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宮城県の気仙沼は、日本有数の漁港です。
けせんぬま。
東日本大震災で大きなダメージを受けましたが、
徐々に、復興してきています。

気仙沼は、良くも悪くも
「リアス式海岸」の漁港です。
…あの凸凹の、複雑な入り組んだ海岸線ですね。

大震災時には、この地形によって
津波が高くなってしまいましたが、
「凸凹がある」ということは、
「船を停めやすい」ということにもつながります。
漁港としては、非常に使いやすい地形です。

その水揚金額・水揚量ともに、
気仙沼は日本全国の中でも上位に入っています。

…さてその中で、気仙沼ならではの
漁獲量を誇る食材があるのを、ご存知ですか?

サンマ、カツオ、マグロ…。

もちろんこれらの魚も
たくさん水揚げされるのですが、
国内の八割が、ここで獲れるものと言えば?

あの、歯が尖った魚ですよ。
追いかけられると怖い…。

そう、サメ(フカ)、なんですね。

実は、気仙沼は
「サメの水揚げ日本一の街」としても有名。

『シャークミュージアム』という
「サメの博物館」もあります。
ご当地ナンバープレートは、飛び跳ねるサメです。

でもなぜ、サメが気仙沼で獲れるのか?

実は、サメだけを獲る、というより、
マグロやメカジキを捕獲する中で
「一緒に獲れてしまう」
そうなのです。

しかしいくら獲れたとしても、
良い値段がつき、しかも加工がされないと、
売ることができず、捨てるしかない。
付加価値をつけていけるかが大事です。

その点、気仙沼では
「サメ加工」の工場や事業者が多いため、
漁獲量も多い、というわけ。

そのサメ加工の始まりは
江戸時代末期、つまり幕末だそうです。

幕府の「開国」方針で開かれた港「横浜」に、
ある気仙沼の商人が、取引のために訪れました。
その中には、中国向けの商品を扱う人もいた
(横浜と言えば中華街ですからね)。

…その商人は、気付きました。
「フカヒレ、売れるんじゃないか、中国で?」
そう、フカヒレスープと言えば
高級料理として、有名。

そこでサメが獲れる気仙沼において
フカヒレの製造販売を手掛け始めます。
高く売れると聞いて、同業者も徐々に増えていき、
明治時代にはフカヒレの中国への輸出が
格段に多くなったそうです。

まさに「フカヒレ」だけに、
「付加価値」がついた
んですね(すみません)!

ただし、サメは「ヒレ」だけではない。
肉も、皮も、骨もある。

そのサメの「肉」は、ちくわやかまぼこなど、
練りもの製品に利用されています。

気仙沼の学校給食には「シャークナゲット」という、
サメの肉を揚げた料理が出るそうです。
「皮」は「サメ皮」として皮製品に使えますよね。
「骨」はサプリメントの原料に。

…そうなんです、気仙沼は、
世界の中でもダントツの
「サメの加工技術と総合利用」が
発展している港町
、なのです!

というのも。

世界の中では、高価なフカヒレ「だけ」を獲って
残りは逃がす、捨ててしまう、
もったいない、というか、残酷な
獲り方をしているところがあるんですよ。

シャークフィニング、と言うんですがね。

ヒレを奪われたサメは、いくら逃がされて
自由になったとしても、
えら呼吸ができず、いずれ死んでしまう…。

この残酷さから、例えばアメリカでは
「フカヒレ漁業禁止法」が制定され、
イギリスではフカヒレ取引自体が禁止されている。

ですが気仙沼のサメ漁・サメ加工は、違います。
先述したように
「マグロなどを獲る際に、一緒に獲れる」
「ヒレだけでなく、すべてを総合利用する」

ものです。

つまりこの
シャークフィニングとは一線を画するもの。
いわゆる「持続可能な漁業」なのです。

「残酷なシャークフィニングとは違います!」と
気仙沼では、その違いを世界に向けて
アピールしているそうです。

そろそろ、まとめましょうか。

食べ物は、「口に入れば、何でも同じ」
ではありません。

その食べ物が、どこから来たのか、
どのように加工されてきたのか…。
「歴史」と「地理」を探ることで、
複眼的なものの見方ができる
ようにも思います。

さて、読者の皆様。

今日のあなたのご飯のその食材は、
どこから来て、
どのように加工されたものでしょうか?

…どんな「付加価値」がついていますか?

※本記事は以前に書いた記事の
リライトです↓
『気仙沼の付加価値』

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