだ。そういうことにしておく。このさりげない気遣い、俺も見習いたい。話題は当然、からんの幕切れについてだ。

「連載漫画が終わるパターンは、いくつかある」

「例えば?」

「ひとつ、人気が落ちた時。人気アンケートもそうだが、単行本などの売上が予想より少なかったケースも含まれる。ふたつ、作者の事情。やる気がなくなったり、健康を害したりしたときだな。みっつ、最初から予定通りに終わる。これはある意味幸せな終わり方だ。作者側と編集側、双方の予定がかみ合えば、作品にとってもちょうどいいだろう」

俺はここに来るまでに思い浮かべた、「終わり時期を見誤った冗長な連載」になってしまった漫画をいくつか思い出した。

「他にもあるのか?」

奴はもったいぶって、指を四本立てた。

「よっつ、周囲から圧力がかかったとき

「圧力、ねえ」

「意外とあるんだぜ。タイトルにつけているのに、そこまで話が進まなかったり。人物を風刺した内容を載せたら、その後の数回で突然終わってしまったり。もちろん、最初から予定調和なのかもしれないが、真相は藪の中」

「…『からん』は?」

「表向きは、単行本の売上とか、作風と読者層が合わなかったりとか、いろいろと推測できるけどな。センシティブな舞台設定でもあるし、作者の心持ちもあるし、そのあたりは文字通り、『花の嵐の闇の中』ってやつだ」

「…うーん、タイトルが花嵐だから、最初から春から初夏までを描くつもりだった、とも言えるわけか」

「でもあそこまで伏線を張ってきたからな。それならもう少し減らしていただろうから…。いずれにせよ、幕は下りた。再び幕が上がる可能性は低いかもしれないが、一読者としてはそれを待つしかない」

俺は立ち上がった。鰆の西京焼きは、焼き具合が絶妙で、美味かった。

「じゃあな、また帰国したら寄らせてもらう」

「無理すんなよ。また美味い魚を食わせてやっから。てなもん屋ラーメンも、リニューアルしてからまだ食ってないだろ。さよならだけが人生だ、とは言うが…」

奴はそこでいったん止め、そして言った。

「さらば旧友、春はまた来る」

(おわり)

4、ひとまず幕切れです

いかがでしたでしょうか?

「鳥見桐人の漫画断面図」シリーズ、ちょうど10回の「きりがいい」回数まで続けましたので(桐人だけに)、ここでひとまず幕切れといたします。

最終回に紹介したのは、木村紺さんの「からん」です。これからの展開を楽しみにしていただけに、ここで終わると知った時の衝撃は、今でも覚えています。真相は藪の中ですが、第二部もいまだに密かに期待しています↓。

木村紺さんと言えば、作品によって画風や作風を大胆に変えたり、エモーショナルで含みのある描写が超絶上手かったり、プロフィールが謎に包まれていたりと、ある意味で神秘的な漫画家さんの一人です。

有名なのは「神戸在住」ですかね。これは主人公の大学卒業まで描ききって、ある意味爽やかで切れのいい終わり方でした↓。

「巨娘」もいい味出してます。神戸在住の主人公とは正反対の、バイオレンスな感じがたまらない。焼き鳥は焼き具合が命。飲食店関係の方は、一度お読みになってはいかがでしょうか↓。

「マイボーイ」は、主人公がデンプシーロールを打つわけではありませんが、ボクシングのリアルを描いた良作です。こちらも唐突な終わり方だったのがいささか残念でした…↓。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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