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現在に「冠位十二階」がつながっています。

「何を言っているのかわからない。
いまは令和時代、ですよ…?
『冠位十二階』って聖徳太子の頃?
千年以上も前の話じゃないですか!」

そう思いますよね。

でも実際に現在、日本国憲法で定められた
天皇の国事行為のひとつ「栄典」。
これにより現在も「位階」が叙せられている。
「叙位」と言います。

「…例えば、国民栄誉賞、とか?」

惜しい。それは違います。

国民栄誉賞は「広く国民に敬愛されて、
社会に明るい希望を与えることに
顕著な業績があった者について、
その栄誉を讃えることを目的として、
『内閣総理大臣が』表彰するもの」です。
これは叙位では、ない。

位階とは、文字通り「位(くらい)」です。
例えば正一位とか、従三位とか…。
出世の階段を昇るイメージで位の階段、位階。

「…大河ドラマ『光る君へ』で
藤原道長とか、平安貴族の皆さんが
もらっているもの
、ですよね?
いまは、令和…ですよ?」

ええ、でも、現在でもこの「位階」は、
年間約1万人くらいに叙せられています。
最近の有名なところですと、
故安倍晋三首相が「従一位」に叙せられた。
故NEC会長の佐々木元さんは「従四位」に。

もっとも、政治家や経済人だけではなく、
学校教員や保護司など、
地域で公の仕事に尽力した人も選ばれます。

…ただ「紫綬褒章」などの「叙勲」と異なり
あまり話題に上がらないのは
「亡くなった方に限る」から。
現在では生前の叙位はされていないんですね。
あくまで「亡くなった後に」叙されるもの…。

今回は、現代へと続く「位階」のお話です。

そもそもの起源は古代、飛鳥時代。
603年に定められた「冠位十二階」から。
聖徳太子(厩戸皇子)!

冠位は、天皇が授けることにした。
「徳、仁、礼、信、義、智」の六つです。
これをさらに大と小に分ける。
一番偉いのは大徳、次が小徳。
しかも冠の色を
「紫、青、赤、黄、白、黒」に決めて、
大と小は色の濃淡で区別したと言われる。

計十二に分けたから「冠位十二階」。
つまり「朝廷内の役人の序列」、
「誰が偉いのか」を、
一目でわかるようにしたもの。
この制度により、世襲だけでなく、
有能な人材が冠位をもらって
偉くなれる道を開きました。

…と、ここまではけっこう有名ですが、
この後の変遷はちょっとマニアック。
十二どころではない。どんどん増える…!

◆647年:冠位十三階
◆649年:冠位十九階
◆664年:冠位二十六階
◆685年:冠位四十八階

まさに「はらたいらさんに全部!
さらに、倍!」状態ですね…。
(ネタが古くてすみません)

面白いのは「冠位十九階」です。
ちょっとオシャレで可愛い名前。

『大織・小織・大繡・小繡・大紫・小紫・
大花上・大花下・小花上・小花下・
大山上・大山下・小山上・小山下・
大乙上・大乙下・小乙上・小乙下・立身』

冠も「花」をあしらったものになり、
ちょっとメルヘンな感じに。
カラフルでお花畑的なイメージな冠…。
それを古代貴族たちがかぶる…。
(気になった方は、ぜひ
『冠位十九階 画像』で検索してみてください)

ただ、さすがにちょっとカラフル過ぎて、
いかがなものか…?
と考えた人がいたのでしょう。

天智天皇の頃の「冠位二十六階」の時には、
全部「黒系」の地味なものに
変わってしまいました。

大河ドラマ『光る君へ』の平安時代には、
冠は黒系になっていますよね。

…さて、どんどんインフレして
増えていった位階に待ったをかけたのが、
文武天皇(もんむてんのう)の頃。

701年の「大宝律令」!
中国の唐の法律をお手本にして、
藤原不比等たちがまとめた。
この時に、位階が48から30に減る。
さすがに多すぎるだろう…と。

しかも名前もわかりやすくなります。
12ならともかく、48もありますと、
「…あれ? どっちが偉いんだっけ?」と
すぐにわからなくなりますからね。
覚えるのも大変。

今度は、とてもわかりやすくなりました。
一番偉いのが「正一位」。
次に偉いのが「従一位」。
その次が「正二位」。
さらに下が「従二位」…というように、
数字であらわすようになったんです。

「あのう…読み方なんですけど、
正一位って『せいいちい」ですか?』

いや、違います。「しょういちい」です。
正は「しょう」、従は「じゅ」と読む。
四位からは「上/下」にも分けられた。
例えば『従五位下』だと
これは「じゅごいのげ」と読みます。

それでですね、何と、
この「位階」が、明治維新の頃まで
ずっと続いていく。

「貴族の世の中」から「武士の世の中」へと
時代は移り変わっていきますが、
貴族、公家の世界では、ずっとそのまま。
ちなみに徳川幕府などの「征夷大将軍」も
天皇から与えられた将軍位ですから、
大名たちもこの位階の中に組み込まれて、
「正〇位」「従〇位」などの位を
朝廷からもらうことになります。

…たださすがに近代、明治時代になると、
「ちょっと見直しましょう」となる。

さすがに30は多い。18に減らす。
後に20に増えますが、
1887年の「叙位条例」では16に減った。

正一位、従一位、正二位、従二位、
正三位、従三位、正四位、従四位、
正五位、従五位、正六位、従六位、
正七位、従七位、正八位、従八位。

さらに1926年(大正15年)に
「位階令」が定められます。
これによって「栄典」の側面が
より強調されることになる。

「…でも、明治憲法下ならともかく、
戦後に無くなったりはしなかったの?」

ええ、終戦直後の1946年、
叙勲と叙位は一時廃止されました。
1947年には、華族制度も廃止された。

しかし「亡くなった方」に対する
「叙位」は行われ続ける
ことになる。
内閣の助言と承認によって行われる
天皇の国事行為の「栄典」として…。
(ちなみに、生前に行われているのは
叙位ではなく「叙勲」ですね)

ということで、

聖徳太子の「12」「冠位十二階」が、
途中でぐんぐん増えたものの、
大宝律令で「30」にまとめられ、
叙位条例・位階令で「16」に定まり、
現在にまで続いている…というわけです。

最後に、まとめます。

本記事では、現在にもつながる
日本史上の「位階」について書きました。

…人間が一定数集まると、どうしても
「序列」ができるものです。
特にお役所、公務員や警察の世界などでは、
上下の差がはっきりしています。

読者の皆様の組織・会社では、どんな
「序列」「役職」「位」がありますか?


数は、インフレをしていませんか?
名ばかりの位になっていませんか?
その肩書に見合った活躍ぶりは…?

同時に、こういった「位」のない、
フラットな関係の場
はお持ちでしょうか?

※現在の「叙位」についてはこちらを↓

※「冠位十二階」の詳細についてはこちら↓

※「冠位十九階」の冠はこちら↓

※古代の豪族、物部氏についてはこちら↓

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