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「将棋めし」の10辛 ~鳥見桐人の漫画断面図1~

ココイチのカレーは、攻めている。

俺はメニューを眺めながらそう思った。これほどの全国チェーン店でありながら、容赦しない感じがする。そこがいい。カレーは辛くて美味いから存在意義がある。甘くてまずいカレーは、カレーではない。

「豚しゃぶカレー、チーズトッピング。ご飯はふつうで」
「辛さは、いかがなさいますか?」

ここで俺はいつも「〇辛で!」と勇気を出して頼む自分を夢想する。しかし、答えは一周回って、すでに決まっている。

「…ふつうでお願いします」

メニューを決めて、何となくホッとして店内を見渡す。家族連れ、一人客、年配の夫婦…。それぞれがそれぞれにカレーを楽しんでいる。大衆化して国民食と化したカレーを、ここまで深化させた店もあるまい。ご飯と辛さの調節、トッピングとサイドメニューの豊富さ、いずれもカレー業界の帝王にふさわしい。そのわりには、自分が頼むバリエーションは、3~4パターンくらいの中に納まっているけれども。

「お待たせしました」

この提供の速さもいい。空腹を抱えた俺は、一口目を運んだ。…間違いない。鉄板の美味しさ。カレーを外食で食べて、外れた時のショックは三日は立ち直れないからな。俺は「ココイチ基準」なるものを脳内に作っている。ココイチより美味ければ良いカレー、美味くなければ残念なカレーだ。その基準を超えるカレーは、あまりない。

「…3辛くらいまではチャレンジしたいものだが」

と、通常のカレーの辛さを味わいながら、思った。しかし、その昔に若気の至りで食べた「5辛」の、肉体に刻まれた痛い記憶が、俺をいつも躊躇させる。ココイチのカレーは、ベースが辛めだ。5辛ともなれば、自分の内臓が煮えるかと思う灼熱だった。

「…10辛ともなれば、煮えるどころか発火するかもしれないな」

そこまで夢想して、ふと思い出した漫画がある。松本渚さんの「将棋めし」だ。ココイチを出た俺は、頭の中でページをめくっていた。

「あれは確か…10辛を頼んでいたよな」

「将棋めし」は、タイトルの如く「将棋」と「めし」をコラボさせた漫画だ。よくあるグルメ漫画かと、漫画喫茶で何気なく手に取った俺は、1巻から2巻、次の巻へと手が止まらなかったことを覚えている。

将棋は、勝負の世界である。ましてやプロの棋士の戦いと言えば、常人には想像できない真剣勝負、斬ったはったの世界である。「月下の棋士」「ハチワンダイバー」「3月のライオン」、最近では「リボーンの棋士」「永世乙女の戦い方」まで、そのガチ勝負の世界を見せてくれる漫画は多い。

しかし、「めし」を「将棋」と並べて、ここまで前面に据えた漫画は、他にはない。「月下の棋士」なら端歩、「ハチワンダイバー」ならダイブ、「3月のライオン」ならラブストーリー、「リボーンの棋士」なら情念、「永世乙女の戦い方」なら表情の激変が、すぐに脳裏に思い浮かぶ。

それらに対し、「将棋めし」は「めし」が主人公の1人なのである。

登場人物は、めしを従えるのではない。めしに従っていることもある。めしは、ただのツールではない。圧倒的な存在感を示している。このバランスが絶妙なのだ。ふつうは、どちらかに偏る。将棋を主としためしか、めしを主とした将棋か。

しかし、この漫画では主客が一体なのだ。ともに戦う同志なのだ。将棋のことを描きながら、めしを描く。めしを描きながら、将棋を描く。それは考えてみれば当たり前のことで、人間は戦うこともあれば食べることもある。どちらもあってしかるべきなのだが、漫画という「取捨選択と誇張」の表現方法では、斬って捨てられる部分が多い。その世界を、あえて「共同統治」の形でうまく治めているイメージがある。

その中にあって、登場人物が「めし」に圧倒的に支配されそうになったシーンがあった。それが、「ココイチの10辛」であった。

俺の足は自然と、旧友の経営する漫画喫茶へと向かった。漫画喫茶「てなもん屋」は、今日も空いていた。この店は、旧友が1人で経営している。サービスは、豊富とはいえない。しかしこの独特の空気感、いつまででも漫画に浸れそうな居心地の良さ、何より蔵書の豊富さが、俺をいつも引き寄せる。

「いらっしゃいませ。…なんだ、桐人か」
「『将棋めし』の中で、10辛を頼むのって何巻だっけ?」
「…5巻だ」

旧友と俺は何十年来かのつきあいだ。言葉は少なくても足りる。

彼が持ってきてくれた5巻を、俺は読んだ。10辛のシーンは、かなり熱い。この漫画ではタイトルのごとく「将棋」と「めし」とがコラボして進んでいくが、何しろ激辛のカレーなだけに、このシーンでは熱情が半端ない。

10辛を登場人物が頼んだ時の「マジかよ!?」という提供側のリアクション。10辛が出てきたときの「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ」という音(?)。「なに考えてんねん対局中に」という周囲のセリフ。相手の甘口カレー。すべてが10辛という、規格外の化け物を際立たせている。マグマと溶岩にたとえられたカレー。水を飲むと、逆に辛さが口中に広がる、という描写は「被害者は語る」という圧倒的リアリティを持っている(俺も5辛でやられた)。ヨーグルトドリンクを差し入れてくれた提供側の、黒子としての優しさが、登場人物だけでなく読者の身にも染みる。

「あっつい…」

と震えるような声でネクタイを緩める登場人物。読んでいるこちらまで熱さと辛さが襲い掛かってくるようだ。だんだんと増える汗。止まらない汗。一気に食べる。

そう、この化け物を支配するためには、スプーンを止めるわけにはいかないのだ。止めたら最後、敗北を意味する。それは「攻め将棋」で、相手に一息もつかせずに攻め切ることに通ずる。そう、10辛は激辛流、相手を叩き潰す将棋であり、めしなのである。10辛を頼んだ登場人物は、この化け物を支配し、自分の血肉と化けさせて、相手を倒した。

…そのシーンだけを読むつもりが、すっかり引き込まれて5巻を読み切り、さらに1巻から読み返してしまった。

「…一応、俺の店はワンドリンク制なんだが。何か頼めよ」

声をかけてきた旧友に、俺は間髪入れずに答えた。

「ヨーグルトドリンク」

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いかがでしたでしょうか。

鳥見桐人(とりみきりと)という男が、ある漫画のワンシーンだけを思い出して紹介する「鳥見桐人の漫画断面図」というシリーズです。断面図ですから、本当にワンシーンだけです。作品全体ではなく、印象的なシーンだけを切り取って紹介します。

なお、鳥見桐人は架空の人物ですが、漫画ばっかり読んでる「だめんず」です(笑)。

できるだけネタバレを防ぐために、キャラの名前は出さず「登場人物」と表現します。漫画の画像も出しません。気になった方はぜひ、単行本を手に取ってお読み下さい。

できるだけ引用を挟まず、文字テキストだけでどこまで漫画の魅力を伝えられるか…というアウトプット実験と、文章力の鍛錬を兼ねております。読みにくい部分があったらご容赦のほどを。

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◎この記事は以前に投稿した記事のリライトです↓

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