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「他者を尊重し、考えを認め、共存する」。
…大事なことです。
特に、SNS上においては。

しかし例えば、TwitterなどのSNS上では、
「誹謗中傷」「袋叩き」など
『中世の魔女狩り』と同じ状況が
起きることがあります。

この状況を解決するヒントはないか…?

そう考えた私は、
「中世の魔女狩り」そのものの
歴史を見てみることにしました。

本記事は、魔女狩りとSNSについて。

中世の魔女狩りは、悲惨です。
「あの人は魔女だ」と言われて捕縛されれば
まず極刑(火あぶりなど)は免れない。
極めて恣意的な裁判が行われます。
文字通り、炎上させられるのです。

…なぜそんなことが起こったのか?
裁判官は良心が痛まなかったのか?

これは推測なのですが、
あまり良心は痛まなかったのではないか。

なぜなら「魔女」を「断罪」することは、
彼らにとって『正義』だったから。

むしろ「悪魔に取りつかれた人」を
断罪することは神の御心にかなう…。
そう思われていたのではないでしょうか?

あくまで、その当時では、ですが。

「考え(信仰)の異なる他者を尊重し、
考えを認め、共存する」という、
その意識自体が、あまり無かった。


「自分と考えが違う者は、
共存できない者・異端であり、
殺すべき者」という論法です。

そういう時代が、あった。
中世のヨーロッパでは、
それが「常識」だったのです。

これは、日本ではなかなかに
イメージしづらいところです。

…余談ですが、
「なんでイメージしづらいのか」に
言及します。

中学校の歴史の授業は、
「日本史」がメインです。

そのため、
16世紀の「鉄砲の伝来」「キリスト教の伝来」
のあたりから、
18世紀の「アメリカ独立」「フランス革命」
のあたりまでの間、
「17世紀のヨーロッパの歴史」を
学ぶ機会がそんなにない。

せいぜいが「宗教改革」の概要を学ぶ程度。

となると、どうしてもヨーロッパと言えば
「文明開化のお手本となる欧米諸国」
というイメージのほうが強くなる。

そう、17世紀のあたりのヨーロッパの歴史を
あまり知らないがために、

「鉄砲伝来」のあたりのヨーロッパと
「文明開化」のあたりヨーロッパを
同じようにとらえてしまいがち、なのです。

実は、かなり違います。
16~17世紀「鉄砲伝来」のあたりと
19世紀「文明開化」のあたりのヨーロッパは。

なぜならば、この間に、
ヨーロッパ諸国はとんでもない経験をして、
それを二度と繰り返さないように、という
取り決めをしていたから。
そういう歴史を持っている。

…話を、元に戻しましょう。

とんでもない経験、とは何か?
それは「三十年戦争」です。

1615年、日本では大坂夏の陣が行われます。
それと同じ頃のヨーロッパでは、
1618年から1648年まで、
ドイツ(神聖ローマ帝国)を主戦場として
「三十年戦争」が行われていました。

この戦争は「最後の宗教戦争」
とも言われる悲惨なものでした。なぜか?

神の名のもとに、カトリック側と
新教徒側が「殺し合い」をしたから。
国を挙げて、お互いに
「魔女狩り」をするようなものです。


妥協は、ありません。

殺すか殺されるか。デッドオアライブ。
敵は異端者、すなわち「人間ではない」。

人間ではないので、ひどいこともできます。

敵国の村人に対して、兵士たちは
口に木型をねじこみ閉められなくしてから
汚水を流し込んで虐殺する、という
耳を疑うようなことまで行った、
と言われています。

…この三十年戦争により、
当時のドイツの人口は2割減ります。
五人に一人が、命を失った。

しかしこの「三十年戦争」の歴史は、
日本史とは直接関係がないゆえに、
中学の歴史の授業ではほとんど扱われない。

むろん、高校の世界史では扱います。
『この三十年戦争において、
スウェーデン国王グスタフ・アドルフと、
神聖ローマ帝国に仕えた傭兵隊長の
ヴァレンシュタイン将軍が戦った』と
教科書の太字で教えられます。

しかし、その終戦の条約を
グスタフ・アドルフの娘が結ばせた
ということまでは、知られていない。

1648年に「ウェストファリア条約」
(ヴェストファーレン条約)
が結ばれ、
三十年戦争は終わります。
その立役者が、グスタフ・アドルフの娘、
スウェーデン女王、クリスティーナなのです。

この条約を一言で言えば「宗教的寛容」

『違う考え(信仰)を持っている人も、
同じ人間です。
殺さなくてもいいじゃないか』。
現在では常識となっている考え。
当時としては、画期的でした。

クリスティーナが親しく交流していた
グロティウスという学者が著した
「戦争と平和の法」という本にある考えが
反映されています。

この講和を通して、ヨーロッパではようやく
「自分と違う考えを持つ者=異端=殺す」
という論法が通じ「にくく」なりました。
17世紀末頃には、魔女狩りも
終息していった
、と言われています。

(ただ「戦争」自体は頻発します。
江戸時代の日本が平和だった頃、
ヨーロッパではひたすら
戦国時代が続いていたのです)

…以上、ここまで、中世の魔女狩りから
三十年戦争までを概観しました。

ひるがえって、現代では?

冒頭に書いたように、
SNS上では、よく「魔女狩り」に
似たことが行われていますよね。

誹謗中傷した人が捕まって言うのは、
たいてい同じセリフです。

◆「まさかこんなことになるとは…」。

魔女狩りの裁判官と同じです。
自分が悪人とは思っていない。
むしろ良かれと思ってやっている。

日本では法整備がされる前に
急速にSNSが発達してしまったことで
「21世紀の魔女狩り」が行われる土台が
整ってしまった
と思います。

だからこそ、要注意。

「自分と考えが違う者
=共存できない者・異教徒
=(社会的に)殺すべき者」
という論法が生まれがちです。
中世の魔女狩りを
正当化した論法と一緒です。

それを止めるには?

歴史の教訓を生かすなら
「ウェストファリア条約」的な精神で
SNSに臨むと良い、と思います。
すなわち「寛容の精神」です。

『違う考えを持っている人も人間です。
(社会的に)殺さなくてもいいじゃないか』。

「他者を尊重し、考えを認め、共存する」。
この「当たり前」のことが
SNS上ではしばしば忘れられがちなのです。

アカウントの背後には、
心を持った生身の人間がいます。
考えが違うから、と言って、
何を言ってもいいというわけじゃない。
相手は、同じ人間。魔女ではない。

「ク〇リプをつける」という行為を、
発信者は気軽にしてしまうかもしれませんが、

それは三十年戦争で行われた
「口に汚水を流し込んで相手を虐殺する」
のと同じではないでしょうか?

もちろん無差別攻撃してくる輩に対して
ブロックなどの「自衛」はあるにせよ、

相手に対して「想像力」を駆使して、
お互いに敬意を持ってSNSを使いたい。

私はそう思っています。

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